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2004/11/25

網代

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 今回の日記・随筆の表題を「網代(あじろ)」にしたのは、11月の季語の中で水に関連するものがないかと探した挙げ句、適当な言葉・題材が見つからず、やや苦し紛れに選んだ結果である。
 掲げてある写真は、東京湾、と言いたいところだが、もう数十メートルも歩けば運河という場所から運河方向を捉えたもの。デジカメは用意してなかったので、携帯電話のカメラで急遽、撮った。
 なので、画像が不鮮明で、実際には映っている海の波の緩やかに揺れる様は、伺えないようである。時に運河や東京湾を遊覧する船も通ることがある。いつかは、そんな光景も撮ってみたい。
 で、運河の写真ということで、「水」を連想し、11月の季語で海や水を連想させるものを探して、結果、「網代」に至った。とても分かりやすい連想である。
 この「網代」という言葉について、説明しておいたほうがいいかもしれない。特に自分自身のために。
「歳時記~四季折々の言葉たち~」というメルマガの「歳時記その141~網代~」で、「網代」について特集してある。このメルマガの発行サイトは、前日の日記・随筆でも紹介した「閑話抄」である。
 あるいは、「俳句歳時記(第17号)」でも、「網代」の特集となっている。
 つまりは、「昔からある漁法のひとつで」、「細い竹や柴をを水面に刺して、そこに網を仕掛けて魚を導いて、
その終点にワナを取り付けて魚を取る。」もののようである。
「歳時記~四季折々の言葉たち~」には、その漁法がより詳しく説明されている。嬉しいのは、我が柿本人麻呂の歌が紹介されていること:

    もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも
                (『万葉集』巻3-264:柿本人麻呂)

「ここに出てくる網代木というのは網代に打つ杭のことである」らしいが、「延喜式によると、この頃の網代で捕ったのは氷魚(ひお;鮎の稚魚)で」、「当時から冬の漁法として確立していたと思われ」るという。
「歳時記の網代は湖や川、波の穏やかな入海などの仕掛けを指していますが、海で網を引く場所をも網代といいますね。一般に網代というとこちら、海の方の網代の方が通用し、また広く使われているのですが、詩歌の世界ではあまり対象とは成りませんでした。この点は非常に面白いところだと思います。」この点は、小生も同感で、俳句の世界でのみ、徘味のある風物として今日まで生き延びてきたわけである。
 小生、サラリーマン時代は、運河を見下ろすことのできる倉庫で働いていた。運河に面する岸壁では、休みの日、あるいは休憩時間ともなると、魚釣りに興じる姿を散見したものだった(今も、見られるが)。運河には、古びた苔むしたコンクリートの杭などが見られたりする。
 それは別に網代というわけではないのだが、ゆったりと流れる海の水が杭に流れを妨げられ流れを乱し、一旦は二手に分けられるのだが、それも束の間のことで、やがてまた合流し、何事もなかったかのように緩やかな流れを見渡す先の先まで続けていく。そんな様を、忙しい日々、窓辺や外階段の踊り場などで手摺りに持たれてボンヤリ眺めていたりしたものだった。

 さて、小生、上に掲げた歌に限らず、柿本人麻呂の世界が大好きである。好きという表現では、まるで足りないかも知れない。西行の上を行く芭蕉、その更にずっと上を行く人麻呂の世界なのだ。
 人麻呂の歌で好きなものは数々ある。

 淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
 天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ
 天離る夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
 鴨山の岩根しまけるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
 ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ

 最後の、「東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ」は、不思議すぎて妙に印象に残る歌である。柿本人麻呂については、直接は言及しないで来たが、白川静氏の『初期万葉論』/『後期万葉論』に寄せる感想文の中で、若干、触れている。
 が、実は、その感想文からは洩れているが、メルマガの[後欄無駄]で、この歌を巡る話題を扱っている。その部分を転記する:

 特に最後の『初期万葉論』の中で、かの有名な柿本人麻呂の歌、

  東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ
 
について、いつのことを歌っているか、正確な年月が分かったという話には、ちょっと驚いた。
 その歌われている時間は、持統六年、西暦六九二年十二月三十一日の午前五時五十分頃だというのだ。
 東に曙光が立ち、西に月かげが傾くま冬の払暁の光景ということから、割り出された時間だという。(本書、p.119)
 ま、知っている人は知っている知見に過ぎないのかもしれないけれど、正確な時間を知った上で歌を詠むと、また格別な感懐があるような気がする。
(02/10/17記 転記終わり)

 まあ、余談の余談に過ぎない話だが、興味を惹く話題だったのだ(この話題は、「十三夜の月見」というエッセイでも触れている)。
 それにしても、人麻呂の歌は、音楽的なような気がする。「歌」なのであり、本来的に歌謡なのだから、当然なのかもしれないが。
 というより、人麻呂の歌は、誤解を恐れずに言えば、呪術的なのだと思う。言葉が、まるで巨大な岩だったり、大地だったり、逆巻く波、あるいは細波に日の光のチラチラ揺れる緩やかな海の面(おも)だったりする。
 言葉が命を持っている。物事に名前が付せられたら、その瞬間に名指されたモノたちがムックリと起き上がってきて、人間を囲繞してしまう。世界が物活的で、森羅万象が、それこそ今となっては童話の世界でしか描かれないしリアリティを持てなくなってしまった、原初の、元来の、根源の命を担っている、いや、命そのものなのだということをまざまざと感じさせてくれる。人麻呂の世界は、そうした世界に立ち会っているのだ。
 人麻呂については文献は多数ある。梅原猛氏の『水底の歌―柿本人麿論』も印象的だったが、「もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも」という歌の解釈に関連して、古田武彦氏の『人麿の運命』(原書房刊)が興味深かった。
 あまり参考にはならないが、小生自身、「古田武彦著『人麿の運命』の周辺」という書評風エッセイを書いている。

 またまた余談に迷い込んでしまって、冒頭付近を書き始めた時に書こうと思っていたことがまるで書けないでここまで来てしまった。
 小生、水のことに触れたかったのだ。網代も運河も、その引出しの取っ手口に過ぎなかったのに。
 水のことについて語りだすと、切りがない。ま、稿を改めて、そのうち、触れてみたい。
 せっかくなので、取っ掛かりとして、以前、書いた文章を転記しておく:

 今、青柳いづみこ著の『水の音楽』(みすず書房刊)を読んでいるが、その内容はともかく、あのドイツ・ロマン派の代表的作家であるE・T・A・ホフマン。
 ホフマン(1776-1822)は、もとウィルヘルムという名だったが、尊敬するモーツァルトへの傾倒から、アマデウスと改名したとか、生活の実務においては法律家として過ごしたが、人生の大半を音楽家として過ごしたとか、である。
 本書は、副題が「オンディーヌとメリザンド」とある通り、水(の精)の音楽の背景を神話などからの変遷を巡りつつ探求したもので、ホフマンも、フケーの『ウンディーネ』を読んでオペラ化したということで、採り上げられているのである。
「ホフマンが書いたベートーヴェンの『交響曲第五番』についての論評は、音楽美学のひとつの源流として評価されている」とのことだ。なんとか、一読してみたいものだ。
(02/05/10記 転記終わり)

 青柳いづみこ氏については、昨年のデータになるが、「青 柳 い づ み こ ピ ア ノ ・ リ サ イ タ ル」で経歴などが分かる。
 叶うことなら、ヘンデルの「水上の音楽」、あるいはベートーベンの「月光」などを聴きながら、執筆できれば最高なのだが、そうもいかないだろう。
 ま、またの楽しみとして、水をめぐる随想を書く機会を待つことにしよう。

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コメント

弥一さま、こんばんは。再びのTBありがとうございました。
私も古代史は好きな分野です(下手の横好きですが)。
人麻呂の歌でつながれて嬉しく思います。
「呪術的」というご指摘、納得しました。
万葉集のころは、「言霊」ということばが確かに生きていた時代だと思います。
(古今以後だと、完成度が高まる代わりに力は薄まるような…)
「東の~」の歌は、草壁皇子の挽歌ですよね。
西暦で言えば、大晦日の歌だったのですね。初耳で驚きました。
もし私のブログが今年の12月31日まで続いたら
この記事からTBさせていただいていいですか?

投稿: variousmoon | 2005/03/31 01:32

variousmoon さん、来訪、そしてコメント、ありがとう!
 古代史や考古学は御覧のように小生も、ただのファンです。未知の事が一杯あって、想像力の働く余地が一杯で楽しい。特に柿本人麻呂は傑出している。

「東の~」の歌は、おっしゃられるように草壁皇子の挽歌です。
「「東の野にかきろひの立つ」とは、未だ御年十一歳ではあるがやがて天皇の御位につかれる輕皇子が狩りをされてゐる御姿であり、「月西渡きぬ」とは天皇の御位につかれるはずであった草壁皇子が次第に隠れて行かれる御姿と解釈される。つまり、輕皇子が狩りをされる若い御姿を見て振り返ると、雄々しかった草壁皇子がお隠れになりつつある、といふ事を歌ってゐるのである」という説明が小生としては受けいれやすい(名前)をクリックすると、引用元のサイトへ飛べます。但し、そのサイト主と小生とは政治的立場や思想は異にしますが)。

 ところで、「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」と、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」とを比べる方もいますね。かなり無理のある比較になりそうだけど。

投稿: 弥一 | 2005/03/31 23:08

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