« 荒む心 | トップページ | 冬 曙 (ふゆあけぼの) »

2004/11/16

冬に入る

tanu-7171.jpg

「冬に入(い)る」というのは、冬の季語のようである。「11月 季語 句」をキーワードにネット検索してみて1万を越える検索結果の14番目に見出したもの。
 それは、「黛まどか「17文字の詩」99年11月の句」と表題にあり、当該頁を覗いてみると、次の句が載っていたのである(その解題は、案内のサイトを覗いてみてほしい)。
 但し、「「冬に入る」とは、陽暦で11月7~8日に当たる「立冬」のこと。俳句ではこの日から季節は冬に入るとされています。」という点だけは、小生自身のメモとして転記しておこう。ま、俳句の世界では、先週から冬に入っているわけである:

 大切なもの皆抱へ冬に入る

 尤も、その前の、「団栗の拾はれたくて転がれり」も、なかなか暖かみがあって、いい。団栗(ドングリ)が秋の季語として出ていて、秋の季語として、今日、採り上げるにも相応しい。
 が、今夜は昨日の雨のせいもあり、寒気が入り込んでいるようだし、いよいよ晩秋の趣が濃くなっている。まだ、冬には幾分の間があるのだが、これまでの中途半端な温みに馴れた体には、冬の到来を予感させて、つい、「冬に入る」を選んでしまった。

 今度は、「冬に入る」をキーワードにネット検索してみる。四千余りの検索結果の筆頭には、なかなか好ましいサイトが浮かび上がってくれた。「季語の風景|冬に入る」である。
 写真(写真部・河村道浩)も素晴らしい。「文・山崎しげ子(随筆家)」となっている。小生の日記を読まれてきた方なら、ああ、前にもこのサイト(書き手)が出たな、と感づいたことだろう。
 文章もいいが、彼女の句も素敵だ:

 蔦の葉の紅を深めて冬に入る

 そうそう、この一文を読んでいて、菱田春草が「落葉(らくよう)」と題された屏風絵を制作して二年程で失明し、「三十八歳の若さで他界した」ことを知った。
 せっかくなので、その絵を「国民絵画の創出―菱田春草『落葉』」というサイトにて、鑑賞してみる。岡崎乾二郎氏の興味深い解説があり、小生としては、このサイトの発見だけでも、日記を書いた甲斐があったというものである。

 この他、ネット上で、「冬に入る」を織り込んだ句が幾つも見つかった(ちなみに、このキーワードだと、上掲の黛まどか氏の句は9番目に登場した。人気を実感する)。ここでは一つだけ:

 凪わたる地はうす眼して冬に入る    飯田 蛇笏

 何故、一つしか挙げないか。実は、「冬に入る」と題された小説があるらしいと分かったからである。それは、「 「冬に入る」を検証する。 ……… 上野友紀子 」をヒットしていたことで分かった。
 このサイトによると、「「冬に入る」は、昭和二一年(一九四六)一月に筑摩書房より発行された雑誌『展望』
の創刊号に掲載されている。 」という。
 どうやら、終戦直後の日本の食糧事情、衛生状態の劣悪さが齎した数千を越えるという餓死者という現実を背景にした小説のようである。
 だが、書き手は誰なのか…。読み進めていくと、中野という名前が出てくる。ということは!
 よって、「冬に入る  中野重治」をキーワードにネット検索する(ヒット件数34!)。すると、やはり案の定で、中野重治の小説なのだった。
 言うまでもなく、中野重治の「冬に入る」という題名は、(恐らく)俳句の季語とはまるで関係ない。検索の網に掛かった「中野重治研究【1】 中野重治と「戦後最初の五年間」  草間健介」を覗いてみる。草間健介氏は、「中野は、単純に季節の「冬」に入ることをさして題名としたのではないと私は考えている」と書いている。
 ついでながら、上掲の一文に引用されている、イェーリング『権利のための闘争』の言葉は、峻烈で、小生には眩しい。念のため、転記しておくと、「あらゆる権利の心埋的源泉、を法感情という。法感情が被った侵害に対して反応する力は、法感情の健康さを試す試金石である。感受性すなわち権利侵害の苦痛を感ずる能力と、実行力すなわち攻撃を撃退する勇気と決断は、健全な法感情の二つの規準だ。」
 たまには、こういう文章も読んで、気合を入れておかないと。

 さて、日記らしいことを少々。この久しぶりの連休は、メルマガも出したし、掌編も一つ書いたし、日記は欠かさず書いたし、この「無精庵徒然草」の別室として、掌編など創作系を載せるための「無精庵方丈記」を設け、三つだけだが、未アップだった掌編などをとりあえず載せたし、まあ、やるだけのことはやったと思う(思いたい)。
 ところで、メルマガなどで示してあるように、この「無精庵徒然草」は、ニフティと同時に、melmaでも出している(「melma!blog」後者には、カウンターが初めから備わっていて、ただ今の数字は、7066である。一日に150回以上、数字が増えている。
 ちなみに、ニフティの「無精庵徒然草」には、土曜日の深夜に設置。今のところ、累計アクセス数が65 となっている。両方を合わせると、日に200回以上の来訪がある、ということなのか。他にホームページへの来訪もあるし、覗かれる回数だけは、なかなかのものだ。
 なんだか、ちょっとプレッシャー?!
 そのプレッシャーを跳ね除けるには、駄句作りというプレジャーが一番:
 
 冬に入る心構えもそこそこに
 秋の香を愛でる間もなく冬に入る
 紅葉を待ち焦がれる間に冬に入る
 ひとり寝の憂きに疼いて冬に入る
 味噌汁を啜る音聞き冬に入る
 冬に入る落ち葉の蒲団被りつつ
 降る雨がいつしか雪に冬に入る
 静かさを持て余しつつ冬に入る

 掲げた絵は、小生がtanuさんサイトで7171というきり番をヒットしたと告げたら、プレゼントとして作ってくれたもの。忙しいのに、ありがとう! 嬉しい! 

|

« 荒む心 | トップページ | 冬 曙 (ふゆあけぼの) »

季語随筆」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 冬に入る:

« 荒む心 | トップページ | 冬 曙 (ふゆあけぼの) »