ドアを開く
ドアを開く…。この言葉だけで、人は何を思い浮かべるだろう。誰か慕わしい人の家を訪ね、ドアの開く瞬間を待つ。それとも、事件になり、一時期、話題になった超高層ビルの回転ドア、スーパーなどの自動ドア…。「左右どちらからも扉を開閉できる冷蔵庫「どっちもドア」」なんてのもある。それとも、「風に吹かれて」で有名なボブ・ディランの「天国への扉」という曲が脳裏に浮かび、メロディなど口ずさむ人もいるかもしれない。
ドアから扉、そして「天国への扉」を連想した小生、学生時代など、ビートルズと共にボブ・ディランに聞き浸っていたものだった、その名残がこんなところにも出てくる。
あるいは、ドラえもんの「何処でもドア!」を忘れてはいませんか、と、口を尖らせている人もいるかもしれない。
が、ここでは、ちょっと野暮かもしれないが、タクシーのドアのことである。小生は、タクシードライバーをしている。だから、ドアというと、真っ先に思い浮かぶのは、タクシーのドアということになってしまっているのだ。
タクシーのドアは自動ドアである。タクシー(会社)によっては、ドアに「自動ドア」と表記してある場合もある。
小生、タクシードライバーの仕事に携わるまでは、本当に自動ドアだと思っていた。何かスイッチかボタンがあって、お客さんがドアの傍に立ち、乗る意志を示すと、運転手がボタンをオンにする。すると、ドアが自動的に開く…。そんなシステムをボンヤリ、思い描いていた。
というより、そんなことなど、あまり考えもしなかった、と言ったほうが無知な自分に近かったか。
が、現実には、タクシーのドアは、自動とは言え、それは、お客さんから見たら、自動的に開くのであり、実際には、お客さんがドアの傍に立つのを確認して、また、立ち位置を十分に確認した上で、運転手の右下手元付近にあるレバーを引く。そのレバーに加えられた操作は、コードを通じて後部左側(つまり、歩道側)のドアに直結しており、ドアが開くというわけである。
まさに、運転手にとっては、手動ドアなのだ。手で操作している。ただ、途中にコードがあって、見かけ上は距離が開いているように見えるだけである。
自動ドア、つまりは手動ドアは後部左側だけに機能する。助手席側は、お客さんが自ら開けるようになっている。後部右側は、通常、開かないよう、ドアにロックがされている。これは、歩道側ではなく車道側で、お客さんが勝手に開けると危険だからということ、また、めったに後部右側から乗る機会がないこと、などがあって、自動ドア(運転手には手動ドア)は後部右側だけになっているのだ。
ところで、唐突に、「ドアを開く」という表題で、今日の日記を書いているのは、たまたま今さっき見たドラマの影響である。小生、二週間ぶりの連休ということで、読書と執筆と、それにテレビ視聴三昧なのだ。特にテレビでサスペンスもののドラマを見るのが好き。
しかも、これは変わっているかもしれないが、再放送ものが好きだ。夜に新しいサスペンスをやっているのに、何故、ということになるが、タクシーの徹夜仕事から朝、帰宅し、多少グズグズしてから9時前後に寝入るのだが、日中ということもあり、グッスリは眠られず、大概は昼過ぎに目覚める。
当然、寝不足なので、昼下がり、あるいは夕方近くに二度目の睡眠を取るのだが、その間にボンヤリした頭のままに、読書したり(これはトライすると、大抵、居眠りに自然に移行してしまう)、洗濯したり、借金の支払いに出向いたり、食事したりする。
食事の際には、テレビを見る。見るなら、サスペンスもの、しかも、小生、睡眠障害的な傾向があるので、テレビを見ている最中に、ロッキングチェアーで転寝(うたたね)を楽しんでしまう。
すると、番組を中途半端にしか見られない。ガッカリである。が、再放送ものなら、ちゃんと見なかったという落胆の度合いも低い。夜の新規の番組の途中に、さあ、見るぞと思ってみたのに、見逃したりしたら、ガッカリの度合いもひどいのである。
さて、今しがた見た、「牟田刑事官(中略)刑事の妹も奪われた!」も、再放送。が、恐らく、小生が見るのは初めて。なので、新鮮な気分で見られた。
このドラマの鍵というか、発端になっていたのは、まさに、車のドアを不用意に開けた事なのである。つい油断してドアを開けたため、そのドアに自転車の若い女性が突っ込んで転倒した、しかも、運悪く、そこにスピードを出しすぎの車が通りかかり、その倒れている女性を轢いてしまった。
女性は死にはしなかったが、車椅子の生活を余儀なくされる。
事件を複雑にしたのは、ドアをつい開けてしまったのは、これまた若い女性なのだが、そこに居合わせた男性がカメラマニアで、弾かれた女性の様をパシパシッと写真に収めてしまったのだ。
事件は、轢かれ車椅子の身となった女性の兄が犯行を、つまり復讐を決意するところから始まる。この牟田刑事官モノは、主演が小林桂樹、準主演に片岡鶴太郎で、いつも事件は輻湊している。なかなか一筋縄では解決に至らない。
ま、それは別の話として、このドラマ、最後に車椅子の女性が自首する場面で終わる。その女性、車で警察に赴くのだが、その際、カメラは車のドアが開き、車椅子だが、杖を使えば、なんとか歩ける女性が車から出てくる場面を、ドアに焦点を合わせるようにして見せる。
事件の発端も、結末も車のドアの開く様子に絡むということで、タクシードライバーたる小生、ドアにちなみあれこれを書くしかない気分にされてしまったのも、無理からぬことであろう。
小生、タクシードライバーになって九年以上になる。その間、なんとか、大きな事故にも遭遇せず、まずまず大過なく、こんにちまでやってくることができた。
これは、偏(ひとえ)に、日頃の注意の怠りない所以である、と、書きたいところだが、そうは問屋が卸さない。
やはり、何といっても、運が良かったと思うしかない。事故になってもおかしくないという状況に幾度となく遭遇している。死亡事故現場にも立ち会ったことがある。それも、事故直後だった。路上に宅配バイクが横倒しになっている。ライダーは、路上に転がって、ピクともしない。
路上の若い男性は即死状態だった。タクシーの運転手も、顔が真っ青で、男の傍で呆然と立ち尽くしている。若い男性の人生もその日で終わったが、運転手の人生も、奈落の底に突き落とされたのは、言うまでもない。
バイクと衝突したのは、タクシー。どちらが悪いのかは分からないが、タクシー(車)とバイクだと、まず、タクシーに責任が問われる。
小生、この事故が一際(ひときわ)印象深いのは、衝突そのものは目撃していないのだが、衝突した際のガシャッというのか、グシャッと表現すべきか、その鈍い音をタクシーの中にいて聞いたからだ。今も、その音が耳に残っている。
この事故の場合、ドアが絡んでいるわけではないが、事故、死亡した若い男、立ち尽くす運転手、快晴の空、それでいて、周囲は事故直後でもあるからか、そんな状況に無縁に、何事もないかのように通常の走行が続いている。そうした一切が、妙に印象的なので、忘れられないのだ。
話を元に戻すが、タクシードライバーになって九年以上。タクシーという仕事の性質上、注意すべきことは、たくさんある。あまりに多いので列挙するのも、躊躇われる。項目を並べるだけで、長い長いリストになるだろう。事故を避けるノウハウも多いが、お客さんとの トラブルも、場合によっては事故以上に怖かったりする。
そんな中、未だに慣れないのが、後部左側のドアの開閉である。
冒頭付近で書いたように、自動ドアといいつつ、運転手側にしてみれば、手動ドアである。当然、交通状況を十分に確認して開閉する(新人の頃、ドアを閉め忘れて走り出し、郵便ポストに擦らせたことがあった。恥ずかしい!!!でも、これ、内緒の話)。
である以上は、危ないはずはないのだが、実際にはお客さんが複数居る場合もある。となると、お客さんのうちの一人は車内に残って支払いしている。その間に、他のお客さん達が、さっさと降りていく。当然だ。
が、この勝手に降りられるのが、実に怖いのである。ドアを開く際には、通常の走行以上に神経を払うといっても過言ではない。何故なら、歩道側の何処から自転車(中にはバイク)がやってくるか、分からないからだ。
だから、慎重の上にも慎重を期して開くが、複数だったりすると、そうもいかない。支払い事務を遂行しつつも、気が気でない。大きく開いたドアに自転車が突っ込んでこないか、開いた瞬間、ドアが歩行者にぶつからないか、とにかく神経が休まらない。
お客さんが複数ではない場合でも、お客さんがドアを早く開けろと催促する場合がある。
支払いをし、釣銭を準備する間も惜しくて、さっさと車を降りたいのである。気の弱い小生のこと、つい、仕方なく、開けてしまう。お客さんは降りて、車の傍で中腰になって釣銭や領収書を待つ。で、釣銭を手をグッと延ばして渡すのだが、先を急ぐお客さんが勢い良くドアを開けたりすると(ロックだってお客さんが勝手に解除する場合がある)、周囲の安全確保は大丈夫かと、心臓が縮むような思いがする。
どんな場合でも、お客さんが勝手にドアを開けた場合でさえも、完全に降りてしまうまでは、タクシードライバー(会社)側の責任となるのだ。
アメリカのタクシーだと、ドアの開閉はお客さんが行う。当然、ドアの開閉時の責任もお客さん側ということになるのだろう。日本とは国民性や国情に違いがあるとはいえ、ドアの開閉のシステムを再考する余地もあるのではなかろうか。
なんだか、重っ苦しい話になってしまった。
ネットで「ドア」という言葉が織り込まれている句を探してみた。例えば、「インターネット俳句大賞」というサイト(八木健予選 2月の結果)を覗いてみたら、次の句が見つかった(ユニークでユーモラスなハイクアートがそれぞれの句に付してあるのだが、誰の作品なのか分からない):
のったりとドアすり抜けし春の猫 遠藤京子
さらに、「2004 「海程」全国大会In 芦原・三国」に以下の句が(この句には、「金子先生評(戦艦大和から内面性を語っている)」と評が付してある。金子先生とは、金子兜太氏である):
ドアロックしても洪水わが大和 大高宏充
小生がよく転記する「日刊:この一句 最近のバックナンバー 」でも、次のような句を見出した(この句については、当該頁の評を読んでもらいたい):
開けても開けてもドアがある 高柳重信
ドアでは、あまり多くが詠まれていないのか。「扉」で検索したら、あるいは多数をヒットするかもしれない。
せっかくなので、駄句をひねっておこう:
ドアを開け広い世界に飛びたたん
ドアの陰覗いているのは家政婦か?
すみません覗いてたのは弥一です
覗き見を趣味にしてはいけません
障子紙心の扉の際どさよ
自動ドア開いてるのは運転手
自動ドア閉め忘れはありえない
回転ドア回りすぎて目が回り
炬燵にて体の扉開きけり
日溜りに冬の扉を予感する
さて、日記らしいことも書いておきたい。まずは、お知らせである。我がホームページの掲示板が過日、1万をヒットした。その方のリクエストもあり、キリ番プレゼントとして掌編を昨夜、制作した。どちらかというと、小生には珍しく純愛系のような。でも、苦くもあるのだけど。
タイトルは、「菜穂の夏」である。よろしければ、読んでみてね。
尚、ホームページ(表紙のカウンターでも、キリ番のリクエストは受け付けている。希望者はここ久しくないのが寂しい。次のキリ番は、「55555」と設定する。小生、ボケ気味なので(認知傷害気味?)数字を忘れる可能性もあるので、近付いたら、気付かせてね。
この掌編で、今月は6個目。今年の通算で、90個。あと、残すところ、今月は2つ、年内には10個ということになった。いよいよ、押し詰まってきたし、切羽詰ってきたぞ。
このブログ日記に結構、エネルギーが費やされている。そのため、犠牲になっているのがメルマガとホームページの更新である。
小生は、この日記というかエッセイ・コラム・日記の「無精庵徒然草」と、上に紹介した虚構作品のサイトの「無精庵方丈記」を作ってきたが、本日、「無精庵万葉記」というサイトも設けた。
これは、書評風エッセイのサイトである。基本的にメルマガで公表済みのものが当面、載せられることになる。本来ならホームページに掲載したいのだが、その時間が取れない。
よって、窮余の一策として、書評風エッセイの公表ブログサイトを設けることにしたのである。共々、お気に入りに入れてくれたら(で、感想など貰えたらもっと)嬉しい。
さて、おめでとう。ここまでよく、我慢して読んでこられました。忍耐に感謝します。やっと、最後ですぞ。
冒頭に掲げた写真は、我が画像掲示板に素敵な画像を提供してくれる紫苑さんの「作品」である(画像掲示板:518参照)。
この画像は、紫苑さんによると、アルハンブラ宮殿の中の噴水だとのこと。「先日訪れたアルハンブラ宮殿の中のこの噴水がタルレガ作曲の「アルハンブラの思い出」のトレモロの動機になったとのこと」という説明がされている。
その説明を全文、示しておく(但し、句読点や行変えは小生が行った):
「先日訪れたアルハンブラ宮殿の中のこの噴水がタルレガ作曲の「アルハンブラの思い出」のトレモロの動機になったとのことです。ほんとうに奥まった一角にあるパルタルの庭.でチロチロと流れていました。
現在のアルハンブラは四つの部分からなっていて、一つはカルロス5世の宮殿、二つ目がアル・カサバ(城塞)、そして三つ目がアルハンブラ宮殿、最後が夏の離宮ヘネラリーフェ庭園です。
アルハンブラというのは「赤い城」という意味でアル・カサバの外壁の表面が剥落し、中の赤褐色の煉瓦部分が露出しているのが見えています。大理石と化粧漆喰、水とタイル、それに様々な花の咲き乱れる楽園を粗野な外壁で包んでいる様子はほんとうに柘榴(グラナダ)のようでしたよ」
尚、画像掲示板の485にも、スペインの旅の写真を寄せてもらっている。もっと、見たい方は、紫苑さんのサイトへどうぞ。
小生のブログ日記に掲載してもいいよ、という奇特な方、投稿を待ってますよ。
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コメント
「自動ドア」の記載、興味深く拝見しました。
句のことは全くの素人でよくわかっていませんが、下2つがいい感じに思えました。
炬燵はちょっと解釈に困りましたが、安堵と開放感でしょうか。 by td
投稿: td | 2004/11/28 12:00
tdさん、コメントをありがとう。
写真、いつも楽しみにしています。
小生は、デジカメでバカみたいに撮っているだけ。写真の世界も奥が深い。
句を読んでくれたのですね。嬉しいです。炬燵の句の解釈、まさにおっしゃられる通りです。
投稿: 弥一 | 2004/11/28 15:30