木枯らし1号が吹いた
車中での楽しみは、時にお客さんと交わすお喋りもあるが、最近は、お客さんが一人でも、携帯電話で誰かと話をしたり、そうでなくとも、ピッピッと何かやっている。メールでも流そうとしているのか、ゲームに興じているのか、いずれにしても、数年前よりはお客さんとのお喋りという楽しみの機会も減っている。
尤も、自分に付いては、あまりに長い不況で口を聞く元気もなくなっているような気もするのだが。
で、お客さんが乗っていない間は、ラジオ(やCD)を聞くのが楽しみであり、また、情報源ともなっている。
音楽のことは、前にも書いたし、今日は、ラジオから仕入れる雑然たる情報を思い出すままに書き連ねてみたい。
ここなどにメモ書きすることで、後日、エッセイやコラムを書く時の格好のネタになる、そんなことを期待してのことだが、大半は気になりつつも、次から次へと飛び込んでくる情報の渦に押し流されていくのだけど。
今週初めの営業の時(月曜日)、「俳句力」という言葉と話を(NHKラジオで)聞いた。小林木造という方が、まさにこのタイトルの本を出されたという。一部では話題にもなっているらしい。小生は、全くの初耳である。
調べてみると、『俳句力―ゆっくり生きる』(日本放送出版協会)である。なんだ、NHKが自社で出した本の宣伝をラジオで行っているだけのことか…、そんな落ち(?)もあったけれど、それでも話の内容は、聞きかじりだが、なかなか面白かったという印象が残っている。
ネットで本書の謳い文句を調べると、「東京・荻窪の古びた木造アパートに暮らす自然観察漫画家が、緻密な四コマ漫画で描く、「俳句的生き方」の世界。『NHK俳壇』テキスト掲載「俳句一年生」と、都市の小自然を描いた「東京地方区フィールドノート」を収載。」とある。
ちなみに、著者名=俳号の「木造」は、著者が木造アパートで長年暮らしてきたことから採ったという。紹介文の中の、自然観察漫画家というのもポイントで、必ずしも売れっ子ではないらしい(?)著者が、漫画を描くに際し、自然観察を積み重ねてきた、その経験が俳句作りに生きている、そんな話も聞けた。
ネットで探すと、「日刊ゲンダイに掲載された書評」が見つかった。「この作品は教育テレビの講座番組「NHK俳壇」のテキストに掲載されていた連載の単行本化」だとか、「著者の小林木造氏は、生活の糧として官能劇画を描くかたわら、趣味で描いた小さな動植物をテーマにした「自然観察漫画」で注目を浴びる漫画家」といったことが書いてある。
その上で、「空き地に咲いているソバの花や、公園のケヤキの幹に産み付けられたシロホシテントウの卵など、多くの人が見過ごしてしまう身の回りの小さな「自然」を注視したその作品は、ミスマッチと思われる俳句に相性がぴったりなのだ。というよりも、小さな命をいとおしむように見つめるその作品自体がもはや俳句の域に達しているようにも思える」という紹介が関心を惹く。
「本書では、俳句に初めて挑戦することになった著者が歳時記を買いそろえるところから始まり、句会や吟行に足しげく通って俳句を作る過程をこまやかに描きながら、句会の仕組みや、句作のポイントなどを紹介する」というが、この四ヶ月あまり、駄句作りに勤しんできた(?)小生には、俳句にまともに取り組む著者の姿勢が眩しいし、参考になる。
「俳号の木造は、住まいの築38年の木造モルタルアパートにちなんで思いついたもの。著者は、この風呂もクーラーもないアパートに26年間も住み続けているという」のも、著者の売りに(出版社によって?)なっているのだとしても、それはそれで一つの姿勢なのだと感じ入る。
「自己表現は個の確立につながっていくから「俳句力とは、イコール生きる力」と」著者は主張しているらしいが、確かに小生についても、執筆という形で自己表現をすることで、ふわふわした我が人生に幾許かの芯が通っているのではと思ったりする。書く、徹底してあれこれと書いていくということに拘っていくことで、やっとバラけがちな自分が保たれているのかもしれない。
著者がどんな漫画を描かれるのか、一つくらいは見たかったが、ネットでは見つからなかった。
小林木造氏の情報をネットで検索していたら、『中年からの俳句人生塾』(著:金子兜太 海竜社)という本の、やはり「日刊ゲンダイに掲載された書評」が見つかった。本書については、ここでは敢えて中身について触れないが、過日の日記でも金子兜太氏の名が出てきたこともあり、近いうちに読んでみたい本としてチェックしておく。
同じ日だったと思うが、補助犬の話を断片的にだが聞いた。
補助犬という名称は、やや耳に馴染みが薄いかもしれない。介護犬や盲導犬、聴導犬と、人の生活などを介助する犬がいろいろあるが、その総称らしい。
「日本介助犬アカデミー」という特定非営利活動法人の公式サイトがある。
その表紙の冒頭に、ちゃんとした説明がある。
「身体障害者の自立を助ける犬-身体障害者補助犬- には、視覚障害者の誘導をする盲導犬、聴覚障害者の耳の代わりをする聴導犬、そして肢体不自由者の動作を介助する介助犬があります。」という。
ラジオでは、介助犬の話を聞きかじったようである。介助犬の訓練内容とは、「上肢機能の代償として落としたものを拾ったり手の届かないものを取ってきて渡す他、電気等のスイッチ操作、ドアや引き出しの開閉、荷物の運搬、車椅子を引く、姿勢保持や歩行を助ける、体位・肢位移動など、障害者のニーズに合わせた作業訓練を受けます」という。
ここには、詳しくは書かないが、犬が好きという方に限らず、詳細を上掲のサイトに当たってみて欲しい。特に、「よくわかる補助犬同伴受け入れマニュアル ~盲導犬・聴導犬・介助犬~」は、もっと広く知られてもいいのかと思った。
話では、話の本筋ではないのかもしれないが、アナウンサーから、補助犬(介助犬)について、最後に何か特に言っておきたい事はありますかという問いへの返事が印象的だった。
書き漏らしているが、話をしていたのは、高柳友子氏(日本介助犬アカデミー専務理事、東京医科歯科大学大学院国際環境寄生虫病学分野講師、内科医師)だったと思う。
さて、彼女が最後にされた話とは、介助犬(補助犬)も、基本的には犬であり、生きている動物だと言うことだ。
つまり、こうした犬は、上述したように訓練された犬であり、やたら吼えたりはしないし、まして人にどうこうはしないが、ただ、例えば、尻尾を踏まれても「ワン!」の一声も発することがない、というわけではない、ということ。
何をされても大人しくしていない、虐められても黙っていることを期待されるのは酷だという話。そりゃそうだよね。あくまで、人のパートナーであり、その前に生きている動物なのだということは、周りの人も理解すべきなのだろう。
他にも、ラジオで今週聞いた話だけでも、いろいろある。羅列しておくと、「童歌(わらべうた)」の話(小生、エッセイ「童謡・唱歌の世界に遊ぶ」などで採り上げてきたが、これからも折を見て、改めて探究してみたい。童歌の世界は奥が深いのだ)、「十月桜」の話、「明珍火箸」の話(ラジオで火箸同士がぶつかって生じる音だったろうか、澄んだ妙なる響きを聴いて感動したものだった)、「ニキータ・ミハルコフ」という映画監督の話、前にも違う脈絡で触れたことがあるが、「炭の復活」の話、「11月13日、ヘリコプターの初飛行成功」にちなむ話(但し、「ヘリコプターの日」は、4月15日である。
一週間で聞いただけで、これだけなのだ(他にも聞いたが洩らしていると思う)。もう、エッセイなどのネタは、ゴロゴロしている。
ここに小生が車中で、暇の徒然に感じたことを多少なりとも、それも箇条書きで付け加わるわけだし、他に、仕事中に見る都内の風景や奇妙な看板、広告、人物などを並べ立てると、項目だけで日記がパンクしてしまうのである。
これなど、タクシー稼業の余禄というものだろうか。
そうだ、一つだけ、金曜日に何処かで見かけた店の看板(店名だったかな?)に絡めて遊んでいたことをチラッと。
「やまとや」と書いてあったと思う。
小生、結局は挫折に終わったのだが、この「やまとや」を使って、駄句など綴れないかと、苦心惨憺していた。
「やまとや」を三文字ずつに組み直して、「やまと」、「やとま」、「とまや」、「とやま」、「まとや」、「まやと」にする。
例えば、「やまと」は「大和(他に、山戸や山門など)」だし、「やとま」は、「屋と魔」とか「矢と魔」などだし、「とまや」は、「苫屋」(参照:見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ)だろう。
また、「とやま」は、言うまでもなく「富山(他に、外山や戸山など)」だし、「まとや」は、「的や(つまり、無理を承知で的屋だ?!)」だし、「まやと」は、訳が分からないのだが、無理を圧して「マヤと」とか、「麻耶(真野など)」などと当て嵌めるわけである。
あとは、順列と組み合わせで、何か駄句がひねり出せないかと、休憩を兼ねて駅で待機しつつ考えていたら、お客さんが乗ってこられて中断、あとを続けることができなかった。
ま、そんな遊びなどをダラダラとやっているわけである(そんなことばっかり、やっているわけではない! 念のため)。
参考のため(何の参考なのか、小生にも、さっぱり分からないが)、帰宅して寝入ろうとしたら、ふと、そうだ!「トマト」もあるじゃないか! と閃いたことを蛇足ながらに付け加えておく。
ま、これで、駄句を綴るための素材は、随分と纏まったわけなのだが、さて。
冒頭に掲げた写真は、十日前に都内で撮ったもの。写っているのは東京タワーである。ちなみに、小生、一度は上ってみたいと思いつつ、今日まで念願が叶っていない。誰か一緒に登って欲しい。
さて、その写真、写るは粉雪…、かと思いきや、ジャーン、違うのです。近くの工事現場を通ったら、埃を舞い上げないように撒く水を跳ね上げ、フロントガラスなどが呆気なく飛沫に汚れてしまったのです。
黙って、十一月の三日に都内で小雪が降りました、この写真がその証拠です、などと言ったら、皆さん、信じてくれるだろうか……。やっぱり、無理そうな雰囲気。
というわけで、表題の「木枯らし1号が吹いた」に、とうとう、全く辿り着けなかった。ま、頭の中に木枯らしが吹いて、書くのを忘れた、などとも言えないし、この話題は後日、(覚えていたら)書くかも。
以下の駄句の仕掛け、分かるかな:
木枯らしよ富山の苫屋飛ばすなよ
木枯らしに草葉の陰で地蔵泣く
木枯らしも澱む心を吹き抜けず
木枯らしを丸ごと受けて撓む木々
木枯らしか唐辛子かと聞き違え
木枯らししきりの夜の東京
木枯らしな吹きそ我が胸に
木枯らしは冬将軍の先触れか
木枯らしな吹きそ彼の髪に
木枯らし白樺の枝葉殺いでいく
木枯らしに洗濯物の揺れており
木枯らしな止みそ塵埃の消ゆるまで
木枯らし空気の澄みて星増える
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コメント
初めまして。ブログへのコメントありがとうございました。
失礼とは思いましたが記事を読む前にコメントを。後程ゆっくりと(^^ゞ
それにしましても、すごい文字数・・・
最近、こんなに長いものはWEBでは読んだことが無かったのでかなり驚いてます。 by td
投稿: td | 2004/11/14 00:46
tdさん、こんにちは。メッセージをありがとう。人気ブログランキング(写真)週間INで、1000ポイントをマーク、おめでとうございます。
読まれないと思いつつも、つい、書いてしまう。その代わり、いろんな情報を盛り込んでいますけど。
投稿: 弥一 | 2004/11/14 12:25