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2004/11/09

二十六夜の月

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「二十六夜」と書くだけで、月のことを指していることは、分かる人は分かる。が、小生は分からなかったので、備忘録というわけではないが、少しは頭に銘記するためにも、敢えて、恥を忍んで、「二十六夜の月」という表題にしておく。
 あるサイトによると、昨晩あたりの月は、二十六夜と呼ぶらしい。それとも実際には、もう少し、細身だったようだし、二十七日月だったのか。

 などと書きながら、上記には少々のウソが混じっている。月曜日の営業もまた、仕事が閑散としたもので、お客さんを探すのにも疲れてしまい、走りつかれると、神経ばかりが磨り減るようで、公園などの脇に車を止めて、やたらと休憩を取っていた。その都度、月影を追い求めたが、まだ、新月には日にちがあるはずなのに、見つからない。
 終いには、お客さんどころか、月の姿を追うのも、諦め気味になってしまった。
 が、お客さんはともかく、月の姿を、もう、すっかり明るくなった六時過ぎだったかに、天頂というほど高くはないが、かなり高い位置に月を偶然、見つけた。
 今日も仕事は暇だったと、溜め息を吐き、ふと、見上げた空に、ほっそりと見る影もないほどに痩せ細ったお月様のお姿をお見かけしたのだった。
 なんだか、小生の仕事の出来の悪さを象徴しているかのような月の窶れ具合だ。

「二十六夜」(の月)という表現がある…。「陰暦の正月と七月の26日にも夜半に月の出るのを待って拝したと言われています。月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が姿を現すと言い伝えられ、特に江戸では七月に高輪・品川などで、盛んに行われたそう」だという。

 先に進む前に、「二十六夜」という名称について。これは、「一般にある特定の月の出を待ってこれを拝する行事」である「月待」の一つで、十五夜や十三夜などは、多くの方が聞いたことがあるだろう。以下、「月待の民俗」というサイトを参照させていただく。
 十九夜待とか、二十二夜待など、いろいろあるが、「最も多く行われたのが二十三夜待」だという。「十九夜待と二十二夜待では女人講による如意輪観音を主尊とした安産祈願の行事が主流」だとか。
 話を戻して、小生、好奇心で、「二十六夜」をキーワードにネット検索してみた。

 すると、筆頭には、「No.146秋の道志二十六夜山」というサイトが現れる。上位に現れる大半が、二十六夜山に関連するもの。
 例外は、「Sankei Web 【著者インタビュー】坂東眞砂子さん『春話二十六夜 月待ちの恋』 と、あと一つだけだった。
 坂東眞砂子さんの『春話』に後ろ髪を引かれつつ、先に進むと、この二十六夜山は、故田中澄江さんの晩年の著でも馴染みの山なのだとか。
「No.146秋の道志二十六夜山」を覗くと分かるのだが、「日本には二つの二十六夜山がある。 その二つともが道志山塊にあるという」のである。

 道志村! 十数年の昔、枯れ葉の季節に、オートバイでその村を通り富士山近郊へよくツーリングしたものだった。河口湖、山中湖周辺をのんびり走り、紅葉を愛で、高原の空気を吸い…。そんな、ゆったりした気分を満喫した頃も自分にはあったのである。
 さて、このサイトにも、「二十六夜」のことが触れられている。尤も、「特に江戸では七月に高輪・品川などで、盛んに行われ」たということは、書いてない。
 その代わり、「女衆だけが集まって一夜を明かす行事」と書いてあるのを読むと、俄然、興味が湧く。
 そう、「三日月の夜といえば、かなり暗い夜だ。 一体、里の女たちは何を思ってこの行事に参加したのだろうか。 そして二十六夜山の山頂での彼女たちの会話はどんなものだったのだろうか」と思わずには居られないのである。
 あああ、女衆だけが集まって一夜を明かす行事って、一体、なんじゃ?!
 さらに、「都留周辺の隠れキリシタンが、二十六夜の月にかこつけて、仏を拝むと称して、ひそかに山上に集まり、マリアへの祈りを捧げたのではないか、といった田中澄江さんの説」なども紹介されている。
 ところで、「No.146秋の道志二十六夜山」だと、「日本には二つの二十六夜山がある」というが、 「月待の民俗」というサイトによると、静岡県賀茂郡南伊豆町も含め3ヵ所あるという。
 このサイトは、『二十六夜山』というサイトへ繋がっている。この頁を覗くと、「二十六夜待の信仰」や、二十六夜山のことが詳細に分かる。
 いずれにしても、月の神秘と女性(安産祈願)と豊作とが絡み合っている習俗のようだ。
 
 と、ここまで書いて、あれ? である。小生、別に二十六夜のことを書こうと思って、この日記を綴っているわけではない。あくまで日記なのである。たまたま今朝、六時過ぎに見た月が、二十六夜の月か、それとも二十七日月だったというだけのことなのである。
 小生の、今朝、やや薄絹を透かしたような弱々しい細身の月を見ての感覚では、むしろ、有明の月という感興のほうが強かった。が、有明の月という表現が今の時期に相応しいのかどうか、今一つ自信がなくて、使うのを躊躇い、月の形のほうへ話が流れてしまったのだった。
 この「有明の月」のみをキーワードにネット検索してみると、「検索結果 約 2,530 件中」、その二番目に小生のエッセイ「有明の月に寄せて」が登場するのは、発見だった。あまり読まれているとは思えない小生の拙稿が上位に来ているということは、世間の人は、少なくともネット上では、今更、有明の月なんて、話題にはしないということなのか、どうか。

 小生は、その点、月影には、随分とお世話になっている。特にタクシーの仕事を始めてからは、夜中などに、公園の脇に車を止めて、あるいはそうでなくとも、都内を走り回っていても、期待通りに、時には意想外の場所乃至は時に月影に遭遇して、慰められている。
 お月さんには、もう、数十年の昔に、人類が足跡を残したのだし、今更に月の神秘を語ったりしたら、お前は、天動説に囚われているのか、月や太陽は、昇ったり沈んだりするように見えるけれど、あれは、ただの勘違い、錯覚、思い込みに過ぎないのであって、我々の地球だって太陽の周りを巡っているんだぜ、これを地動説という、なんて、もったいぶって説教を喰らいそうである。
 小生だって、地動説は知っている。宇宙の万物が、それぞれに相対的に動いてることは、そんな噂くらいは聞いたことがあるし、読んだことがある。
 小生は、ただ、胸に感じる直截な思いを語っている、陳べている、吐露しているに過ぎないのである。
 月影が小生を追ってくる。この世間に忘れられたような、パッとしない小生も忘れずに、歩いていく先までくっ付いてきてくれる。
 それは、小生だけを追っているのではなく、誰をも追うのであり、地上の星だけじゃなく、虫けらも風に舞う木の葉も、埃だって、月のお蔭で影を持っている。そう、地上の万物を平等に光の渦に浴させている。しかも、その光たるや、拠って来るところは、太陽なのだということ、月はその陽光を撥ね返しているだけに過ぎないということ。
 そんなことも分かっている。でも、その誰をもどころか、何物をも、そう、森羅万象もが、宇宙に浮き漂っていることだって、知らないではない。
 けれど、胸のうちに感じる何か。一切が相対的な中で感じる何か。その何かをいつか、感じるままに表現してみたいと思うまでなのである。

 日記なのに、今日の記録は何も書いていない。この不況で打ちひしがれている、なんて書いても、つまらないし、随想に耽ってみたわけなのだった。
 さて、掲げた写真は、昨夜半だったかに都内のあるお寺さんの門前で撮ったもの。花の名前は例によって分からない。
 随分と大きな花で、幅は手の平より大きかった。実は、花の形がもっとよく分かる写真も撮れたのだが、掲げた写真のほうが、妖しい雰囲気が濃厚で、何か非日常的な世界に誘い込まれそうな妖艶ささえ感じさせ、つい、こちらを選んでしまったのである。

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