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2004/11/04

文化の日だったっけ

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 昨日、三日は文化の日だった。三日だということは、さすがに分かっていたが、その日が祭日だったとは、会社の駐車場に来て初めて気がついた。
 尤も、どうも、日中にしては、普段着姿のお父さん方の姿をよく見かける。どう見ても、出勤という風ではない。仕事にあぶれて焦っている風も伺えない。もしかして、という予感はあったのだが。
 どうにも否定できなくなったのは、駐車場に車が妙に多いことに気付いてからである。えっ、もしかして、今日は休日なの? 分からないが、週日であれば、小生が出勤する頃には、駐車場の車は、既に半分以下になっているはずである。残っているのは、小生のように拘束時間が約20時間の勤務形態ではなく、ナイト(夜勤)の車が大半。
 とにかく車に乗り込み、ラジオをオン。何気なく聴いていたら、文化の日がどうしたとか、叙勲がどうしたという話題が。そうだったのか、と、やっと得心が行った次第。
 一人暮らしをしていると、世間の波から取り残されがちである。そもそも、終日、会話というものがない。起きても、ボヤーとした頭のままに起き上がり、トイレを済ませ、食事をし、場合によってはテレビを見、昨夜、読み残した新聞など眺め、着替え、時間が来たら出勤。
 それらのステップを機械的に踏んでいく。鞄に詰め込むものの確認、財布や鍵束、そして戸締りなどの確認、そこには、当然ながら会話などの入る余地がない。新聞も、朝は開かないままに手に抱えて出勤し、待機中などに読むことにしているので、当日の予定なども、その日の夕方乃至は夜中までに知る。
 困るのは、衣替えの時季である。暑ければ、そのように、寒ければ、そのように衣服を用意するのだが、さて、いつ、衣替えしたらいいのか、さっぱり分からない。外を見ても、人通りは見えないので、今日は比較的寒そうだし、長袖なのか、上着を用意するだけでいいのか、見当が付かない。
 もっと、困るのは、常識が養えないことである。付き合いの範囲が狭いこともあって、結婚式や葬式、引越し、誕生祝い、その他の際に、何をどうしたらいいのか、まるで分からない。分からないだけではなく、ちょっと自分が面倒だと思ったら、もしかしたら義理もあって、付き合い程度のことはしなければいけない場合であっても、義理を怠ってしまう。
 すると、もう、人との付き合いが減っていく。狭まっていく。ドンドン縮小再生産を繰り返す。当面は、付き合いを怠るだけだったのが、もう、顔を合わせるのも、心苦しくなり、気が付くと、陸の孤島に居るような生活になってしまうのである。
 取りあえずは、都会(のはずれ)に住んでいるので、生活に不便はしない。健康に気を使いながら、細々とは生きて行ける。が、隣近所との付き合いも、面倒で憚っているうちに、知り合いさえ、近くにはいない。
 新潟は中越での震災を見て、隣近所との付き合いや、コミュニティの大事さを目の当たりにしている。かの、阪神・淡路大震災の時も、地域住民の交流の大事さが、報道などで繰り返し伝えられていたが、この度、震災を被った地域は、山間地であり、尚のこと、地元住民同士のつながりが濃い。仮設住宅を建設するにしても、何処か広いところに、まとめて沢山、作り、被災者を寄せ集めるのではなく、地域のコミュニティごとに、小さな単位(数)での仮設住宅の建設が望ましいという。
 年を取ると、新しい付き合いを構築するのは、結構、億劫だったりストレスになったりする。巨大な仮設住宅の集合地に近くで顔見知りもいないような形で寄せ集められたのでは、交流も何も叶わないのである。
 さて、翻って自分はどうだろうか。今だって、都会の片隅で孤立して生活している。それは、近くにコンビニもスーパーも病院も仕事先もあるから、大概のことは、他人様との付き合いを避けても(避けるつもりがなくても、自然と途絶えがちになっていく)、一人で暮らせる。
 暮らせていることは、確かに、そのとおりなのである。下手すると、一ヶ月だって、仕事以外では他人と会話をしないことがしばしばである。いつだったか、病気して一ヶ月以上、寝込んだ時も、誰一人、訪ねてこない現実の厳しさを実感した。このまま、息絶えていっても、誰かに気付かれるまで、どれほどの時間を要することだろうと思ったものだった。
 ただの一人も、心のパートナーを作れなかったのは、自業自得であり、仕方ないのだし、我が侭な自分だから、仕事以外では付き合いを持たないほうが楽だ、という思いもある。この生活の在り様は、自分が選んだ結果なのだと自覚しても居る。
 自由にできる時間が少ない中、読書や執筆ができるのも、一人暮らしだからなのだろうと思う。
 文化の日。祭日。そんな日に仕事して、文化の香りの欠片もない時の迷い子になっている。せめて仕事で少しは忙しかったら、余計なことを考えずに済むのだが、閑散とした仕事。街。一時間以上も町中を走っても、何処かお客さんのいそうなところで待機しても、何時間もお客さんにも見放された状態でいると、まさに、都会の片隅で自分は見捨てられているような、妙な錯覚に陥りそうになる。
 世には、文化に携われる立派な人も居る。が、さて、自分はどうかと言うと、自分なりに創造の根を不毛なる我が心の荒野に植え付けようと懸命である。空っぽの頭を引っ掻き回し、何がしかの想像の空間を作り出そうとする。
 今週は、車中に、三島憲一著『ニーチェ』(岩波新書)を持ち込んでいる。昨年から、貰った本、拾った本、昔読んだものの再読が読書のメインになっている。本書も、貰った本である。
 本書の謳い文句によると、「西洋の理性中心主義とキリスト教道徳を容赦なく批判し,力への意志,神の死,永遠回帰を説き,生は認識を通じて美となるべきことを主張したニーチェ.ハイデガーからドゥルーズ=ガタリまで,彼なくして二十世紀思想は語りえない.『ツァラトゥストラ』など深い孤独の思想を読み解き,彼の批判が現在の状況とどう関わるかを考える.」という。87年の本である。
 ニーチェは一時期は、芸術(ワーグナー)での生の救済を夢見た。
 目の前に突然、口を開けた深淵。絶望。神の死。それを美の創出で乗り越えようとした。
 小生は、美を追い求めつつも、むしろ、虚の時空を虚構の空間で埋めようとしている自分を感じている。空白、喪失、欠乏、徒労、その虚の空間を、さらに虚なる虚構の時空の創出で糊塗しようとしている…。
 学生時代だったか、文筆を田植えに喩えてみたことがある。田圃に手で苗を植えていく。そのように、原稿用紙の桝目に文字を埋め込んでいく。原稿は、自分にとっては泥田なのである。
 今は、原稿は、モニター画面である。というより、むしろ、液晶の画面、さらに言うと、電子の順列と組み合わせの抽象空間こそが、原稿用紙なのである。この物足りなさ。が、創出する空間が虚構の空間なのだとしたら、電子の波に形を与え、与えては崩し、崩しては新たな形を必死になって与えようと足掻く、しかも、出来上がった作品も、電子の気紛れな並びにしか残されていないという、この在り方こそが、創造に一番、相応しいのではと思ってしまう。
 その抽象の空間に束の間の形を創出し、その虚なる位相を墓場とする。
 人間にとって…、というより、自分にとって欠けているもの、他人には常識で見えているし、足りているはずのものが、欠如している。しかも、自分では自分の顔も背中も鏡などを使わない限りは、つまり、生の形では眺められないように、自分に一番欠けていて、しかも、必要なものも見えないのではないかと感じる。それこそ、突然、尻尾に噛み付かれた猫が、尻尾を追い掛け回すように、小生も尻尾を追ってグルグル回っているような気がする。追いつけない。
永遠に追いつけない。尻尾を切り離さないと、自分の実相を確かめることが出来ない。
 何が自分に足りないのだろう。
 でも、ひょっとして、本当は、とっくの昔に気付いていたりして。
 そんなことはないと信じたいのだが。

 掲げた写真は、文化の日の真夜中に撮った、オレンジ色に輝く東京タワー。肉眼では、もっと色鮮やかに見えていた。が、小生の腕前では、なんだか、夢の中に出て来る幻の搭のようだ。小説も、そう。自分の脳味噌の中では、傑作に感じられているのだけど、いざ、描いてみると、見るも無慙。
 これが悲しい現実なのだね。

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