秋麗
秋麗と書いて、「あきうらら」と読む。ま、読んで字の如しで、うららかに晴れた秋の日を表現する。俳句では秋の季語の一つ。この日曜日は(東京)、まさにこんな言葉を使いたくなる陽気だった。
が、小生自身は、情なくも、家に閉じ篭ったまま、週日を過ごしてしまった。例によって、ロッキングチェアーで居眠り、仮眠、惰眠、転寝(これは、椅子での居眠りには合わない言葉かな)の連続だったので、日曜日の昼頃になっても、自分が起きているのか、それとも、夢うつつでボンヤリしているのか、定かでない状態だったのである。
この土日、小生がやったことを並べると、まず、このブログの日記がある。16日の「荻の声」と17日の「釣瓶落しの季節」で、いずれも、大抵の人の日記よりは長め。コラムというかエッセイに近いものがあると思う。
小生は、このブログに相当程度、力を入れているのだ。
ついで、アップはまだだが、「蓮っ葉な奴」と「恋は秋の暮れに」というタイトルの掌編を書いた。これで今月は五つ、書いたことになる。あと三つが今月のノルマ。「恋は秋の暮れに」にしてもそうだが、画面に向ってから、何を書くか、考える。エッセイを書くか、掌編かというジャンルさえ、決まっていないことがあったりして。
頭の中は、もう、空白。ネタなど、とっくに尽きている。でも、書き上げるんだと自分に言い聞かせて、プレッシャーを掛ける。脳髄が過熱してくる。何か生み出すんだ! で、不意にちょっと頓珍漢な失恋物語が浮かんだ。
というより、純愛的な話を書くつもりが、途中で妙に話が輻輳してしまい、頓馬な失恋物語になってしまったのである。
年内にあと十九個、掌編を作れば、年間掌編百篇が達成となるはずだが、胸突き八丁が、さらにきつくなっている。でも、何をしたわけでもない、この一年は、掌編百篇の年として自分には銘記されるはずである。大概の人には、なかなか経験できないことなのではなかろうか。
来年のことを言うと、鬼が笑うというし、今は言えないが、来年に向って、何か違う目標を打ち立てたいと思っていることは確かである。
さて、日曜日になって、サンバの部屋で、滞っていた写真のアップ作業を行った。武蔵小金井のパレードの時の写真を十枚以上も一気にアップしたのだ。あるダンサーの方の誕生日がこの14日だったと聞いたので、彼女の写真を載せたい一心で作業したのだった。
この他に、志村銀座、武蔵境と残っている。ま、年内の作業として、楽しみに取ってある、ということにしよう!
「掌編作品の部屋」に、掌編を二つ、アップした。いずれも、某サイトの絵日記の絵を見て描いたもの。
その絵とは、「ディープ・ブルー」という映画を見て、サイト主の方が印象を元に描かれたのだが、たまたま描かれていたのが、「クラゲ」だったのが、小生の目を引いたのである。
小生のエッセイなどを読まれた方は、小生がクラゲ好きなのを御存知かもしれない。
そのクラゲの浮遊感が実によく描かれていて、なんとかその絵に相応しいような掌編を書きたいと、まず「ディープブルー」を、ついで、それが得心行かなかったので、「ディープタイム」と、書き上げたのである。
が、いずれも、絵の喚起するイメージにそぐわない。
そのうちに、三度目の挑戦をするかもしれない。
それはそれとして、とりあえず、二つの掌編をアップしたのである。
「エッセイ祈り の 部 屋」に、エッセイを掲載した。いずれも、メルマガにて公表済みなのだが、ある事情があり、急遽、ホームページにアップすることにした。エッセイのタイトルは、「葬送のこと、祈りのこと」である。
その事情とは、以下のとおりである:
「昨年の10月、あるネット上のアイドルが亡くなった。才能も人気もある女性作家だった。「Contact Me」の頁にキリ番のコーナーがあるが、そこに小生も一時は交流の機会に恵まれたその方の名が書いてある。互いにキリ番をゲットし合っては、相手に小説のテーマを提示し、掌編を書き合ったものだった。年齢も、小生とほぼ同じだった。その方が、ますます才能が花咲き、あれこれやりたいという意欲満々の盛りに、惜しくも亡くなられたのである。その追懐の意味もあり、葬送(埋葬)関連の文章を載せる。直接は、彼女に関係ないが、書きながら、その方を脳裏に浮かべなかったわけではないのだった」
関連するエッセイということで、「葬について、あるいは死の形」を同時にアップさせている。
さて、例によって、あちこちのサイトで駄句を撒き散らしている、と、書きたいところだが、この週末は、思うところがあって、駄句をひねる気に、あまりなれなかった。
そうはいっても、幾つかは作っている。
(画像掲示板に、ある公園の画像を提供してもらった。でも、そこがドッグランの場になり、ワンちゃんの落し物が一杯で、深呼吸する気になれない状態になっているということで)
ドッグラン ここはダメなの 退(ど)くランよ
(こぼれ種で増えてる歩道のコスモスです。種を蒔いて、苗を作るとなかなか育たないのに、直播きだと元気なのは、どうしてかな。というコメントと共に、コスモスの画像を提供してもらったので。他にススキの画像も戴いた)
コスモスや 我が意を得たりと 咲き誇る
ススキの野 誰に見られず いのち咲く
(子供の頃、誰かさんと背中合わせになって、糸電話でお喋り。音が背中から体温になって伝わってきたっけ。)
糸電話携帯よりも近き仲
(ハスの花の満ちる池の水、濁っていて、まるで揺れて止まぬ我が心のよう)
濁り水 心の迷い そのままに
(以下の二句は、説明するのも、疲れる。ま、トラというのはタイガースを暗示しているけど、実際にはトラの写真を見て作った。トラの眼下には水溜りがあったのだ…)
トラよトラ 水辺の顔に 満足なの?
ドラゴンズ 燃えすぎちゃって 燃え尽きた?
さて、掲げた写真は、我が集合住宅の庭の惨状。本来は、芝生だったのである。が、ある時、芝生に雑草が生え始めている、ということで、有志で草むしりと相成った。
が、雑草が毟られたと同時に、芝生自体を傷めてしまったようで、気がついたら、芝が完全に消え去り、今では雑草の天下に。
写真では分かり辛いが、この草、背丈は二メートルを越えている。迫力モノである。雑草たちは、季節が今や秋であるにも関わらず、我が世の春を享受しているというわけだ。
当然、昆虫などの天下でもある。風情があると言えば言えるけれど、そのうち、弊害も大きくなるんだろう、ね。
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コメント
武蔵小金井の写真をアップしてくれてありがとー!
蛾のアーラがたくさんあってうれしかった!!
すてきなお誕生日プレゼントだよ。
投稿: みなきち | 2004/10/18 22:18
みなきちさん、直接、誕生日おめでとうを言いたかったけど、こんな形で御免ね。
もっと、鮮明な画像が手元にあるんだけど、プライバシーもあるから、控えています。
あとは、志村銀座の作業が残っている。
もう少し、待ってね。
浦和は行けそうにないけど、みなきちさんは踊られるのかな。
体に気をつけて、楽しみつつ頑張ってね。
投稿: 弥一 | 2004/10/19 01:55
冒頭の写真の花、名前は、セイタカアワダチソウだとか。
投稿: 弥一 | 2004/12/13 19:57