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2004/11/08

行く秋の夜長には

「行く秋」も「夜長」も、共に秋の季語である。俳句などで、一つの句に共に使うのは、季重ねになり、望ましくないとされる。
 しかし、タイトルに一緒に使う分には、構わないだろう(と思うのだけど)。
 この土日、久しぶりの休みということで、ブログ日記も含め、書評や掌編など、いろいろ書いたし、ホームページの更新もし、読書も少々した。
 惜しむらくは、せっかくの秋晴れで散歩日和だったのに、家に閉じ篭りっきりになってしまったこと。秋の麗らかなる日を過ごすには、少々、勿体無い過ごし方だったのかも。
 上に、掌編を書いたとあるが、ちょっと?マークが付く。
 というのも、夜半に作った作品は、過去にエッセイに書いたものの一部を抜粋し、手を加えたものなので、完全な創作ではないからだ。
 で、その書いたものとは、「ディープスペース」の第3弾で、第2弾が、副題として「バスキア!」だったのが、今回は、副題が「ポロック!」である。といっても、「バスキア!」もそうだが、「ポロック!」も、必ずしも彼等の作品や仕事・思想などに寄り添う形で書いたのではなく、ほとんど名前だけを借りたと言っていいほどに、奔放に書いている。
 尚、「過去にエッセイに書いたもの」とは、「エッセイ祈りの部屋」の中の、「私という千切れ雲の先に」である。そのうち、「ポロック!」をアップした際には、比較対照してみてほしい。
 さて、ポロックというと、小生の好きなアーティストの一人で、89年から92年の頃に、彼のアート作品を見ながら(他にも、ミロ、フォートリエ、デュヴュッフェ、クレー、ムンクなどを見ながら)、夜毎、創作活動に励んだものだった。
 会社の仕事が忙しく帰宅が夜半近く。それから仮眠を取って、真夜中過ぎに起き出し、友人の仕事の手伝いでテープ起こしの仕事をし、その上で、未明の頃に、ワープロに向かい、せっせと、ほとんど無理やりにない頭を振り絞って、それこそ掻き削るようにして創作した。で、朝方の五時過ぎにようやく就寝。
 その頃の睡眠時間は、三時間もあったろうか。小生は、もともとタップリ寝るほう、少なくとも七時間は寝るほうなのに三時間の睡眠の日々が数年、続いた。挙げ句、体を壊したり、会社で眩暈を起こしたり、とうとう93年には、ほとんど腑抜け状態になってしまって、会社から帰ると、まさに寝たきりになってしまった。92年末には友人の仕事の手伝いもなくなり、会社も暇になっていて、土日は、しっかり休めていたのだが、自宅では、晴れていてもカーテンを締め切りにして、寝ているだけになっていた。起き上がる気力がまるで湧いてこないのだった。
 とうとう、終いには、メニエル症状とでも言うのか、目覚めてベッドから起き上がろうとすると、その勢いが脳髄の中で加速し、意識が、あるいは風景が滅茶苦茶にグルグル回転するようになってしまった。嘔吐感。酩酊感。幻滅感。
 それでも、小生は、書くことだけは続けた。脳味噌を削るように、指先で氷を削るように、それとも、何処かの壁に爪を突き立てるように。
 自分にもう少し、才能があれば、書くものに、何がしかのインパクトがあったり、人の共感を呼んだりするのだろうけれど、友達にさえ、馬鹿にされるようなものしか書けない。
 そうはいっても、自分でこうだ、と思ったとおりに書いていくしかない。
 書くのは、ここまで来ると、業のようなものだ。意味など、あとから誰かが付けてくれたらいい、あるいは、いつか自分が今以上に枯れたなら、その時、ゆっくり、暇の徒然に、あの文章は、そんな意味があったのだ、こんな意図が含まれていたのだ、なんて、思い返してみればいいのだろう。
 11月も、はや、一週間が過ぎた。秋も手を拱いているうちに、あっという間に過ぎ去っていく。秋の夜長を感じているというのに、季節の移り変わりは凄まじく早い。皮肉なものである。
 徹底して書く。でも、楽しんで書く。いろんなものを書いていく。そんな自分をいつか、愛しく思えたりするのかもしれない。
 秋の夜長。夜の深さ。どこまでも深まり行く夜。夜の底の底。夜の果ての旅。そんな無明なる旅を満喫できるのも、書くことに徹しているからなのだろう。言葉の千切れた欠片たちが宙を舞っている。なんとか、舞い散る葉っぱを拾いたい。地上に落ちてしまわないうちに、この手の平に受けたい、受けて、葉っぱを織り成して、花輪とはいかないとしても、月桂冠のように葉っぱの環を生み出したい。その葉っぱが緑濃いものでなく、枯れ葉であったって構わない。
 
 さてさて、分けの分からない駄文になってしまった。
 以下、例によって駄句の嵐とさせてもらう。俳句とは到底、呼べないとして、どうやら川柳とさえ、呼べない句の数々だ!
 
 渋柿も 天日に干せば 甘柿さ
 渋柿を みんなで剥いて 天に干す
 軒先に 揺れる干し柿 遠い雲
 干し柿の 香り漂う 秋の庭

(以下の句たちは、中島みゆきの「東京ららばい♪」(唄:中原理恵)の歌詞とメロディを思い浮かべながら綴ったものです。歌詞については、小生のサイトの掲示板(9953/9954)を参照してください。)

 カウンター 滑るはグラスか 人生か
 二人寝て 別々に起きて 消えていく
 触れ合いは 体と心 引き裂くか
 焦がれ合い 結び合っての 孤独かな
 孤独でも 感じる心が あればいい?
 誰がいい? 誰でもいい? オレじゃダメ?
 酒飲んで 胃の腑を吐いて 紛らす孤独
 幻の 愛欲の海 死ぬまでも

 すべてある なんでも叶う 夢以外は
 東京の 片隅に咲く 花の露
 這い伝う 茎裏の露 滲んで見え
 東京は 都か砂漠か 誰が知る
 夢破れ 不貞寝しても 明日は来る
 子守歌 自分で歌う 年になり
 擦れ違う ただ擦れ違う 都会かな
 一度きり 掛け替えのない 時を流す
 東京タワー 見下ろす先の 光の渦
 ネオン街 明滅するは 人生か
 浮き沈み 繰り返すのも 限りあり
 軒先の 植木の花に 託す夢
 ないものを ねだる思いを 誰か知る

 今夜は、画像を載せていないので、干し柿を作る様子を見ることが出来る素敵なサイトを紹介しておきます:
田舎干し柿の風景!

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