山茶花の頃
火曜日だったか、車中でラジオを聞いていたら、山茶花のことが話題になっていた。が、すぐにお客さんをお乗せしたので、ボリュームを下げ、運転に集中したこともあり、どんな話だったのか、分からない。
ただ、頭の中に、山茶花という言葉だけが響く。花の名前というのは、どれもこれも、イメージを掻き立ててくれる。同時に、その名前の付け方に、感嘆するばかりである。前にも書いたが、小生など、歌や句を作られた方より、花など植物の名称を決められた方たちこそ、天才なのだと思う。
道端で咲く草花を見て、それぞれにこれはこういう名前にしよう、ということで決まっていったのだろうか。それとも、それぞれの草花にちなむ何かの逸話などがあったのだろうか。
この山茶花という植物の名前も、サザンカという必ずしも流麗・華麗という音の響きではないのに、耳に心地良く感じられるというのは、何故なのだろう。
そのうち、ふと、遠い昔に歌った、童謡の一節が脳裏に浮かんできた。「さざんか さざんか 咲いた道♪」であり、さらに「たきびだ たきびだ おちばたき♪」と続く。そう、「たきび」である。
今は、都会ならずとも、焚火など、許されない地域が多いのではなかろうか。山や海のキャンプ地などでは、水をバケツに用意して、みんなで燃え盛る火を囲んで焚火を楽しむ、なんてことが行われているのだろう。小生も、小学生だったかの林間学校で、そんな楽しみを持ったことを微かに思い出す。
あるいは、大学生だった頃、どういう経緯があってのことか、俄かには思い出せないが、多くは新入生が集まって、キャンプの真似事をし、焚火を囲んだことがあったと、今、思い出したりする。
この山茶花という植物の名称については、日本において定着するまでには、やはりいろいろな混乱もあったらしい。「椿(つばき)の漢名(中国名)「山茶花」が、 いつの頃からかこのサザンカの名前として間違って定着した。」などというエピソードは、面白い。
山茶花と椿は、花の感じなど、外見はよく似ているようである。「春に椿、夏に榎、秋に萩、冬に柊と言われるほど、春の季語として有名なツバキ。一方サザンカは冬の季語。ですから秋の終わりからツバキが咲いてると思ったら、まずサザンカかな?と疑ってよく花をみてください。他の花と同じように花びらが散っていたらサザンカですから。」というのは、参考になる話だ。
「さざんかは日本特産種で九州や四国に自生する。」という。そして、「江戸時代に長崎の出島のオランダ商館に来ていた医師ツンベルクさんがヨーロッパに持ち帰り、西欧で広まった。」だから、「学名も英名もサザンカ(Sasanqua)」なのだとか。
さて、童謡「たきび」を思い出したので、少しだけ、この童謡の事に触れておきたい。
まず、「童謡「たきび」のうた発祥の地」は、現在の東京は中野区の上高田である。岩手生れの「童謡の作詞者・巽聖歌(本名 野村七蔵 1905~1973年)」が、この童謡を作ったのは、「昭和5、6年頃から約13年の間、功運寺のすぐ近く、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでい」たのである。
(ちなみに、小生も、上京した折には、新宿区の西落合のアパートに住み、ついで中野区上高田に移り住んだ。西落合は新宿区だが、実際には上高田へは徒歩で数分だったはずである。上高田のアパートが風呂付きなのが魅力で転居したのだった。界隈には、哲学堂公園や新井薬師寺などがあることなどは知っていたが、「たきび」の作詞者・巽聖歌が居住していたことがあったとは、当時、まるで知らなかった。)
この「たきび」という童謡には、作られたのが戦中ということに関わる、有名な逸話が残っている。
「童謡についての一考察 志村和美」というサイトを覗くと、「この童謡は戦時中に「たきびも敵機の目標になる」などという理由で軍部などからNHKの幼児の歌のおけいこ番組などの放送をさしとめされた。」というのである。
さらに、「戦後の音楽教科書がこの童謡をとりあげたとき、各社版とともに水の入ったバケツと大人の姿が挿絵の中に描かれていたものである。」などと書いてある。
現代においては、余程、人里離れた場所でないと、焚火をするのは、難しい。が、小生のガキの頃は、町になっていたとはいえ、農村の名残の濃かったこともあり、庭先でゴミを燃やすのは当たり前だったし、ドラム缶か何かの風呂に入った記憶もある。当然、木屑などを燃やす。煙も立ち昇る。が、近隣の誰彼から苦情が来るなどということは、なかった。
何処の家でもやっていたことで、何も焚火という意識はなく、必要があれば、木切れなどを燃やして、紙屑を燃やしたり、季節によっては、サツマイモを焼いたりする。丁度いい火加減だったのか、ホクホクになった、ちょっと焦げた部分もあったりする焼き芋を頬張るのは、無類の楽しみだった。
そんな時、みんなして、童謡など、歌ったものだったろうか。
さすがに、今の住宅事情では、焚火どころか、紙切れ一枚だって燃やすのは、憚られる。焼き芋など、庭先で焼くなど、ちょっと考えられない。
ホクホクに焼きあがったサツマイモは、現状では夢の夢として、部屋の中では、読書などして、夢想の世界を旅して回る。遥か数千年の昔から、遠い未来へ、東京の都心に繰り広げられるドラマから、世界の出来事まで、極微の世界から銀河の彼方にまで、想像の輪は、何の制約もなく広がっていく。時に、危ない、禁忌の世界へも、本能と欲望の導くがままに踏み迷っていく。
というわけで、月曜日には、ミハイル・バフチンの『ドストエフスキーの詩学』(望月哲男・鈴木淳一訳、ちくま学芸文庫)を読了した。「ポリフォニー小説」という性格と、「カーニバル性」という観点は、今となっては、現代小説論の古典なのだろうし、小生には目新しさは感じなかったのだが、それは、ある意味、常識になっているからなのだろう。
だからだろうか、時折、引用されているドストエフスキーの小説の断片を楽しみに読んで行ったりして。
自宅では、週初めから、カフカの『アメリカ』(中井正文訳、角川文庫)を読み始めている。小生などにカフカ論を期待しないだろうが、彼の『変身』は原書で(翻訳では7回か8回。ドストエフスキーの『白夜』と並ぶ愛読書だ)、『城』は、翻訳書だが、繰り返し読んだものとして、改めてカフカの世界の摩訶不思議さを感じている。
あくまで虚構の作品、想像力の産物なのだが、個々の場面はリアルに描かれているのだが、しかし、どの場面も夢の中に自分がいるような気がする。夢の中での出来事の渦中に自分があって、その掴み所のない分析不能のカフカ独特の浮遊感は、他のどんな作家も真似などできない。
車中では、『カザノヴァ回想録』(窪田般彌訳、河出文庫)を読み始めている。古沢岩美の挿絵もあって、懐かしい。学生時代、アパートで息を潜めるようにして読んだものだった。サドの一連の本、作者不明の『我が秘密の生涯』、バタイユの一連の本、などと併せ、文学的な優劣など度外視して、貪るように読んだ、そんな本の一冊。昔の自分に再会するようで、なんだか息苦しくなるが、さて、四半世紀ぶり以上の時を隔てて読むと、どんな感想を持つものか、それもまた興味津々だったりるす。
掲げた写真は、昨日の「冬 曙 (ふゆあけぼの)」と題した日記に掲げた写真の数分後に撮ったもの。場所は、小生がよく朝焼けの写真を撮るのと同じ場所である。どことなく不穏な空。
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