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2004/10/05

有情の雨か

 我がサイトが、恐らくは昨日の朝、未明の頃にか、5万ヒットしたらしい。文章しかないサイトで、訪れても必ずしも楽しいとは思えないサイト、表紙を含め、デザインの面でも趣向を凝らすというわけでもない。開設したのは、三年前の2月5日である。恥ずかしながら、勉強嫌いの小生のこと、このサイトの開設に当たっては、業者任せだった。一応は、ホームページ作成ソフトも購入し、つらつら眺めてはいたのだが、頓馬な小生、ホームページをアップする、「FTP」ソフトなる存在を知らず(あるということ自体を知らず)、あれこれホームページのデザインを弄るばかりで、一向にアップできないで途方に暮れていたのだった。
 で、とうとう、専門業者にアップを任せる仕儀に相成ってしまった。思えば恥ずかしい。でも、今から思えば懐かしい。小生、走りながら考えるタイプなので、これでいいだろうと納得してから行動しようと思っていたら、そもそも、HPの作成・アップなど行わなかったに違いない。
 その後、開設して約一ヵ月後くらいに、友人に「FTP」ソフトなる存在を教えてもらったものだった。
 アップの仕方が分かってからは、文章の類いだけは、ドンドン、自分でアップしていった。で、とうとう、文章だらけのサイトになったというわけである。HPのデザインなどは、勉強嫌い・工夫もできない性分が現れて、試みようとさえしないままに今日に至ってしまった。そのうち、なんとかしようとは思ったし、思っても居るのだけど。
 
 地味で、ちょっと窮屈なサイト。でも、要するに、エッセイやコラム、日記、掌編などを収め、あるいは、このHPをベースにメールマガジンを出せればいいのだから、これでいいのかな、とも思ったりする。
 さて、では、一番肝腎な中身はどうなのだろう。
 当初はエッセイやコラム、書評感想文などを収めていたが、一昨年からは、掌編をメインに収めるようになった。そう、小生が一番、力を入れているのは、そしてやりたいのは、表現したいのは、掌編というか虚構作品なのである。物語と言えるかどうか、小生の場合、やや微妙だが、虚構世界に徹したいという思いは紛れもない。
 書いてある掌編が、思い出の形を取っていても、それが実話だと思ってくれたら、それこそ、作者冥利に尽きる。
 5万ヒット、おめでとうというメッセージを寄せてくれた方への返事に、小生は、このようなことを綴った。ここに転載する:
 
思うに、彼はヒーローだけど、世の中には、人に見えない形で頑張っている人が数知れずいるのだと思います。誰にも祝福も感謝もされない。それどころか、下手すると、踏みつけにされているかもしれない。誤解されて。それでも、頑張る人。そんな人こそが、ホントのヒーローだと思う。小生の小説の中では、決して人には注目を浴びないような、情ない人物ばかりが登場する。意志も薄弱だったり、知性も鋭い訳じゃない、人に好かれるわけでもない、見栄えがするわけでもない、でも、そんな奴にだって、広く深い世界がある。時にジメジメジトジトしているかもしれないけれど、それでも、一個の宇宙があるのです。小生は、そんな世界を描きたい。人にはそんな世界は好かれないだろうけど。でも、そんなものしか書けないんだから、仕方ないよね。

 ちょっと野暮ったい書き方をしているけれど、ぶっちゃけたところ、小生が描きたいのは、まさに、野暮でドジで不器用で、時に愚かでもあるような奴(ら)の世界なのである。
 それさえ、描ければいいのだろうとも最近は思っている。もっと、素晴らしいような、輝かしいような世界もあると思うのだけれど、そういう晴れ晴れとした世界を描きたいという欲求は強く感じてはいるのだけれど、いざ、虚構作品を創ろうとして、一行・二行と綴り始め、その文面にリアリティを追い求めると、そこに登場する人間、立ち現れる世界というのは、情ないようなものばかりなのだ……。これは、もう、病膏肓、これが我が掌編(虚構)作品ワールドなのだと割り切るしかないのかもしれない。
 
 ところで、さて、小生のサイト、デザインなどの面では、一向に更新されないし、そういう意味で訪れる方に楽しみを提供することは、望みも当分、なさそうだ、が、しかし、八月末、あるいは九月の半ば近くから、新しい試みは始めている。
 第一段階が、HPの開設なら(尤も、その前にインターネットへの参入があるが)、第二段階は、メールマガジンの配信開始であり、まさにこのブロッグ形式の日記という、この部屋の開設は、第三段階ということになると思う。
 思いつつ、小生、ブロッグを使いこなしていない。まだ、使い方が分かっていない。恐らく、訪れる方も、ブロッグの性格が把握できていないものと思う。
 が、直感的には、ブロッグの世界に参入したことで、新しいステージへの挑戦が、闇雲に始まっていることをひしひしと感じているのである。
 その証拠に、ブロッグ形式の日記を内容は全く同じだが、二つのサーバーで行っている。一つは、ニフティであり、もう一つはメルマ!である。そのメルマでのカウンターが、我がHPのカウンターの数を上回っているのだ。まだ、コメントやトラックバック(これが未だ、小生、やり方も含め分かっていない)も少ないのだが、恐らく、相当な発展・展開もありえるような気がする。
 さて、駄文を綴った。外は雨。冷たい雨。秋の雨。秋の長雨。長雨を古(いにしえ)の人は、時に「眺め」と洒落て、粋な歌など詠んだものである。そんなことは、小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」を例示するまでもなく、常識のことなのだろう。小生も、今夜は雨の音を聞きながら、何かしら、小粋な文を綴ってみたい……、無理かな、似合わないかな。

 秋の雨 ながめせしつつ 小町待つ

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コメント

「思うに、彼はヒーローだけど、世の中には、人に見えない形で頑張っている人が数知れずいるのだと思います。誰にも祝福も感謝もされない。それどころか、下手すると、踏みつけにされているかもしれない。誤解されて。それでも、頑張る人。そんな人こそが、ホントのヒーローだと思う。、、、」
とても励みになります。
私も頑張らなくっちゃ!
孫達が来て、疲れたけど幸せな時を過ごせました。
弥一さんも頑張って下さいね。
でも、お互いに程々がいいかも。

投稿: さくらえび | 2004/10/06 01:14

 さくらえびさん、コメントをありがとう。
 娘さんとお孫さんたちがいらっしゃって、賑やかだったのですね。兄弟ですものね。
 でも、やっと眠りに就いて、静かな夜にひとり、パソコンに向かい、あれこれ思う。至福の時なのか、何かしみじみとしたものを覚える時なのか。
 息子さんとのツーショット。いいですね。微笑ましい。眼鏡も、お二人とも似合ってます。
 小生は、老眼鏡なので、本を読むときだけ懸ける。そのうち、遠近両用のを買って、格好つけようかな。

 程々がいいってのは、そうですよね。小生は、K君ほどじゃないけど、生真面目な一面を持っている見たいだし。小生、冗談や駄洒落が好きだけど、小生のは、真面目一方に考える発想法を押し詰めての駄洒落。どこか無理しているのではと、自戒しつつ、楽しむようにしています。
 そのほうが、周りの人たちも楽しいだろうし。
 お互い、足元を確かめつつ、まだまだ先の長い(はずの)人生、のんびり、楽しみつつ、頑張りましょうね。

 

投稿: 弥一 | 2004/10/06 02:21

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