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2004/10/29

気随気侭

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 表題をどうするか、結構、あれこれ迷ったりする。迷う前に、何も浮かばないことも多い。で、困った時の季語頼りということで、今は秋、ということで、秋の季語をそのまま、あるいは多少は尾ひれなどを付けて使ったりしている。
 で、今日も、秋の季語を調べようかなと思ったら、ふと、表題の「気随気侭」という言葉が浮かんだ。
 この言葉、小生には懐かしい響きがする。確か、この言葉を使ってエッセイかコラムを書いたような…。
 が、ハッキリしない。なので、この言葉をキーワードにネット検索してみたら、小生のサイトが筆頭に現れて、ビックリ:「気随気侭(4)」
 さらに驚いたのは、小生は、メルマガを配信しているのだが、その創刊号のメルマガの名前に(テーマではなく)「気随気侭」を使っていたということだ。すっかり忘れていた。
 この「気随気侭」は創刊号だけで、次に「マージナルマン」になり、「国見弥一の(KY)サイバープレス」となり、やがて、「国見弥一の銀嶺便り」となるわけである。
 では、2001/2/25の創刊号などで、「気随気侭」なる言葉を使ったのは何故なのか、となると、さっぱり思い出せない。調べると、00/3/26という日付でエッセイか何か綴っているらしいのだが、当該頁をクリックして飛ぼうにも、頁が見当たりませんとなってしまう。情ないことである。
 恐らくは、上掲の「気随気侭(4)」に類するようなことを書いていたのだと思う。最初に書き込んだ場は、ニフティのフォーラムで、文学系のフォーラムと思想系のフォーラムに、在宅の日は、必ず一つはエッセイかコラムを載せていた。爾来、やがて公表の場は文学系のフォーラム一本に絞られつつも、今日に至るまで、せっせと書き綴ってきたのだった。
 過去形で書くのは、その文学系のフォーラムが、この25日を以って、閉鎖となったからである。つまり、小生が書いてきた、掌編であれ、エッセイであれ、書評エッセイであれ、その全ての最初の書き込みの場が消滅してしまったということだ。
 毎日、何かしら一本は書く。タクシーの営業は通勤時間も含めると拘束される時間は23時間ほど。その前後は、ひたすら寝るわけだから、月に12日間は、全くネットに関われない(後に、モバイルパソコンを購入はしたが)にも関わらず、毎日ということは、日に2本、エッセイなどを綴る日がしばしばあったということだ。
 小生が、この文学系フォーラムに参入したのは、00年の冒頭からだったろうか。それとも前年の11月にパソコンを購入し、ネットの世界に辛うじて足を浸したわけだから、99年の末からだったか。
 自分は書くことに夢中だったので、気付かないことが多かったが、噂によると、小生がフォーラムに加入する以前は、かなり活発な活動や意見の交換などがあったらしい。論争や喧嘩もあったとか。中にはネットの関わりが結婚に発展したケースもあったらしい。
 が、小生が参入した頃には、かなり落ち着いていた。小生が感じる限りは、滅茶苦茶な数の書き込みがあるとか、喧嘩紛いの議論が戦わされていたという印象はない。
 それより、むしろ、落ち着いたコメントの遣り取りが好ましかった気がする。賑やかではないが、閑散としているわけでもなく、その意味で、喧嘩は大の苦手の小生には、好ましい環境だったかもしれない。
 が、やはり、熱心な書き手やコメンテーターがドンドン消えていく(他のサイトへ、あるいは自前のサイトへ)という長期低落傾向は続いていたようで、ブログの登場も相俟って、とうとう文学系のフォーラムは閉鎖になったようである。
 小生が、他の方のエッセイや小説にコメントを寄せるなどして、遣り取りを密にすれば、その中で仲間も作れたようだが、小生は、そのフォーラムでは自作の書き込みに専念していて、コメントやレスの遣り取りは控えてきた…こともあり、そもそも仲間作りが苦手ということもあって、五年近く文学フォーラムにお世話になったにも関わらず、仲間といえ、今も多少なりとも付き合ってくれている人は、ごく少数に限られている。それでも、ありがたいことだと思っている。
 問題は、さて、これからである。小生は、文章を常にぶっつけ本番で書く。エッセイでも書評でもコラムでもサンバなどのレポートでも、掌編でも、同じ事。下書きを、メモ程度でも準備して書いたことは、少なくともネットに参入してからは、皆無のはずである。
 ある意味、もしかして小生のエッセイや掌編をフォーラムで読まれた方は、下書きを読まされていたということになる。自分としては、その生煮えの原稿を、そのうちに時間を掛けて推敲し完成に持っていく所存ではあったのだが、御覧のように、ホームページやメルマガに掲載した文章は、最初に書きながら考えて綴った原稿そのまま、転載している。転記しているだけである。
 転載の際、多少は手直ししようと思わないわけではないが、小生は、書きたいことがたくさんあって、手直しする時間があったら(あるいは文章をアップする時間があったら)何か新しい掌編の一つでも取り掛かりたいのである。
 推敲し、磨き上げることは、新しい作品を作るパワーがなくなったり、あるいは、何かの間違えで、これまで公表してきた文章のどれかを拾い集めて出版という運びになったら、その際は、本腰を入れて取り組むかもしれないと思っている(そんな時でさえも、時間が惜しくて、初出のままに出版する可能性も十分にありえる)。
 話が逸れてしまった。気随気侭という言葉を何処から見つけてきたのか、何故に選んだのか。恐らくは、自分に杓子定規な発想法を感じるから、ともすると一つの思い込みに囚われがちだから、そんな自分を広い視野に少しでも向けたい、いろんな分野に挑戦したいという、実のところ切実な思いがあってのことだと推測する。
 今年に関しては、掌編百篇という過大なノルマを課したので、ややエッセイなどには力の配分として欠ける憾みがあるが、川柳(俳句)も含め、多様な文章表現の世界を自分なりに試みていきたいのである。

 せっかくなので、駄句川柳などを羅列しておく。例によって、掲示板などにレスする際、付した数々なのである。即興と、もっと品のいい滑稽さを狙ってはいるのだが、即興はともかく、上質の滑稽味は、覚束ない:

   思われて 肩の荷重い 弥一かな
   誰がいい? 迷った挙げ句の 独り身か
   誰がいい? 迷った挙げ句 総スカン!
   窓明かり 恋い慕いしも つれなくて
   傑作は 駄作の泥田の 花一輪
   淡雪や 溶けて流れれて 素顔かな
   淡雪も 踏み固めたら 根雪だね
   頬の雪 溶けて流れて 涙かな
   頬の雪 溶けて流れて 素顔バレ
   雪化粧 悲しみまでが 雪に舞う
   アワダチソウ軒端に揺れて秋深し
   北の田を埋めているのかアキノキリンソウ

 冒頭に載せた写真は、今朝、営業も終わり、会社へ帰る途中、何処かの踏み切りで足止めを食った際に撮ったもの。朝の六時過ぎだったろうか。疎らとはいえ、それなりにお客さんも乗っている。下りの線。仕事へ行く? それとも(遊びか仕事かは分からないが)朝帰り? 行楽? 東京に暮らすと、どんな時間帯にも、人々が盛んに動いていることを日々実感する。
「踏み切りだ 鳴らせ心の警報機」という標語が、意味深である。

 それにしても、昨晩の満月は、凄まじいものがあった。理屈の上では当たり前のことだろうが、車で都内を何処へ移動しようと、月は付いて来る。追いかけるかのように。でも、自分が月影を追い求めているのかもしれない。
 遠く新潟の空の下でも、真夜中であっても、人の心は慄(おのの)いているのだろう。月影を抱く心のゆとりが早く来ることを願う。

 月影よ 心の襞を 照らすのか
 満月や 祈る思いを 隈なくに
 秋の月 凍える身をも 隈なくに
 満月や 車の影も 冴え冴えと
 満月や 吐く息白く 浮かべてる
 月影に あの人の影 今も尚

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