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2004/11/11

優曇華の花

 優曇華(ウドンゲ)というのは、「仏教の中で「三千年に一度花を開くという想像上の植物」のこと」で、「優曇華の花というのは,“めったにないもののたとえ”として使われる用語」のようである。
 昨日付けの日記で、曼荼羅華のことなど」という表題にしたからだろう、その日の営業に出て、しばらくしてからだったろうか、そういえば、ウドンゲ(の花)ってのもあったなあ、と思い出したのである。
 思い出そうとして浮かび上がってきたわけではない。どうやら、頭の中で勝手な連想の波動が生じていたらしい。曼荼羅華、華(ゲ)、→ウドンゲというわけであろう、か。
 ところで、ウドンゲの花と呼ばれる花の実体は何かと言うと、「クサカゲロウの卵」なのだとか。
 尤も、「優曇華の花は,クワ科のフィクス・グロメラタであると言われてい」るとしているサイトもあるのだが。
 が、やはり、クサカゲロウの卵をウドンゲの花と勘違いしたと説明しているサイトが多いようである。「K's Natural Living ~花のある暮らし~」というサイトの、「クサカゲロウの話 その2」を覗くと、「クサカゲロウが卵から孵ったあとはこのような真っ白な卵殻が残り、あたかも花が咲いたようです・・・。」として、可憐で何処か夢幻的な画像が掲げられている。
 面白いのは、「クサガゲロウを漢字でどう書くと思われますか?もちろん草蜻蛉ですよね?!」以下の一文。「草の間に身を潜めているから”草”カゲロウだと思っていたのですが実は・・・なんと”臭”カゲロウだったんです・・・(^^ゞ」という。「クサカゲロウを手でつかむと独特のにおいを出すらしいのです。そこから付いた名前だそうです。」だとか。
 そこで、クサカゲロウをもっと調べようと、ネット検索をしてみたら、「も吉の物置部屋」の中の「クサカゲロウ」のをヒット。
 そこに載せられているクサカゲロウの姿もなかなか優美だが、「曇華はウドンゲと読み、三千年に一度しか咲かないというインドの伝説の花だ。サンスクリット語のウドゥンバラ・プシュパに優曇波羅華の字をあてたものがさらに略されたらしい。」などと書いてあることが目を引いた。
 まさに余談になるが、「世間には「優曇華」っつう名前のうどん屋が相当数存在することを知った」というので、ネット検索してみたら、なるほど、本当だった。世の中には、安易な仕方で店名を付ける店も多いのだ。
 そうはいっても、実は正直のところ、小生など、優曇華→ウドンゲ→グドンゲ→愚鈍気と連想していた。そんな小生よりは、まだましなのかもしれない?!
 それより興味深いのは、次の一文だ。「クサカゲロウの卵以外にも優曇華の花と呼ばれているものがいくつか存在する。バナナの花なんかもそのひとつで、わが国では珍しいことからウドンゲ扱いを受けていたらしい。」しかも、「不思議なことに、「日本における優曇華の花は凶兆だった。」というのである。
 さて、この「優曇波羅華」という言葉は、『法華経』の「妙荘厳王本事品第二十七」に出てくるようである。その下りを前後の脈絡なしに引いてみると、「優曇波羅華(ウドゥンバラ・プシュバ)の咲き難い様に、仏に会いたてまつる事はさらに難い。諸難をまぬがれることもまた難い。願わくは我らの出家をゆるしたまえ。」などである。
 話が、またまた逸れるが(といっても、何かを書かなければならないという義務もないのだが)、「サンスクリット語のウドゥンバラ・プシュパ」を漢語に訳して、優曇波羅華となり、それが更に略されて優曇華となったようだが、そもそもサンスクリット語の言葉を漢語に訳すというのが、実に崇高と言うか、とんでもない荒業だったような気がする。
 無知なるがゆえの勝手な思いに過ぎないのだが、原語の「ウドゥンバラ・プシュパ」が、どういう意味合いを持つのかが、まず疑問に思う。思うが調べようがない。
 また、このサンスクリット語の言葉が、優曇波羅華と訳されることに、語義的な正当性あるいは妥当性があるのかどうか、全く分からないで居る。近代、あるいは現代においては、翻訳するとは、基本的には意味を訳すことに尽きる(全てではないのだとしても)。
 が、遠い昔はどうだったのだろう。ただ、直感的には意訳以上に、語感的な近さが重視されていたような気がする。
 もっと、卑近な言い方を素人の大胆さで遠慮なく言わせて貰うと、駄洒落的な訳に近いような気がするのである。
「ウドゥンバラ・プシュパ」→「ウドンバラ…バ」→「ウドンバラバ」→「ウドンバラゲ」で、そこに漢語を当て嵌める。千数百年の昔の中国語(漢語)の発音と、訳す以上は何かしらアリガタイ漢語を選択し、当て嵌める。
 単なる駄洒落ではなく、意味連関や、選んだ言葉の有難味の有無、そして膨大な仏教文献との連関性。つまり、その言葉の出てくる場面だけではなく、他の言葉(選んだ漢語の漢字)との整合性をも考慮に入れての高等なる駄洒落翻訳という難行。まさに、インドの古代文明・文化に匹敵する歴史と、漢字というとんでもない中国の財産があればこそ可能だったのだろうが。
 経典の漢語への翻訳というと、鳩摩羅什(くまらじゅう:350~409)などを思い出す。
 またまた余談だが、ネットでは、鳩摩羅汁と表記されている事例の多いこと! これって、クマら汁! 美味しそうな拙そうな、訳の分からない…代物だぜい。
法華経と鳩摩羅什」を覗いてみる。
「中国の南北朝時代初期に仏教経典を訳した僧。」で、「7歳のとき母とともに出家した。はじめ原始経典や阿毘達磨仏教を学んだが、大乗に転向した。主に、中観派の諸論書を研究した。」という。「主な訳出経論に『坐禅三昧経』3巻、『阿弥陀経』1巻、『大品般若経』24巻、『妙法蓮華経』7巻、『維摩経』3巻、『大智度論』100巻、『中論』4巻などがある。」とか。
 洛南タイムス社の「山と遺跡とオアシスの覚え書き タクラマカン砂漠一周の旅 内田 嘉弘 第20回」にも、「宮本輝著『ひとたびはポプラに臥す』の―旅の始まりに―」からの引用の形で鳩摩羅什の説明が載っている。
 
 我々に馴染みの言葉、「彼岸」にしても、サンスクリット語の「パーラミター=波羅密多」の漢語訳から来た言葉だという。
 小生も名前だけは知っている般若心経。この経典は、「西遊記の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵の翻訳によるもので、これは、全600巻という膨大な量の「大般若経」から、エッセンスだけを抜き出してまとめた」ものだという。「正しくは「般若波羅密多心経」と言い、言語のサンスクリット語で分解すれば、「般若=プラジュニャー(最高の智慧)」・「波羅ム=ハラム(彼岸=悟り)」・「イ多=イター(渡る)」ですから、「彼岸へ渡るための智慧」とな」るのだとか。
 般若心経については、「美しい般若心経」が興味深い。

 またまた回り道が過ぎた。優曇華の花に戻る。
 優曇華の花は、『法華経』の日本での存在の大きさもあってか、古来より文献に登場する。『うつほ物語』、かぐや姫との絡みで『竹取物語』、『源氏物語』…。
『源氏物語』では、「若紫」の帖で、「優曇華の花待ち得たる心地して深山桜に目こそうつらね」の和歌が見出される。
 小林一茶にも、優曇華の花が詠み込まれている。

  甘い露芭蕉咲とて降りしよな
うどんげや是から降らば甘い露
日本のうどんげ咲ぬ又咲ぬ
法の世や在家のばせを花が咲く

 この中に、「甘い露芭蕉咲とて降りしよな」という句がある。優曇華が登場しない。
 ネット検索してみると、芭蕉の花は、優曇華の花の異称だとあった。
 が、俳句の世界では、優曇華も芭蕉の花も、共に夏の季語なのだが、優曇華というと動物の扱いになり、芭蕉の花というと植物の扱いとなる。
 が、一茶の句を見ると、いずれの「うどんげ」も、植物の扱いのようである。素人的には、得心がいかない。
 小生も、優曇華にちなむ句をひねってみたいが、悲しいかな、優曇華の花、それとも、クサカゲロウの卵(卵殻)を見たことがない。

 夢にても優曇華の花よ咲いてみよ
 優曇華よ愚鈍なる我憩わせよ
 優曇華よ花ならずとも咲いてみよ
 優曇華よウドンの汁(つゆ)に飛び込むな
 咲かぬはず虫の抜け殻優曇華は
 
 さて、日記らしく、今日、やったことを記録しておく。「エッセイ祈りの部屋」に、「いかりや長介さん死去 他(51-53)」をアップした。「いかりや長介さん死去」「ネット上のヒロイン追悼」「田尻宗昭氏のことをラジオで」の三つの文を一挙に載せた。いずれも、既にメルマガにて、半年あるいはそれ以上の以前に公表していたもの。
 載せた趣旨は、当該頁の冒頭に記してある。
 アップに際し、頁の途中に付記した一文だけでも読んでもらいたい。

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「民家で発見!3000年に1度しか咲かないという伝説の花」
http://rocketnews24.com/?p=26380
3000年に1度しか咲かないと言われる伝説の花「優曇華(うどんげ)」が、中国の民家に姿を現した。海外メディアが1日報じたもので、民家の近隣にある寺の僧侶が確認し、間違いないという結論が下された。
優曇華とは、仏教経典において3000年に一度花を開き、そのとき如来が現れるとされる伝説の植物。日本でも「めったにないもの」を例える用語として古くから使われており、『竹取物語』『源氏物語』といった古典文学や、夏目漱石の『虞美人草』などの近代文学にもその名が登場する。また、実在するクワ科のフサナリイチジクを指す場合、昆虫クサカゲロウの卵塊を指す場合もある。だが今回見つかったのは、霊験あらたかな伝説の植物だったそうだ。

江西省のある民家で優曇華が発見されたのは、先月27日のこと。正体を知らなかった民家の主人は不審に思い、長さ1ミリ程度の植物を虫メガネで観察。すると小さな花が見えたため写真を撮影し、近隣の寺へと届けた。その後、その寺の僧侶が民家を訪れて観察し、伝説の花だと特定した。驚くべきことに27日の発見当初は2輪しか花をつけていなかったが、翌日には18輪に増えていたそうだ。

民家の主人は「初めは昆虫が生んだ卵だと思ったが、虫メガネで見てみると花の形をしていたので寺に届けた。3000年に1度しか咲かない花が、我が家で見つかるなんて信じられない」と喜びを語る。また優曇華だと確認した僧侶は「私だけではなく、3つの寺から僧侶を集めて確認した結果だ」と述べた。
                (以上、転記終わり)

うむ。真偽のほどは分からない。

投稿: やいっち | 2010/03/04 19:46

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