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2004/11/07

山粧う…紅葉のこと

「山粧(よそお)う」は、「紅葉に彩られた秋の山を、擬人法で描いた季語」だという。似たような風景を表現する季語に、「装う山 野山の錦 紅葉の錦 草の錦」(「季節のことのは」)などがある。いずれも、使ってみたい言葉だ。
「山粧う」に形の上で似たような一連の表現に、「山笑う」「山滴る」「山眠る」がある。
「山粧う」が、秋の山々が紅葉で色付く様子を現すのに対し、「山笑う」は、春の山々が一斉に芽吹き若葉でパッと明るくなる様子を、「山滴る」は、夏の山々が青葉でみずみずしい様子を、「山眠る」は、冬の山々が広葉樹林なら葉が落ち尽くし、針葉樹林なら雪を被って静まりかえった様子を現す。
 実は、なんとなく、今日のタイトルには、「そぞろ寒」を使いたかった。この言葉は、「なんとなく寒かったり、わけもなく寒かったりというのが「そぞろ寒」で、秋だけではなく早春の肌寒さにも使いますが、季語は秋に定着してい」るという。
 気分的に落ち込んでいたこともあり、「そぞろ寒」を考えたけれど、さすがに今日の陽気では、似つかわしくない。ここは、気分とは逆に、「山粧う」で行こうと思い直したのである。
 というのも、過日、「山粧う」でネット検索したら、大和路は吉野の紅葉を捉えた見事な写真を発見したので、是非、見てもらいたかったのである。前にも書いたが、吉野は桜で有名だが、実は、紅葉の季節にこそ吉野の醍醐味が見られるということをラジオで聞き、実際に観に行くことは叶わない以上は、せめて、画像だけでもと、探していて、例えば、「奈良の紅葉」というサイトや、「紅葉写真館」という紅葉の写真を専門に展示しているサイトなどを見つけたのだが、上掲の一枚には、圧倒されてしまったのである。
 こんな風景を前にして、紅葉のメカニズムを忖度するのも野暮な話だが、興味があるので、簡単にでも触れておきたい。
 たとえば、「カエデともみじ」というサイトがある。カウンターを見ても、かなり人気のあるサイトのようだ。
 その、「6.紅葉、黄葉のメカニズム」のを見てみる。そこには、下記のように説明してある:

秋から冬にかけて、気温の低下とともに、葉の葉柄の付根の部分にに離層と呼ばれるコルク層が形成され、葉と茎の間で水や養分の流れが妨げられます。光合成により作られた糖分が葉に蓄積され、これからアントシアンという赤い色素が形成され、葉緑素が分解されて緑の色素が減少していきます。この過程でいろいろな紅葉になります。一方、葉緑素が分解されていく過程で、今まで目立たなかった黄色のカロチノイドという色素が目立って現れてきますと黄葉になります。植物の種類により、この過程には個性があり、紫、赤、橙、黄というように様々な色が形成されます

 以下、「紅葉がより美しくなる条件」や、「紅葉前線」、さらには、どんな木が紅葉で、あるいは黄葉で美しいか、などが縷縷、書いてあって、興味が尽きない。
 紅葉と言うと、カエデやモミジということになる。「紅葉」は、「こうよう」と読めるが、「もみじ」とも読める。漢字表記がポツンとあるだけだと、どちらに読むべきか、迷ってしまう。気分次第で選ぶしかない。
 そういえば、この一文を書いていて、小生、以前に、紅葉について雑文を書いたことを思いだした。「紅葉の季節:「枯葉よ~♪」」という一文である。
 その冒頭に、「表題に「紅葉の季節」と書いた。人はこれをどう読むだろうか。」と書いてある。小生、似たような疑問を2年ほど前にも持ったわけである。その文章の中では、「こうよう」と書いて、「紅葉」もあるし、「黄葉」もある、などとも書いている。上代では、ほとんどが「黄葉」という表記だった、それが、「平安時代になって、『白氏文集(はくしのもんじゅう)』の表記の影響などもあり、「紅葉」と書くようになった」などとまで、書いている。
 さらに、「もみじ」という言葉の語源探索も行っていたのだ。
 ほとんど、中身を忘失していた(汗!)。
 しかも、良寛さんの歌も引用していたとは!:

 秋山をわが越えくればたまほこの道も照るまで紅葉しにけり

 良寛和尚には、他にも、次のような句(歌?)もある:

 山ほととぎす秋はもみぢ葉

 ネットで次のような驚くほどの洞察を示すを見つけた。「平成13年度 子どもたちが作った俳句」ということで、掲げたのは、小学六年生の句だというのだが:

 おち葉たち つぎの葉のため ちってった

 思わず、絶句してしまった。
「紅葉」というと、そのままのタイトルの曲「紅葉」(作詞:高野辰之作曲:岡野貞一)も忘れがたい。「秋の夕日に 照る山紅葉♪」で始まる文部省唱歌である。今も、歌われている…のだろうか。
 モミジの句というと、有名な句がある。とても可愛らしいもの。が、小生、その句を思い出せない。確か、「雪の朝 もみじもみじの 足のあと」というような句だったと思うのだが、正確な文言を紹介できないのが残念である。誰か、知っていたら、教えて欲しい!
 でも、まあ、上掲の小学生の句が、今日の収穫だったので、慰めとしておこう。

 さて、話は変わって、昨日は「柿日和」ということで、柿に触れたのだが、掲示板に柿の思い出について、書き込みをしてもらって、そういえば、小生には「柿 の 花」という小品があることを思い出した。せっかくなので、紹介させてもらう。

 今日は、日曜日。久しぶりに(三週間ぶりに朝からのんびりできた一日となった。天気にも恵まれ、外出日和だったのだが、ホームページの更新をブログ日記に力を入れていることもあり、ここしばらく怠っていたので、せっせと更新作業に勤しんだ。
 といっても、手間取ることもあり、居眠りもたっぷりしたので、アップできた文章は、僅かだった。まず、「タクシーとオートバイの部屋」に、「高速道路二人乗り規制撤廃のニュース/タクシーメーターの音」を、「書評と著作の部屋」に、「ウエルベック著『素粒子』/ミラン・クンデラ『生は彼方に』」を、「エッセイの部屋」には、「一人暮らしの地震対策(他) をアップ。
 他に、「このサイトのこと…キリ番…」の頁を手直し。過日、キリ番を踏んだということで戴いた素敵な絵をアップした。やれやれ、である。
 
 この一文は日記である。昨日、書くつもりで忘れていたことを、幾つか、書いておきたい。
 昨夜半だったか、シャワーを浴び、浴室を出たら、足元に黒っぽいモノがチョロチョロと。「すわ! ゴキブリか?!」と思って、ちょっぴり恐々、目を凝らしてみたら、それはコオロギだった。一週間前だったかに、見かけていた奴が、今も生きているということ? 同じ奴かどうかは、尋ねても返事してくれる訳もなく、コオロギの人相ならぬ虫相を見分けられるほどに、虫に親しんでいるはずもなく、分からない。
 でも、直感的には、同じ奴だと思う。
 それにしても、我が部屋の中で何を食べて生き延びているのだろう。このところ、健気なことに小生は、二週間に一度は掃除機を掛けている。なので、床には以前ほどには残飯などは落ちていないはずなのだが。
 そのコオロギ、小生が真夜中過ぎの三時頃だったか就寝しようと、灯りを消そうとした瞬間、今度は天井をウロチョロ。いずれにしても、我が部屋には、恐らくは、ダンボール類の後ろに隠れている蜘蛛と併せ、二匹の友が住んでいるわけである。
 尤も、ダニの数を入れると、友(?)の数は膨大なものになると思うのだが。

 昨夜は、今日、7日に、小生の敬愛する方が誕生日を迎えるということで、前夜祭を気取る訳じゃないが、久しぶりにピザを宅配で注文した。貧乏なる小生は、ピザが食べたくなったら、スーパーで数百円のものを買ってきて、それで我慢するのだが、その方の誕生日を祝うという名目で、ちょっとだけ羽目を外したのである。
 遠くにいるその方に向かい、誕生日、おめでとう! と叫びつつ、ピザを、しかも、ローステッドポテトも併せ、まるごと食べたのだった。食べ過ぎ!!!!
 では、何故、当日の今日、ピザを取らなかったのかというと、田舎から、鱒の寿司を送ってくることになっていたので、さすがに食事の制限はしつつも、食欲旺盛なる小生と言えども、鱒の寿司を食べ、ピザも目一杯、食べるというのは、少々度が過ぎると、少しは自制したのであった。

 ホームページの更新作業に勤しんだので、肝心の文章書きは、ほとんどできなかった。ただ、過日、読了した白川静氏の『中国の古代文学(一)』の簡単な書評エッセイだけは、書いておいた。
 読書のほうは、他に、先月、拾ってきた『90分でわかる 日本史の読み方』(加来耕三監修、かんき出版)を先週、読了、さらに、今日、長々と読んできた、『おくのほそ道―現代語訳/曽良随行日記付き』(潁原 退蔵/尾形 仂 (翻訳) 角川ソフィア文庫)を読了した。

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