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2004/11/06

柿日和

 今日の日記の表題をどうすうるか、何もアイデアが浮かばないでいた。こんな時は、まさに、困った時の(秋の)季語、というわけで、秋の季語で何かいいのがないかと探していた。
 このところ、日記のタイトルに窮すると、季語を漁るという癖が付いてしまった。いいことなのか、拙いことなのか、判断が付かないでいる。
 すると、「柿日和」という言葉が見つかった:
東京クリップ(43)
 そこには、「秋日和という言葉は、広辞苑によれば「強い日差しの秋の晴天」と説明されていますが、澄んだ秋空に黄色い柿を見ると、この「秋日和」という言葉が浮かびます」とある。
 小生の「広辞苑」(電子辞書)は壊れているので、秋日和の説明の記述を確かめることができない。この「柿日和」というのは、秋の季語なのだろうか。
 ネットで「柿日和」が使われている句を探してみる。すると、次の句が見つかった:

 アンパンを抱へ坂道柿日和     岡本洋子

 丁寧に(季語/柿日和)とある。
 季語であることは分かったが、さて、秋の季語なのかどうかは、分からない。もしかすると冬の季語のような気もする。「柿日和」で言う柿は、熟した真っ赤な柿なのだろう。青空を背景に熟した柿という光景、真冬でなくとも、秋も深まり、冬の到来の気配が濃く漂う。
 さらに柿日和の含まれる句を探すと、次の句が見つかった:

 岡本太郎記念館へ電話をかけし柿日和    皆吉司

 この句へのコメントに、「岡本太郎記念館はたしか川崎市にあるのではなかったか。川崎市には有名な柿・禅寺丸の原木がある王禅寺がある」という一文がある。王禅寺と柿というと、小生も数年前、雑文の中で採り上げたことがある:
秋の日と柿の木と(付:余談)
 一部だけ、転記すると、

 秋も深まってくると、小生は田舎の風景を思い出す。
 裏の田圃に面した小さな畑の端に、一本、ポツンと柿の木が所在なげに立っている …、という風景である。
 柿の実をもいだ後は、秋の日に特有の抜けるような青い空に、葉っぱも落ち尽くして幹と枝だけになった柿の木が、一層、寂しそうである。
 小生の感傷的な気持ちがそう、思わせるのか、昔の空は、今より遥かに青く澄んでいたように思えてならない。それとも、田舎の空気は、今、住んでいる東京の空とは違うということに過ぎないのか…。
 秋の日に落ち忘れた実が一つ、二つ残るだけの柿の木が一本、田圃の脇に立っている風景というのは、小生ならずとも、多くの日本人にとっての原風景の一つなのではなかろうか。
 柿食えば鐘がなるなり法隆寺、なんて俳句があったな、そういえば。
                             (以上、抜粋)

「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」は、言うまでもなく、正岡子規の句である。法隆寺とあるくらいで、斑鳩の里で作られたのだろう。昔は、法隆寺の近くに茶屋「柿茶屋」があったという。その茶屋で柿を食っていると、ふと、法隆寺の鐘楼の鐘の響きが聞えてきて、感興を得て詠んだのだろうか。
 ネットでさらに調べると、「聖霊院の前の鏡池の辺には(中略)正岡子規の有名な句(中略)の句碑がある」とか。
 子規のこの有名な句について、一体、何時頃、詠まれたのか知りたくなった。結核に冒されていた子規が、奈良へ旅したことがあったということなのか…、そんな元気のある時期もあったのか…、子規が懐かしく、床しくてならないのである。
 すると、次のサイトが見つかった:
里実だより
 その「2004年9月1日(水) 子規のくだもの好きは尋常ではない 」という項を読む。
「「くだもの(続)」では、具体的なくだものの名前をあげ、むさぼり食べたことが語られています」とある。そういえば、子規の果物好きは有名なのだった。
 さらに興味深いのは次のくだりである。「最後の部分で、東大寺近くの宿屋で柿を食べた際、東大寺の鐘の音を聞いた時のことが書かれています。その時のことを詠んだ句が有名な次のものです」として、以下の句が掲げられている:

 柿食えば鐘がなるなり東大寺

 このサイトの筆者ならずとも、ん? である。東大寺じゃなくて、法隆寺だろう! 
 で、一般的には、既に紹介したように、「法隆寺近くの茶店で柿を食べている時、時を告げる鐘の音を聞いて詠んだ、と説明される」わけだが、この一文では、「説明されることが多いようですね」とあるのだ!
 ということは、一般的に流布している説明はウソ乃至は間違いなのか?!
 ちゃんと、この点については説明されている。「こういう説明もあります。翌日、子規は法隆寺に行ったそうです。そこで、場所は東大寺から法隆寺に変え、昨夜の鐘の音を思い起こし、「柿食えば」の句を詠んだというものです。これが一番信憑性があるようですね」という。
 筆者は、「写生の方法を説いた子規ですが、形象化された作品には、ありのままの事実を写しているようでも、そこには虚構が入り込んでいる、ということなんでしょうか」と、この一文を締め括られている。
 つまりは、一般的な説明は、あながち間違いではないが、説明不足なのだ、ということなのだろう。
 小生、「くだもの」「くだもの(続)」を読んでいないので、確たることを自分の意見としては言えないのだが、興味深い話だった。

 表題の「柿日和」から、話が飛躍してしまった。こんなことを書くつもりじゃなかったのだ。が、未だに秋日和が秋の季語なのか冬の季語なのか分からないままに、あれこれ調べ書き綴っているうつに、何を書きたいのか、綺麗さっぱり忘れてしまった。
 ま、こんなもんである。

 長くなったので、小生なりの仕方で締め括っておきたい。そう、駄句駄句である:

 回遊魚 寿司屋さんでも 回されて
 太巻きを まずは食わせる 母の知恵
 皿の数 数える時だけ 血が巡る
 回転寿司 三廻り目には まけろっての

 句作はね 英語で言うと、ハイキング?!

 サンタさん お風呂の中で 茹ってる
 サンタさん 体の煤を 洗ってる?

 淡雪や 綿菓子の如 溶けていく
 淡雪も 根雪になると 恨めしい
 淡雪や 熱燗に浮かべ 風情かな
 降る雪や 目元で溶けて 涙かな
 舞う雪を 仰ぎ眺めて 空に飛ぶ

 何れも、方々のサイトの掲示板での書き込みに付した川柳の数々である。
 ああ、我が画像掲示板に戴いた素敵な画像と書き込み(473)へのレスとして詠んだ句もあった。広島、島根県の県境(萩の近く?)吾妻山で撮った写真だという:

 吾妻山雲の波間に日を抱く
 吾妻山雲を逆巻き日を招く
 吾妻山流れる汗も雲となる

 そうだ、表題の「柿日和」にちなんで、一句、ひねっておこう!

 庭の柿 空の青さを 際立たせ
 熟し柿 カラスの目にも 眩しきか
 吊るし柿 落ちる夕陽を 跳ね返す
 柿日和 揃って眺めた 遠い日よ

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