タクシーと忘れ物(お彼岸篇)
木曜日は雨の営業となった。雨の日は、不況の今にあっても、少なくとも日中はお客さんが乗ってくれる回数が増える。結構、忙しくなる。
が、景気の思わしくない今は、ただでさえ少ない夜中のお客さんが、冷たい雨に祟られて、一層、減ってしまう。
そんな愚痴はともかく、雨の日のタクシーの営業というと、付き物なのが、傘の忘れ物である。それは、小生も新人ではないし、心得ているので、支払いを済ませ降りていかれるお客さんに、「忘れ物、ございませんか」などと、必ず声をかける。
それも、一度ならず二度は掛ける。ただ、雨の日でも、雨が降り続いているなら、さすがに傘を忘れる人は少ない。外の雨、傘、この両者は直結している。雨が降り続いている中でも忘れることがあるとしたら、車を自宅の玄関先に止めた場合だろう。
タクシーのドアを開けると、それ、急げ、とばかりに玄関の方へ駆け込んでいく、だから、鞄(バッグ)の類いは忘れないものの、傘は置き去りにされることがありえるわけである。
勿論、小生はそんなことがあっては、お客さんも困るだろうが、こちらも、後の処理が面倒なので、降りられるお客さんの背中に「忘れ物は…」と声を掛けると同時に、後部座席を見る。
後部座席を見、お客さんに忘れ物のないように声を掛けるのは、雨の日に限らない。天気が良かろうが、お客さんが降りられる時には、毎回、必ず、励行する。
困るのは、この数年、携行が当たり前になりつつある(なってしまった?)携帯電話である。こればっかりは、お客さんにとっても、大切なものであり、大切さの度合いということになると、傘の比ではないから忘れることなどないだろう、と大方の方は思われるだろうし、小生も、そう思いたいのだが、しかし、年に何回かは忘れ去られることがある。
小生も後部座席を見ているのだが、時に何故か携帯電話が足元に落ちていたりして、振り返ってみても、シートの上には何もない。ちょっと見ただけでは、お客さんの足元、つまりは、運転手の座席の後部直下辺りは、どうにも分からないのである。
だからこそ、一度ならず二度、時に三度と声を掛けて、忘れ物のないように願うのである。
携帯電話などを忘れられると、お客さんを下した後、しばらくして、プルルル、などと呼び出し音が聞えてくる。ああ、やったなー、と、ガックリする瞬間である。小生も携帯電話は携行しているが、走行中はマナーモードなので、震えることはあっても、音は一切しない。だから、音がしたら、人様の携帯電話に決まっているのである。
電話に出る(これも、最近のことだ。小生が携帯電話を持つようになったのは、昨年の暮れからで、それまでは、電話が掛かってきても、どうやって出ればいいか分からなかったものだ。それと、着信音も今は、ほとんどの人が自分好みの音楽に設定しているので、プルルルは、古いかもしれない)、で、お客さんの居場所、小生の居場所を勘案し、大概は、小生が携帯電話(他の忘れ物の場合は、お客さんが営業所に電話し、無線などで小生が呼び出しを喰らう)を積んだタクシーを回送の表示にして、お客さんの下へ駆けつける、ということに相成る訳である。
その間の時間は、営業的に無為のときになる。が、仕方がない。忘れ物をさせたこちらが悪いと受け止める弛緩あいのだから、自分への罰なのだと諦めるしかないのだ。
それより、お客さんに忘れ物をきちんと届けられたということを安堵するべきなのである。そして、二度と、そんな失敗をしないこと、させないことを肝に銘じる。
さすがに、忘れ物は、傘を含め、めったになくなった。
が、今年のお彼岸の日に、とんでもない忘れ物があった。その日は、祭日で、営業的には暇なはずだが、お彼岸は、お墓参りの方が多く、日中に限っては忙しい。
昼過ぎだったか、とある駅でお乗せした年輩の方と若い方との二人連れのお婦人方を、基本料金で行ける場所にあるお寺へ(基本料金というのがミソなので、敢えて書く)。
二人をそのお寺で下す。無論、忘れ物はございませんか、と声を掛けた。
で、小生は車を走らせた。すぐに別のお客さんが乗ってくれた。嬉しい。お客さんが連続するなど、近頃ないことなので、嬉しい。どうやら、そのお客さんもお墓参りの方のようだ。
が、その喜びは束の間のものだった。お客さんの一言で、一気に暗転したのである。
「あの、忘れ物、ありますよ」だって。
お客さんがその品物を料金を乗せるトレーに載せた。
ちらっと見ると、それは、仏事用包装された箱と、その表の包み紙の合わせ目に御供物料でも入っているのだろうか、熨斗袋が挟まっている。
なんてこった! よりによって、こんなものを忘れるなんて、でも、オレは、お客さんが降りた時に声を掛けなかったっけ? 降りた際に後部座席は見たよな?! ああ、でも、忘れ物があるのは厳然たる事実。小生の頭の中は、真っ白。
とにかく、今、お乗せしているお客さんを目的地までお届けすることに、頭の中を集中させる。余計なことを考えると事故の元だ。
目的地で無事、降りていただくと、車を回送にする。で、大急ぎで、先ほどのお寺に戻る。きっと、今すぐだったら、まだお寺に二人はいるはずだろうから。幸い、お寺に戻るまでに十数分だったろうし。
非常灯を点滅させて車を路肩に止め、お寺の境内へ。墓地には墓石をきれいに洗っていたり、周りも掃除したりしている方が、ポツポツと散見される。花や線香をお供えしている方もいる。手桶から水をすくい、墓石の上からかけて合掌礼拝するわけである。
中には、水ではなく、お酒を墓石の上から掛ける人もいるというが、その日は、お酒の匂いはしなかったような。
さて、小生、お寺の本堂というか、受付に足を向ける。先ほどの二人がいないかと探しながら。受付の女性に、二人連れの御婦人の方、見受けませんでしたかと訊く。墓地の方へいらっしゃいましたよ、と返事する。
小生、仏事用包装された箱(熨斗袋付き)を小脇に抱え、墓地の方へ。受け付けに行く前に眺め渡した限りは、二人の姿を見受けなかったのだが、もう一度、墓地の中を歩き回って探すことに。
が、二人の姿は見えない。尤も、数人の墓参の方々の中に二人が紛れ込んでしまった可能性もある。さっきの二人連れの姿格好は、どうだったっけ。
小生、お客さんのプライバシーということで、原則、運転中もそうだが、降りる際にも、あまりジロジロ、お客さんを見たりはしない。鞄など持物には注意するが。
なので、二人の顔や、まして服装など、はっきりしない。そもそも、無骨な小生のこと、女性のファッションなど眼中にない。一日、一緒にいても、さて、その日の相手の服装の色は、スーツだったかラフな格好だったか、イヤリングは、髪型は、顔は、靴は、そのどれにも自信を持っては即答できない。これは、自信を持って断言できる。
小生、段々、不安になってきた。目当ての二人は、あの集団の中の婦人達ではないのか…。そういう目で見ると、そのようにも思えてくる。声を掛けて、訊いてみようか。でも、なんとなく違う気がするし。先方も、冴えない中年男に関心など持っていないようだ。忘れ物のことには、さすがにもう気付いているはずだから、小生が小脇に抱えている箱を見れば、ああ、あれ! という表情に変わるはずだし。
墓地では、それらしい二人連れが見当たらないので、もう一度、受け付けに戻って、中を覗いて回ったり、それでもダメなので、仕方なくタクシーの方へ戻ろうとした。車の中で待っていたら、そのうち、寺の門から二人が出てくるはずだ、それを待っていよう、と思ったわけである。
で、受付から門へ向かって歩いていったら、ちょうど、門から入って来る御婦人の二人連れに遭遇。どうやら、二人は、タクシーの方からお寺に戻ってきたようなのである。
二人は、あ! という表情をした。パッと明るくなった。
小生、あの、先ほどのお客さんですよね、と声を掛ける。二人も、頷いて、そうですと答え、忘れ物しちゃって…。
で、小生、念のためもあり、箱の上の熨斗袋に記入してある名前を御婦人に尋ねた。帰って来た名前は、ちゃんと合っている。当然だが。
万が一にも、別の人に忘れ物を渡しては、恥の上塗り以上の失態である。携帯電話も、渡す際には、電話の色を訊いたり、電話にもう一度、架けてもらったりして、相手の確認をする。当然のプロセスだろう。
箱を渡すと、年輩の方のご婦人は、そこは年の功というのだろうか、熨斗袋の中身をさりげなく確認している。こちらとしては幾分、不愉快だが、それも、当然のプロセスだから、理解できる。中身は、推して知るベシだろう。箱の中身は、軽かったので、煎餅か海苔か、なんて、余計な詮索はしなくてもいいだろう。
小生が仕事もあるし、急ごうとしたら、ご婦人は「待っていただけますか」と訊く。「ええ、いいですけど」と答えると、「用事はすぐに済みますので、そしたら駅まで戻りますので、また、乗せてってください」と言う。
こちらは、何も異存があるはずもない。タクシーを回送から空車にして待機。待つこと数分だったろうか、戻ってこられた。で、また、駅へ。駅までは基本料金で済む距離である。降車の際の支払いの時、お釣りを渡そうとすると、「お釣りは、取っておいてください」という。
小生は、忘れ物を届けた際、一切、<謝礼>は貰わないことにしている。何故なら、プロのドライバーとして、忘れ物をさせたこちらに不手際があったわけだから、相手が感謝しているのだとしても、貰うのは筋ではないと思うからである。
でも、お寺から駅までの短い走行の際、「今日は、忘れ物、しちゃって、運が悪い、今日は日が悪い、とんだお彼岸になっちゃったと思ってたけど、届けてもらって、よかった。いい日になりました」などと御婦人は語っていた。その気持ちの現れなのだろうと、その時は受け取ることにした。額が大きいと、躊躇うが、あくまで気持ちの範囲に収まるのだし。
さて、小生、二人が降車される際に、「お忘れ物、ございませんか」と声を掛けたのは、言うまでもない。別に皮肉で言ったわけじゃなく、習慣として言ったに過ぎないのだが、先方様は、どう思われたろうか。
顔が笑っていたから、そう、きっと結果として微笑ましいエピソードになりました、という気持ちだったに違いないと思うのだけど。
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