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2004/10/25

「地震」は「なゐふる」という

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 23日に新潟は中越地方を中心に大地震が発生した。その余震は、三日目となった今日も続いている。
 被災地では、今日の夕方から雨が降り出していて、弱り目に祟り目の状況である。屋内では余震が怖く路上(学校の校庭など)にテントを張って避難している方たちの移動する姿がテレビで映されていたが、一体、何処へ移動していくのだろう。地域にある会館や体育館などに避難されている方たちも、屋内とはいえ、冷え込みの厳しい中、毛布程度では寒さを凌ぐのは苦しいものと思う。
 地震のことをネットで情報収集していたら、「地震」は「なゐ」と(古語では)読むという記述を見出した。確か、地震は季語として使われるのかを調べていた過程でのことだったが。
 改めて、「地震 なゐ」をキーワードにネット検索したら、その筆頭に「広報紙なゐふる」という、文字通りのサイトが筆頭に登場した。何のサイトなのかと覗いてみたら、「日本地震学会の広報紙『なゐふる』」のサイトだった。
 さすがである。
 その表紙の冒頭に、「「なゐふる(ナイフル)」は「地震」の古語です。「なゐ」は「大地」、「ふる」は「震動する」の意味です。」と丁寧にも説明してある。
 広報誌『なゐふる』は年間講読できるが、過去の分については、そのサイトで読むことが可能だった。
 さらに調べてみると、鴨長明が『方丈記』の中で、「恐れのなかに恐るべかりけるは、ただなゐなりけり」と述べていることも分かった。小生、幾度となく、あの語調に釣られて『方丈記』を読んだものだったが、その中で地震が「なゐ」と記述してあることは、きれいさっぱり忘れている。脳裏を懸命に掻き削っても、何も出て来「ない」。情ない極みである。
 自分への戒めのためにも、たまたま手元に、「新潮日本古典集成 方丈記/発心集」(三木紀人 校注)があるので、当該箇所を引用しておく:

また、同じころかとよ、おびたゝしく大地震(おほなゐ)ふること侍(り)き。そのさま、よのつねならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地((ろくじ))をひたせり。土裂(さ)けて水涌(わ)き出(い)で、巖(いはほ)割(わ)れて谷にまろび入(い)る。なぎさ漕(こ)ぐ船は波にたゞよひ、道行(ゆ)く馬はあしの立(た)ちどをまどはす。都(みやこ)のほとりには、在々所々((ざいざいしよしよ))、堂舍塔廟((だうしやたふめう))、一(ひと)つとして全(また)からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛(さか)りなる煙の如し。地動(うご)き、家のやぶるゝ音(おと)、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽((たちまち))にひしげなんとす。走(はし)り出(い)づれば、地割(わ)れ裂(さ)く。羽(はね)なければ、空(そら)をも飛(と)ぶべからず。龍ならばや、雲にも乘(の)らむ。
(p.25)
 この後に、「恐(おそ)れのなかに恐(おそ)るべかりけるは、只((ただ))地震((なゐ))なりけりとこそ覺え侍(り)しか」という一文が続くわけである。
 さらに、「かく、おびたゝしくふる事は、しばしにて止(や)みにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶(た)えず。よのつね、驚(おどろ)くほどの地震(なゐ)、二三十度ふらぬ日はなし。十日・廿日過(す)ぎにしかば、やう間遠(まどほ)になりて、或は四五度、二三度、若(もし)は一日((ひとひ))まぜ、二三日に一度など、おほかたそ余波(なごり)、三月ばやりや侍りけむ。」とも書いてある。
 中越地震でも、今も余震が続いているし、住民等が実感上、減ってきたかなと思えるには、一ヶ月程度を要する見込みだとか、相当程度の震度の余震も可能性があると専門家は語っている。
 ちなみに、『方丈記』で語られている地震は、マグニチュード7.4だという。
『方丈記』では、この地震の前には、日照り・旱魃・戦乱などによる飢餓の惨憺たる有り様も鴨長明ならでは筆致で書いてあることは、有名だろう。
 参考に、例によって、松岡正剛の「千夜千冊」の、『方丈記』を覗くのもいいだろう。
 恥ずかしながら、小生が、「無精庵」と日記サイトを命名する時、芭蕉の庵をイメージしつつも、座右の書である『方丈記』の庵(いおり)をも念頭に置いていたが、あまりにおこがましいので、我が生活のだらしない実情に鑑み、「無精庵」に留めたという経緯がある。
 文献的には、『日本書紀』の武烈天皇の影姫歌謡説話にも「地震」が出てくるが、「地(なゐ)が震(よ)り来(こ)ば」と、岩波文庫版『日本書紀(三)』(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注)では読み下している。

 なんてことを書くつもりはなかったのだが、ついつい深入りしてしまった。
 冒頭に掲げた写真は、過日、鎌倉へ行った際、鎌倉宮に立ち寄り、護良親王が幽閉されたという土牢を撮ったもの。
 不明ながら、小生の無知で、すぐ近くにあるはずの、護良親王のお墓へは参ることができなかった。

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コメント

「なゐ」がむかし季語として使われていたかどうかを調査されたようですが、結論は如何でしたでしょうか? ご教授下さい。

投稿: くりさん | 2011/08/08 23:18

くりさん

「なゐ」がむかし季語として使われていたかどうかを調査しかけましたが、我輩のこと、中途半端に終わっています。

たとえば、蕪村に以下の句があります:
おろし置く笈に地震なつ野かな     蕪 村

(おろしおくおひになゐふるなつのかな)と読む。

季語は、言うまでもなく、「なつ野」で夏。

地震は、季節を問わず発生する事象ですしね。

投稿: やいっち | 2011/08/11 21:24

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