« 2004年9月 | トップページ | 2004年11月 »

2004/10/31

「秋霖」追記と冬の雷のこと

 先ずは、30日の日記の表題、「秋霖(しゅうりん)」について、若干。
 日記の冒頭、「秋霖(しゅうりん)とは、秋の長雨のことを言うとか。秋の季語として使われる。」と記した。
 が、偶然というべきか、それとも、「秋霖」を使ったばかりなので、その言葉に敏感になっていただけのことなのか、ラジオ(30日付けNHKニュース)のお天気情報の話の中で、まさにこの言葉が登場した。
 うろ覚えのままに、書き綴っておくと、季節の変わり目には、ぐずついて天気が一週間ほど続くことがあり、4月上旬のぐずついた天気を「なたね梅雨」と呼ぶように、秋から冬にかけての、は「山茶花(さざんか(梅雨」と呼ぶ…、と、聴いた。
 そこまで聴いて、ちょっと不安に。じゃ、「秋霖(しゅうりん)」(秋雨)は、何時の時季のことを称するのか。
 その前に、ネットで調べたら、「なたね梅雨」の別称に、「タケノコ梅雨」があるという。「山茶花」も「菜種(なたね)」も、「筍(タケノコ)」も、要するにその頃に咲いたり印象的だったりする植物の名称を冠しているわけである。
 では、「秋霖」は、何時の時季を指す表現なのか。昨日のラジオだと、夏から秋の変わり目の長雨を表現する言葉なのだというのである。他の梅雨に並んで敢えて表現するなら、ススキの穂の風に揺れる光景が印象的だったりするので、<ススキ梅雨>とでも命名したら、なんて、個人的には思ったが、ススキは、河原などに行けば当たり前のように見られる…が、都会では、見かけるのが珍しくなってしまって、難があるのかもしれない。
 そもそも、六月前後の所謂「梅雨」は、「梅雨」と称されるだけで、一切、冠せられこともないのだし、「秋霖」(秋雨)は、秋霖のままでいいのかもしれない。
 
 昨日、車中でラジオを聞いていたら、雷の話を聴くことが出来た。やはり、NHKの放送でのことだった。「ラジオ深夜便」という番組だったろうか。語り手は誰だったか聞き漏らしている。気象学者の宮澤清治氏だったろうか。アンカーは宇田川清江さんだった。
 話の大半は、仕事中(運転中)だったこともあり、雨の中、高速を走っていて、運転に相当程度集中していた小生は、幾つかの情報を断片的に拾っておくのが精一杯だった。
 一番、意外だったのは、富山を含む北陸地方が、冬の雷の発生する年間の日数が全国でも際立って多いという話だった。
 昨日、30日は、時折雨脚が弱まることがあったが、ほぼ終日、雨。それが、夜が深まると共に、不意に稲光が伴うことが幾度かあった。雷雨。稲光は、かなり遠いのか、眩しく光っても、音はなかなかしない。中には、光るだけで、音を伴わないことも。
 そんな天気だったので、話題に、冬の雷などが採り上げられたのだろう(か)。
 早速、「冬 雷 北陸」をキーワードにネット検索。すると、冒頭に、「北陸の雷の特徴」と題されたサイトが登場した。クリックすると、まさに小生が求めていた情報が載っていた。
 なんとなく、雷というと、夏というイメージが小生には、ある。主に梅雨の初めから夏の終わり頃までの時季、午後から夕方にかけての時間帯に、不意を打つように強い雨が降り、そこに雷鳴が重なってくる、という印象なのである。
 が、北陸に限っては、冬の雷が多い。雷雨は、九州や関東の山間部でも多いのだが、年間を通してみると、北陸地方が一番、多いという統計結果が出ている。その上で、「北陸は冬の雷日数が多い」というわけである。
 また、「夏の雷は午後から夕方にかけて発生することが多く、冬の雷は発生する時間に偏りがない」という。
 小生は、郷里である富山を離れて三十年以上となる。子供の頃、例えば、冬の季節など、雷が多かったのかどうか、記憶に定かではない。追々、やや遠い昔の記憶を辿って、どんなだったかを思い出していきたい。
 北陸に限らないが、冬の日本海は荒れる。雪交じりだったりすると、逆巻く波に凄みさえ覚える。そんな空に稲光し雷鳴が轟いたりしたら、さぞかし、凄まじき光景だったろう。
 尚、上掲のサイトには、「冬季雷(上向き雷、多地点同時落雷)の例」という興味深い写真も載っている。そんな様子を天変地異大好きだった(である)小生だって子供の頃、眺めたことがあったろうに。
 確か、同じ番組(同じく宮澤清治氏)の話の続きで、寒ブリの話もあった。
 寒ブリというと、「ブリ街道」を思い起こすし、「氷見の寒ブリといえば、東京の築地市場でも高値で取引されるブランド品」だったりする。正月の帰省の折には、ブリの照り焼きや、天然ブリのお造りなどを食べるのが楽しみである。
 その寒ブリについて、冬の雷に関連付けると、「晩秋から初冬にかけて、富山湾では、雷鳴とともにシケに見舞われることがあります。これがブリの豊漁を告げる「ブリ起こし」です」となるわけである。
 富山で採れるブリには、養殖モノはない、すべてが天然もの、なのである。
 小生自身、「ブリ街道」は、「ノーベル街道」ということで、雑文「ノーベル街道をちょっとローカルに見る」を書いたことがある。

 武装勢力に拉致された香田証生さん(24)さんについて、悲痛な情報があった。昨日の政府の情報の連絡や情報管理の狼狽振りには呆れたが、今朝、未明の厳しい情報に吹き飛ばされてしまった。バグダッド市内で発見された首を切断されたアジア人とみられる男性の遺体の身元確認が最終的にされていない段階では、迂闊なことは言えない。
 が、万が一、最悪の結果が確認された時、政府やマスコミは、どのような報道をするのだろう。また、例によって、自己責任論を持ち出すというのか。危険と警告された地域に勝手に入ったのだから、自業自得と、政府は責任を回避するのだろうか。
 なるほど、無謀な行動だったことは間違いないと思う。が、若く好奇心と善意(かなり無邪気な)に溢れる若者が、良識ある人々の制止を振り切っても、イラクの惨状を自分の目で見てやろうと思うという気持ちも、無碍に愚かなものと断じる気にはなれない。
 そもそも、自己責任を問われるのは、日本の政府当局であり、英米などを中心とする無謀かつ非道なイラク攻撃を支持した出発点が問題だったのではないか。そんな方針を支持した与党筋らの責任もある。大量破壊兵器は見つからなかった、だけじゃなく、最初からなかったと分かっていたのではないか、ないと分かりそうだったから、査察を中断させたのではないか。フセインの非道を喧伝する論調があったが、その情報の出自は怪しいことが段々と分かってきている。
 イラクへの攻撃は、大義がまるでないことが分かっている。英米などの難癖であり、因縁であり、でっち上げでの、フセイン政権が気に食わないから、政権を倒して、英米日(イスラエル)に都合のいい体制へ持っていこうという意図以外に何があったのだろうか。
 資源確保とイスラエルの安寧。そのためには、都合の悪い政権は倒す。日本もその受益者なので、目を瞑って、英米にくっ付いていく。
 国益には、二つあると思う。一つは、文字通りの利益であり利害である。小泉政権の眼中にあるのは、この意味の利益追求だけである。
 もう一つの、国家としての尊厳という国益は、全く顧みられない。アメリカに媚を売って、現ブッシュ政権に褒められて、有頂天になる一方で、アジアやヨーロッパでの尊厳は、低下の一途を辿っている。国連の常任理事国になろうという意図が一部にあるようだが、アメリカ追随と利害打算しか視野になく、大義の欠片も持てない、理念もビジョンもない国家に、どんな役割を担えるというのだろうか。
 やはり、エコノミックアニマルの本領発揮だけ?!

 イラクを、NGOなどの民間人が活躍できないような危険な状態に陥れ、数万人が、場合によっては十万人を超えるかもしれない、イラクの民間人の犠牲が生じたのは、英米や日本の責任でなくて、誰の責任なのだろう。 
 犯行(実際に、遺体の身元確認がされたなら、だが)が、指弾されるべきテロリストグループによるものであり、その蛮行を許す訳には行かないが、小生が懸念するのは、この事件を契機に、テロリストは許せない、自らの手で、イラクの治安に当たらねばならない、自衛隊の権限を増やすべきだ、政府による渡航制限を厳しくすべきだ、さらには、国論がテロリスト憎しの名のもとに、タカ派一色に染められるのではないかという怖れだ。
 昨年、日本の外交官が暗殺されたが、彼等の意志を尊重し受け継ぐためにも、政府はイラク侵攻、イラクへの自衛隊の派遣を実行すると、彼等の死が利用された。
 今度も、仮に香田さんが悲しい結果に見舞われた時には、打算的に利用しようというのだろうか。政府や与党、マスコミの論調を見守りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/30

秋霖

tokyo-hibiya.jpg
 秋霖(しゅうりん)とは、秋の長雨のことを言うとか。秋の季語として使われる。
 いつまでも降り続く雨を「霖雨(りんう)」と言うが、それが秋だと、「秋霖」ということになるわけだ。秋雨(あきさめ)という言葉もある。春雨だと、陽気も暖まってきて、降る雨がそれほどでないのなら、「春雨じゃ、濡れていこう」と気取ってみるのも乙なものかもしれないが、秋雨は濡れるのは辛い。体の芯まで冷えそうだ。
 秋雨と書いただけで、秋の長雨を意味するようで、通り雨のような短い雨は、どう表現するのか疑問だが、秋時雨という言葉があるらしく、どうも、秋の雨は、長く感じられるもののようである。
 やはり冷たさが身に沁みるから、それほど長く降らなくても、秋の雨はなかなか止んでくれない…と、憾み節が浮かんでしまうのだろう…か。
 秋霖、なんと美しい味わいのある、響きも素敵な言葉だろう。これが当用漢字から除外されたが故に、使われなくなったというのは、秋の雨以上に淋しいことではなかろうか。俳句などの季語としてのみ使われるのは、なんとも惜しい。秋雨という言葉の使用のほうが、実は歴史の浅い言葉だという説もあるが、小生は未だ確認できていない。

 明日からは雨がちの天気になるとか。木曜日の夕方に、ふと真ん丸の月を見て、感激のあまり、思わず、「満月だ!」と叫びそうになったが、さすがにお客さんが乗っていて、押し黙って、信号待ちの折に、じっと月影に見入るばかりだった。
 帰宅して月齢をネットで調べたら、やはり満月だったのである。その月も、呆気なく雲間に隠れてしまう。
  
 雲の波 月影返し 地は雨に
 秋霖に 身も凍るのか 土の中
 
 今日は、会社の用事もあって、帰宅が遅れ、たださえ、スケジュールの厳しい中、執筆や読書に割く時間がなくなってしまった。実は、過日より、どうしても書きたいと思っているテーマがある。小説作品にすれば、中編にはなるだろうテーマだが、今の自分は掌編に仕立てるのが精一杯。
 今日、金曜日(乃至は、その真夜中過ぎ)のうちに書きたいと思ったが、生活のリズムが狂ってしまって、肝心の夜中には披露困憊の極が来てしまい、例によってロッキングチェアーで居眠り。結局、今日は書けず終いだ。残念である。
 これは自分へのプレッシャーの意味もあるので、そのテーマを大凡のところだけでも書いておきたい。半分は備忘録のようなものだ。
 タイトルは、仮題だが、「蛇の目」という。といって、蛇に仮託して物語を書こうというわけではない。それは小生の苦手とする表現方法だ。
 そうではなく、蛇という俗に言う冷血動物の、その象徴が目にある。冷たい目。心など、欠片もないような目。愛情の微塵も感じられない目。懇願する相手を情容赦もなく食い殺してしまうに違いないと思わせる目。自分のことを熱い思いで見詰めている、恋い焦がれている、身を焼く思いでその人のために眠れない夜を過ごしてまでもいる、そんな相手の気持ちも知らないで、平静を保ったままで居られる目。
 けれど、小生は、蛇の目、つまり感情表現をしない、感情が瞳孔にさえ洩れて来ることのない目に、むしろ、実は熱い感情、あまりに切なく寂しい、そして怯えた心を感じてしまう。
 それは、子供の頃などに周囲にさんざん弄ばれて傷つき破れてしまった、それゆえにもう心を開くことの出来なくなった臆病になってしまった閉じた心をモロに示している。
 目が感情のブラックホールになってしまい、周りの人々の暖かい思いやりも、時に徒(あだ)となったかのように、ただ、呑み込んでしまって、そのまま全く反応として帰ってこず、同時に、自分の胸の中で焦がれ死ぬほどに苦しい思いがあっても、それが表には表れてこない、そんな目、あるいは心。
 血の涙とは、そんな冷たい目の裏側でこそ流れているのではなかろうか。
 人に触れたい、人の心に触れたい、人に触れられたい、人の心と絡み合いたい、でも、怯え萎縮してしまった心は、繋ぐべき手さえ縮こまっていて、せっかく差し出してくれた手を握り返す勇気も出ない。信じれないのだ。信じられないのは相手のこと、でも、それ以上に自分の性根。

 蛇の目よ とぐろを巻いた 心見せよ
 
 東京・元赤坂の赤坂御苑で28日に開催された秋の園遊会で、天皇陛下が招待者との会話の中で、学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について「強制になるということでないことが望ましいですね」と発言されたという。
 これは、小生には注目すべき発言だと思う。きっと、陛下は、特に東京の学校現場、特に卒業式などの行事の際、日の丸の掲揚が義務付けられ、君が代の斉唱も強制されている現実をニュースで知って、心を痛めておられるのだろう。
 この発言は、棋士で東京都教育委員会委員の米長邦雄さん(61)が「日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことに対し、陛下が答えたもののようである。
 米長邦雄さんが自分の仕事がかのようなものだとは、ラジオで聞いたことがある。そういう方だから、石原慎太郎東京都知事も教育委員会委員に選んだのだろう。
 宮内庁の羽毛田信吾次長は「行政施策の当否を述べたものではない」と政治的発言であることを否定した上で「国旗や国歌は自発的に掲げ、歌うのが望ましいありようという一般的な常識を述べたもの」と園遊会後に開いた会見の中で話していた。
 実際、1999年に施行された国旗国歌法は、日の丸を国旗、君が代を国歌と定めたが、義務規定や罰則規定はないのだし、法律が国会を通った際、当時の自民党幹事長の野中広務氏も「国旗・国歌は強制しない」と言明したものだった。
 それが、石原都知事下の東京都では強制されている。財政などの権限が東京都にあるので、学校側は従うしかないのだろうが、悲しい現実だ。
 自発的に、己の信条で日の丸掲揚と君が代斉唱をするなら、とやかく言う筋合いではない。
 が、強制となると、思想・良心の自由を保障した憲法に違反するし、小生は、気に食わないのである。
 十五年戦争の反省が十分にされているとは言えない中では、素直には日の丸を誇りに思えないのである。
 国を愛する気持ち、郷土を愛する気持ち、その思いはいろいろであっていい。無理にこれだと決めなくていいし、まして、国家や権力を持つ当局が国や郷土を愛する形や表現方法をこれだと決め付けて国民に強制するものではないと小生は信じる。

 国も人も 愛する形は さまざまに

 新潟の被災現場も気になるが、イラクで拘束され、場合によっては死を宣告されている青年のことも気掛かりだ。
 テロには屈しないという立派な言明。が、イラクをテロリストの巣窟にしたのは、誰だったっけ。ブッシュ現米大統領であり、それを支持した小泉現日本の首相らではなかったか。言い掛かりだと既に分かってしまった因縁を付けてまで、イラクの体制を壊してしまった。
 イラクは危険だから行ってはいけない。正確に言うと、イラクは危険な国家にしましたので、今は行かれません、ではないのか。
 が、自衛隊は民間人が立ち入れないような危険な地域には派遣してはいけないはずじゃなかったのか。不思議なことが多すぎる。

 冒頭に掲げた写真は、東京の夜景。信号待ちの際に携帯で慌しく撮ったので、画像が今一つ。小さく、東京タワーが見えるはずなのだけど、さて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/29

気随気侭

s-DSC01041.jpg

 表題をどうするか、結構、あれこれ迷ったりする。迷う前に、何も浮かばないことも多い。で、困った時の季語頼りということで、今は秋、ということで、秋の季語をそのまま、あるいは多少は尾ひれなどを付けて使ったりしている。
 で、今日も、秋の季語を調べようかなと思ったら、ふと、表題の「気随気侭」という言葉が浮かんだ。
 この言葉、小生には懐かしい響きがする。確か、この言葉を使ってエッセイかコラムを書いたような…。
 が、ハッキリしない。なので、この言葉をキーワードにネット検索してみたら、小生のサイトが筆頭に現れて、ビックリ:「気随気侭(4)」
 さらに驚いたのは、小生は、メルマガを配信しているのだが、その創刊号のメルマガの名前に(テーマではなく)「気随気侭」を使っていたということだ。すっかり忘れていた。
 この「気随気侭」は創刊号だけで、次に「マージナルマン」になり、「国見弥一の(KY)サイバープレス」となり、やがて、「国見弥一の銀嶺便り」となるわけである。
 では、2001/2/25の創刊号などで、「気随気侭」なる言葉を使ったのは何故なのか、となると、さっぱり思い出せない。調べると、00/3/26という日付でエッセイか何か綴っているらしいのだが、当該頁をクリックして飛ぼうにも、頁が見当たりませんとなってしまう。情ないことである。
 恐らくは、上掲の「気随気侭(4)」に類するようなことを書いていたのだと思う。最初に書き込んだ場は、ニフティのフォーラムで、文学系のフォーラムと思想系のフォーラムに、在宅の日は、必ず一つはエッセイかコラムを載せていた。爾来、やがて公表の場は文学系のフォーラム一本に絞られつつも、今日に至るまで、せっせと書き綴ってきたのだった。
 過去形で書くのは、その文学系のフォーラムが、この25日を以って、閉鎖となったからである。つまり、小生が書いてきた、掌編であれ、エッセイであれ、書評エッセイであれ、その全ての最初の書き込みの場が消滅してしまったということだ。
 毎日、何かしら一本は書く。タクシーの営業は通勤時間も含めると拘束される時間は23時間ほど。その前後は、ひたすら寝るわけだから、月に12日間は、全くネットに関われない(後に、モバイルパソコンを購入はしたが)にも関わらず、毎日ということは、日に2本、エッセイなどを綴る日がしばしばあったということだ。
 小生が、この文学系フォーラムに参入したのは、00年の冒頭からだったろうか。それとも前年の11月にパソコンを購入し、ネットの世界に辛うじて足を浸したわけだから、99年の末からだったか。
 自分は書くことに夢中だったので、気付かないことが多かったが、噂によると、小生がフォーラムに加入する以前は、かなり活発な活動や意見の交換などがあったらしい。論争や喧嘩もあったとか。中にはネットの関わりが結婚に発展したケースもあったらしい。
 が、小生が参入した頃には、かなり落ち着いていた。小生が感じる限りは、滅茶苦茶な数の書き込みがあるとか、喧嘩紛いの議論が戦わされていたという印象はない。
 それより、むしろ、落ち着いたコメントの遣り取りが好ましかった気がする。賑やかではないが、閑散としているわけでもなく、その意味で、喧嘩は大の苦手の小生には、好ましい環境だったかもしれない。
 が、やはり、熱心な書き手やコメンテーターがドンドン消えていく(他のサイトへ、あるいは自前のサイトへ)という長期低落傾向は続いていたようで、ブログの登場も相俟って、とうとう文学系のフォーラムは閉鎖になったようである。
 小生が、他の方のエッセイや小説にコメントを寄せるなどして、遣り取りを密にすれば、その中で仲間も作れたようだが、小生は、そのフォーラムでは自作の書き込みに専念していて、コメントやレスの遣り取りは控えてきた…こともあり、そもそも仲間作りが苦手ということもあって、五年近く文学フォーラムにお世話になったにも関わらず、仲間といえ、今も多少なりとも付き合ってくれている人は、ごく少数に限られている。それでも、ありがたいことだと思っている。
 問題は、さて、これからである。小生は、文章を常にぶっつけ本番で書く。エッセイでも書評でもコラムでもサンバなどのレポートでも、掌編でも、同じ事。下書きを、メモ程度でも準備して書いたことは、少なくともネットに参入してからは、皆無のはずである。
 ある意味、もしかして小生のエッセイや掌編をフォーラムで読まれた方は、下書きを読まされていたということになる。自分としては、その生煮えの原稿を、そのうちに時間を掛けて推敲し完成に持っていく所存ではあったのだが、御覧のように、ホームページやメルマガに掲載した文章は、最初に書きながら考えて綴った原稿そのまま、転載している。転記しているだけである。
 転載の際、多少は手直ししようと思わないわけではないが、小生は、書きたいことがたくさんあって、手直しする時間があったら(あるいは文章をアップする時間があったら)何か新しい掌編の一つでも取り掛かりたいのである。
 推敲し、磨き上げることは、新しい作品を作るパワーがなくなったり、あるいは、何かの間違えで、これまで公表してきた文章のどれかを拾い集めて出版という運びになったら、その際は、本腰を入れて取り組むかもしれないと思っている(そんな時でさえも、時間が惜しくて、初出のままに出版する可能性も十分にありえる)。
 話が逸れてしまった。気随気侭という言葉を何処から見つけてきたのか、何故に選んだのか。恐らくは、自分に杓子定規な発想法を感じるから、ともすると一つの思い込みに囚われがちだから、そんな自分を広い視野に少しでも向けたい、いろんな分野に挑戦したいという、実のところ切実な思いがあってのことだと推測する。
 今年に関しては、掌編百篇という過大なノルマを課したので、ややエッセイなどには力の配分として欠ける憾みがあるが、川柳(俳句)も含め、多様な文章表現の世界を自分なりに試みていきたいのである。

 せっかくなので、駄句川柳などを羅列しておく。例によって、掲示板などにレスする際、付した数々なのである。即興と、もっと品のいい滑稽さを狙ってはいるのだが、即興はともかく、上質の滑稽味は、覚束ない:

   思われて 肩の荷重い 弥一かな
   誰がいい? 迷った挙げ句の 独り身か
   誰がいい? 迷った挙げ句 総スカン!
   窓明かり 恋い慕いしも つれなくて
   傑作は 駄作の泥田の 花一輪
   淡雪や 溶けて流れれて 素顔かな
   淡雪も 踏み固めたら 根雪だね
   頬の雪 溶けて流れて 涙かな
   頬の雪 溶けて流れて 素顔バレ
   雪化粧 悲しみまでが 雪に舞う
   アワダチソウ軒端に揺れて秋深し
   北の田を埋めているのかアキノキリンソウ

 冒頭に載せた写真は、今朝、営業も終わり、会社へ帰る途中、何処かの踏み切りで足止めを食った際に撮ったもの。朝の六時過ぎだったろうか。疎らとはいえ、それなりにお客さんも乗っている。下りの線。仕事へ行く? それとも(遊びか仕事かは分からないが)朝帰り? 行楽? 東京に暮らすと、どんな時間帯にも、人々が盛んに動いていることを日々実感する。
「踏み切りだ 鳴らせ心の警報機」という標語が、意味深である。

 それにしても、昨晩の満月は、凄まじいものがあった。理屈の上では当たり前のことだろうが、車で都内を何処へ移動しようと、月は付いて来る。追いかけるかのように。でも、自分が月影を追い求めているのかもしれない。
 遠く新潟の空の下でも、真夜中であっても、人の心は慄(おのの)いているのだろう。月影を抱く心のゆとりが早く来ることを願う。

 月影よ 心の襞を 照らすのか
 満月や 祈る思いを 隈なくに
 秋の月 凍える身をも 隈なくに
 満月や 車の影も 冴え冴えと
 満月や 吐く息白く 浮かべてる
 月影に あの人の影 今も尚

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/28

秋の夜長は冷ややかに

 今日は、テレビ三昧の一日となった。まず、掲示板にある人のレスで書いた文を転記すると、
「(地震があったのは)今朝、10時40分ですね。小生、仕事が終わり帰宅したのが七時前。それから、御茶で一服し、日記(紙のほうの)をつけ、ネットを巡って、寝入ったのが九時前。
 普通なら、昼過ぎまで寝ているはずが、10時20分頃だったか、目が覚めた。何かの予感だったのだろうか。
 親子三人の乗った車、早く、救出されるといいのだけど。」
 そう、目覚めた直後に震度6弱の余震というには強烈な地震があったのである。
 その情報を眺めつつ、さすがに、徹夜仕事の明けに一時間あまりの睡眠では、持つはずもなく、昼過ぎ、再度寝入った。次に目が覚めたのは、二時半頃だったか。なんとなく胸騒ぎがしてテレビを付けると、崖崩れで埋まっていた車の中に母子三人が見つかり、しかも、三人とも生きているという情報が(あとで一部、誤報と分かる)。
 で、救助の模様を見ようと思ったら、既に男の子は奇跡的に多少の傷は負っているものの救助された直後のようだった。あとは、母親や女の子が救助されるのをテレビを見ながら、ずっと待っていた。
 が、やはり、合計三時間あまりの睡眠で体が持たず、夕方、ロッキングチェアーで居眠り。はっと、気がついて、テレビを見ると、母親は車の中から掘り出されていたが、悲しいことに病院に搬送された時点で既に死亡が確認された、どうやら、崖崩れの際、岩の直撃を受け、即死の状態だったという。
 さらに、女の子も、脈がないという情報が。話がまるで違う!
 合間合間に、日記を綴る。「音という奇跡(秘蹟)」というエッセイに近い日記。夜半には、「赤い糸」という掌編。ある人が描いた少女の絵がミステリアスな雰囲気が漂っていて、その絵を挿絵に使いたくて描いてみたのだが、当初の目論みは何処へやら、まるで違う、変てこな掌編になってしまった。
 某サイトに公表済みである。そのうちに、ホームページに掲載するだろう。
 今月、八個目、今年の通算で84個目の掌編を書き終えたのが夜中の一時過ぎ。テレビをつけたが、報道系の番組はなく、すぐに消す。で、今は、この日記を書いているというわけである。
 合間合間には、白川静の「中国の古代文学」や、ミハイル・バフチンの「ドストエフスキーの詩学」を齧り読み(大抵は、寝入る前の睡眠薬代わり)。
 それにしても、この頃は、日記が一つの仕事になっている。できるだけ、さらっと書きたいのだが、いざ、書き始めると、エッセイ風になってしまう。本来は、日記なのだから、メモとか記録をズラズラ書けばいいはずなのだが、ま、これも性分なのか。毎日、日記を書いている人は少なからずいると思うが、量的に多くを書いている人は少ないのではないかと思う(質的には、ま、こんなものである)。
 記録というと、川柳作品の羅列は、避けられない。新潟は長岡の惨状を知りつつ、こんな句作をするなんて、小生は、罰当たりな人間だ。迷惑だろうから、どこのサイトで句作したかは書かないでおく:

 熊よ熊 木の根っ子で 春を待つ
 大地震枯れ葉の落ちる山の里

 他所の家 背伸び覗いて 足攣った
 カウンター 回るの見てて 目が回り
 俳句はね 挨拶なのさ レス欲しい
 川柳はね 滑稽なのさ 笑ってね
 句作はね 即興なのさ 閃きさ
 雪便り 北の空から 舞い降りて
 秋の夜 車の暖で 更けていく

 北の空 祈りの声よ 届けてよ

 表題を、「秋の夜長は冷ややかに」としたのは、新潟の空を思ってのことである。秋の夜長、読書に行楽にスポーツにと、人それぞれに楽しみはあるはずなのである。が、あの惨状を思うと、冷ややかな気持ちのままに、胸苦しい夜を過ごすしかない。夜の長さが、時に憂くてならない。入院していた頃の夜々の長さを思い出してしまう。
 止まない雨はないように、明けない夜もない、なんて、奇麗事を言いたくない。ひたすらに、夢など貪りながら、今を淡々と遣り過すのも、今は仕方ないのかもしれない。

 ところで、「タクシーメーターの音」と題した日記(10月26日未明)の中で、「雲助」を扱った。念のため、事典で「雲助」の項を調べてみたので、以下、転記する:

 江戸時代に、宿駅、渡し場、街道筋を舞台に、荷物の運搬や、川渡し、駕籠(かご)かきなどを生業とした、住所不定の道中人足をいう。
 雲介、蜘蛛助とも書き、浮き雲のように住所が定まらないからなど、語源にはいくつかの説がある。近世に農民が助郷の夫役を代銭納するようになると、農民の労働力に依存できなくなった宿場では、専従の人足を必要とした。1686年(貞享3)幕府は廻状(かいじょう)で、出所の知れた浮浪人の日雇人足への採用を許可している。この宿場人足は、幕府の御定賃銭を問屋場(といやば)から支払われ、問屋場裏の人足部屋に起居し部屋頭(へやがしら)の支配を受け、部屋人足ともよばれた。道中筋でたかりや人殺しなどを行い、「ごまのはい」と同じく無宿の悪漢とされた雲助は、この宿場人足とはいちおう別の、個人の営業によるものである。荷物や駕籠を担いで道中を行くとき雲助が歌った唄を雲助唄という。<片岸博子>  
                          『NIPPONICA 2001』より

 こんにちにおいても、タクシードライバーが雲助などと呼ばれたり、まして、自称して、そう言うのは悲しい。
 でも、雲助に、もっと風流なニュアンスを篭めるというのも、一興だとは思う。自尊心を持って、名乗るのなら、それはそれでひとつの見識たりえるかもしれないし。
 それに、この雲助が蔑称として使われているという歴史的経緯を知らない人も増えているようだし。

 雲助よ 筋斗雲の如く 乗りたいね
 雲助や 浮き世の定め 胸に秘め
 雲助や 逸れ雲だよ 青空の
 雲助や 川の流れに 負けるなよ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004/10/27

音という奇跡

morinaga-doro.jpg

 音楽が好きなのかどうかを自分を振り返って考えても、結論めいたものは出てこない。そりゃそうだ、音楽一般では、あまりに漠然としている。それが、<音>ということに広げていいのなら、それがたとえ音楽よりもさらに茫漠としているという憾みはあるとしても、好き、というより、音に依存しているとも言える。
 無論、音にはいろいろある。分野はいろいろあっても、音楽と呼称されるもので、楽器に関連するもの、唄を中心としたもの、ハミングや口笛…。誰にも音楽とは呼ばれないだろう、部屋の中の冷蔵庫のモーターの音、水道の蛇口の栓が緩いのか、流し台にポタッ、ポタッと落ちる水滴の爆ぜる音。同居する人がいれば、別の部屋で動くスリッパの音、ドアのノブの音、テレビ、ラジオ、ステレオ、携帯、窓の外からの遠い歓声、喋り声、下手なピアノの練習の音、秋ならば虫の鳴き声、時折鳴る救急車のサイレン…、そして風の鳴る音。
 耳が誰よりも敏感というわけではないと思うが、学生時代など一人暮らしをしていた時には、騒音・雑音には敏感だった。一人で居る時には、食事を摂ったり音楽を聴くとき以外には、ひたすら読書していた。徹夜で読むこともしばしばだった。そんな時、音は、どんな音も邪魔だった。音が微かにでも耳に入ったら、読書はたちまち中断させられてしまう。
 そんな時、音の出処に怒ってみたりするが、同時に、たまに、自分は本当は読書が好きではないのではないか、本の世界に読み浸っていないのではないか、本当は外の世界へ出ていきたい、なのに、外部から、読書とは無縁な生きた、現に動きつつある、生の世界の、その突端が自分を、読書より、そこには本当の世界がある、読書よりも豊かな世界がある、読書というより書物のネタ元となる現実の世界がある、お前は、そんな世界にこそ、立ち会うべきなのではないかと耳元で囁かれているようで、それで、雑音に過敏になってしまっているのではないか…、そんなことを思ってみたりする。
 音。音楽。自分には、好きな音は全て音楽である。音楽が、音を楽しむという意味合いで構わないのなら。別の何処の誰かが作曲した、誰かが歌っている、そうした人の手により形になっているものこそが音楽であって、自然世界の音の海は、音楽ではなく、あくまで音(騒音・雑音…)に過ぎないというのなら、別に音楽と称さなくても、いい。
 自分は自分なりに音を楽しむまでである。
 どんな音が一番、自分の琴線に触れる音なのか。
 となると、下手に作曲された音楽以外の全てとは言わないが、風の囁きを中心とした自然世界の音の大半は好きなような気がする。
 それは、絵画についても、写真芸術についても、あるいは文学などについても、同様で、自分がこの肉眼で皮膚で脳髄で胸のうちで感じ取り聞き取り受け止める生の世界の豊穣さを越えるようなものなど、ありえようとは思えないし、実際に、そうだったのだ。
 蛇口から垂れる水滴の、その一滴でさえ、どれほどの幻想と空想とに満ちていることだろう。そしてやがて、瞑想へと誘い込んでくれる。その様を懸命に切実に見、聞き、感じ、その形そのままに受け止めようとする。そこには、音楽も文学も写真も絵画も造形美術も舞台芸術も、凡そ、どんなジャンルの芸術も越えた、それともその総合された世界がある。
 その水滴一滴から、幾度となく掌編を綴ってきた。形は掌編という文章表現だが、それは自分には絵を描く才能も、音で表現する能力も、どんな才能もないから、最後に残った書くという手段に頼るしかないからであって、しかし、創作を試みながらも、そのまさに描いている最中には脳髄の彼方で、雫の形や煌き、透明さや滑らかさの与えてくれるまるごとの感動を、その形のままに手の平に載せようという、悪足掻きにも似た懸命の営みが繰り広げられている、想像力が真っ赤に過熱している。
 さて、主題の音に戻ろう。話を音楽に限ってみても、物心付いた時から、ラジオやテレビなどでいろんな音楽に接してきた。保育所や学校での童謡などから歌謡曲、演歌、民謡。
 その中で、音楽に関して、転機とも言えるほどに衝撃を与えられたのは、一つは、学生時代になった当初に聴いたメンデルスゾーン(のヴァイオリン協奏曲)であり、もう一つは、シュトックハウゼンだった。
 メンデルスゾーンからバッハ、ブラームス、ベートーベン、モーツァルト、やがてワーグナーに至る真っ当(?)な流れは、別の機会に。
 ここでは、仙台市の片隅の山間のアパートの一室でシュトックハウゼンを聴いた衝撃の一端を少々。
 が、悲しいことに、小生がシュトックハウゼンを学生時代に聴いたのは、多分、一度きりであり、それもFM放送で現代音楽の特集の一環で聴いたものだったと思う。
 音楽にも疎い小生のこと、シュトックハウゼンも既に音楽の世界では古典の域に入っていることなど知る由もない。それは、後にヴォルスやフォートリエ、デュヴュッフェなどの絵画に圧倒されたのだけど、それらが絵画史では数十年も昔に現代の古典に収められていて、改めて鑑賞する人に特に新鮮な衝撃を与えているようには見受けないことに逆にショックを受けたにも近いかもしれない。
 要は自分は文学に限らず多くのことに無知だったに過ぎないのだが、自分にはシュトックハウゼンの音楽を聴いた時、頭の中に宇宙空間が広がっていくような気がしたのである。
 絶対零度に向かって限りなく漸近線を描きつつ近付いていく宇宙空間。裸で空間に晒されたなら、どんなものも一瞬にして凍て付いてしまう、恐怖の空間。縦横無尽に殺人的というより、殺原始的な放射線の走っている、人間が神代の昔から想像の限りを尽くして描いた地獄より遥かに畏怖すべき世界。
 感情など凍て付き、命は瞬時に永遠の今を封じ込められ、徹底して無機質なる無・表情なる、光に満ち溢れているのに断固たる暗黒の時空。
 その闇の無機質なる海に音が浮き漂っている。音というより命の原質と言うべき、光の粒が一瞬に全てを懸けて煌いては、即座に無に還っていく。銀河鉄道ならぬ銀の光の帯が脳髄の奥の宇宙より遥かに広い時空に刻み込まれ、摩擦し、過熱し、瞬時に燻って消え去っていく。
 小生は、初めて人の手で作られた<音楽>で、自然界の音に匹敵するかもしれない音を聴いたと感じたのだった。 爾来、シュトックハウゼンの音楽作品を聴いたのは、数年前だったか、タクシーの車中でのことだった。が、恐らくは学生時代に聴いた曲とは違う…。それとも、自分という人間が変質し劣化し、音を音として聴く感受性も気力も萎えてしまっていて、受け止めきれなかったのかもしれない。
 音に、それも、人の手が加わった音に奇跡を感じた唯一の時だったような気がするのである。もう、三十年ほどの昔の話である。
 なお、シュトックハウゼンについて、もう少し、まともな話を知りたいなら、例によって松岡正剛が千夜千冊で取り扱っている。
 カールハインツ・シュトックハウゼン『シュトックハウゼン音楽論集』(清水穣訳 1999 現代思潮社)


 掲げた写真は、鎌倉宮の姿である。
 

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004/10/26

忘れてた!

 日記なのに、月曜日にやったことを何も書いていない。
 もっとも、書いた文章の大半は、この日記である。「「地震」は「なゐ」という」を25日の夜半前に書き、「タクシーメーターの音」をつい先ほど、書き上げアップさせた。
 但し、25日の正午前後に、「ディープスペース(1)」という掌編を書いている。
 タイトルから察せられるように、例のクラゲの絵を見て、さらには、クラゲの素晴らしい写真が載っているサイトを覗きながら、「ディープタイム」「ディープブルー」に引き続く、三度目の正直を、性懲りもなく試みたわけである。
 しかも、うまく行かなかった証拠に、「ディープスペース(1)」と(1)となっている。どうやら、蛇足となりそうな創作が続くかもしれない。
 ま、クラゲから得るイメージを納得行く形で表現できていない以上は、しつこく拘っていくしかないのだ。
 
 さて、読書のほうは、相変わらず、牛歩というのか、のんびり楽しみつつ、毎日、続けている。
 月曜日は、ようやく、「寺田寅彦随筆集(5)」を読了し、過日、さる方から戴いたミハイル・バフチン著「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)を読み始めた。
 小生は、前にも書いたが、ドストエフスキーに高校時代より傾倒し、小説に関しては、全作品を最低3回は読んでいる。「罪と罰」は六回だったりする。
 そんな小生だが、ドストエフスキー論なるものは、読まない。小生が読んで受けた衝撃をどんな作家や評論家であろうと、ほんの僅かでも読み解ける、あるいは、より深めさせてくれるとは到底、思えないし、実際、成り行きでそれなりにドストエフスキー論を読みはしたが、全く、得るものはなかった。
 小林秀雄しかり、埴谷雄高しかりである。埴谷雄高にしても、ドストエフスキー(やポーらに)傾倒したのだったが、小生は、埴谷の読解で理解を深めようという発想は、抱いたことがないし、そんな期待も抱かなかった。あくまで埴谷の文章に親しみたかっただけである。たまたま題材がドストエフスキーに及ぶことがあったというだけのことだった。
 かといって、自分の感じているドストエフスキーの世界を自分なりに表現しようとも、思ったことがない。衝撃は衝撃として沸騰しているままに胸に抱えておくつもりなのである。
 それでは、何故に、バフチンの「詩学」を読むかというと、彼の詩論を読みたいからに過ぎないのだ。まだ、冒頭の部分を齧っただけだが、有名なポリフォニー論が出てきて、それなりに興奮はさせてくれるし、一個の詩論として興味は持てそうな気がするのだ。
 さて、寺田寅彦の随筆集と並行して読みつづけている白川静の「中国古代文学」も、今月中には読了できそう。なかなか歯応えのある本だった。かなり背伸びしながら読んできた。あと少し、頑張れば頂上だ。

 それから、これは、これから追々に試みたいことなのだが、クラゲに絡む掌編ではないが、小生の好きな絵画を見て、自分なりの小説(短篇の虚構作品)乃至は随想文を書き連ねてみたいと思っている。前から試みたかったのだが、文章だけをアップするのではつまらない。どうせならネタ元(?)の絵画の画像も同時にアップさせたい、そうでないと、片手落ちのような気がして、ずっと躊躇ってきたのだ。
 でも、現代の作品だと拙いが、古典(50年以上経過したもの)だったら、画像のアップも可能性ありなので、近い将来の取り組みの対象として、楽しみにしているのである。
 ま、今の「ディープ」シリーズは、その発端というか、導火線に火を点けたとは言えるのかもしれない。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タクシーメーターの音

sekihi.jpg

 ある時、あるサイトで、タクシーの話題を見つけた。
 事情があってタクシーを利用したら、何故かピッ、ピッ、という電子音が聞える。覗き込むと、料金が上がるたびにその電子音が鳴る、だから、電子音の響きが心臓に響くという話だった。
 タクシーが話題に上ることは、その関連筋のサイトでない限りは、通常は、まずない。ないことはないが、めったにない。たまたま小生がタクシードライバーだし、ネットめぐりをする際、別にそのことを隠し立てしていないので、それなりに話題になることがあるが、それも、小生が敢えてタクシードライバーとして語ったほうがいいかなと思える場合であって、そんな場面に遭遇することは、やはり、あまりないのである。
 冒頭に戻って、多少でもタクシーを利用した人であっても、ピッ、ピッ、という電子音を聞くことは、ないだろう。
 そもそも、この電子音は上記したように、料金が上がる場合に鳴るわけで、基本料金内の利用しか経験がない人は、聞くこと自体がありえない。
 さて、小生、冒頭のような話題が出ていると、どうしても、でしゃばってしまいたくなる。全国に数十万人はいるだろうタクシードライバーだろうが、その中でネットに関わったりする人が、どれほどいるのか、小生は分からない。が、いずれにしろ、たまたま出会ったサイトの周辺にタクシードライバーがいる、という確率は低いのだろう(断定はしない。断定する根拠もないし)。
 まあ、とにかく、小生、「最近は、音がしなくなっている。このごろの料金メーターは、黙って数字を上げていく」などといった下りを読んだりすると、音がしないのは、少なくとも電子音の鳴るメーターになってからは、最近に関わらず、電子音は鳴らないのだと言いたくてたまらなくなる。
 以下は、その時に、小生が寄せたコメントである:

 Nさん、こんにちは。
 商売柄、「タクシーメーターの音」というタイトルにピッピッピッといや、ビビビと、来ました。
 小生の推測ですが、料金メーターが料金が上がるたびにピッピッと音がするのは、今の通常のタクシーでも、ありえます。
 それは、どんなケースかというと、例えば、何かの拍子に、支払いのボタンを押した時です。そのままの状態で走ると、運転手への警告の意味で、ピッピッという音が一定の距離(80円相当)を走ると鳴るのです。
 どういう意味での警告かというと、支払いボタンを押したということは、当然、支払い(清算)も終わっているはずなので、お客様が降りれば、次の段階として、合計ボタン、ついで空車ボタンを押す。
 よって、支払いボタンを押して、尚、走行するということは、基本的に合計や空車ボタンを押し忘れているとメーターは見なすわけです。
 で、ピッピッと鳴るわけですね。
 支払いボタンを押したあとも尚、お客様を乗せて走りつづけるケースがありえますが、その場合は、また、実車ボタンを押すことになります。これで、実車での通常の走行とメーターが見なすわけです。
 尚、支払いボタンを押したままで走っても、料金的には変わりありません。気分的にピッピッを聞きたいという方は運転手にお願いしてみたら、如何でしょう(運転手によっては断るかもしれないけど。どうも、耳障りな音なので)。
 料金メーターというのは、形式が古くても、検査が当該の機関によって一定年度ごとに行われるので、料金設定はどはともかく、内部の構造(実車、支払い、合計、回送、空車、迎車など)は基本的に同じだと思われます。
 でも、そのタクシーを実際に見たわけじゃないので、断言はできないけど、多分、ピッピッの音の理由は上記の通りだろうと推察します。
 支払いボタンを間違って押すことがありえるのか、それについては、なかなか面倒な考察というか説明が必要なので、省略させてもらいます。
 タクシー業界は、大方の業界と同様、不況の真っ只中。厳しい日々が続いています。
 そうですか、 Nさんもタクシー離れですか。寂しい。
(転記終わり。以下、省略)

 まあ、つまらない話題といえば、そうなのかもしれない。が、こんな些細な誤解も、誰も正さなければ、そのままに、通常でもピッピッと鳴るような状況があるのかと思い込まれたままになる。
 恐らくは、これに類するかどうかは別として、タクシーへの正解・不正解はともかく、さまざまなイメージ・偏見・期待・好悪の念が持たれているに違いない。
 そもそも、タクシーを扱った本が世に流布していないわけではないが、時にあまりに突飛な記述が見られたりする。未だにタクシードライバーを雲助紛いに見なす人もいる。それも、裁判官にである。
 と、その前に、雲助とは、どういうものなのか、語っておく必要があろうか。
知恵袋.com」の「東海道五拾三次 保永堂版 箱根 湖水図」の頁を覗きつつ、説明しておこう。
 そこでは、雲助は、「往時の雲助は箱根越えの人々の荷物などを運んだ住所不定の人足を指し、時に暴力を働いたり、脅しや喧嘩などの問題が絶えなかったことから、どちらかといえば悪い意味に取られている」と説明されている。
 その上で、「箱根の暴れん坊“雲助”のちょっといい話」が紹介されていて、これは小生にはちょっとした発見だった。その話題の主は、松谷久四郎という西国大名の剣道指南役であった大酒のみの武士である。
 せっかくなので、松谷久四郎なる武士のことをネットで調べてみる。「雲助徳利の墓」があり、「酒が元で国外追放となり流れ着いた箱根で雲助の仲間となった」、そして、「久四郎はもともと文武両道の達人だったため雲助を助けて雲助達の信望を集め彼が亡くなった後雲助仲間が金を出し合って墓を建てて供養したという」のである。
 さすがに、小生には真似ができないような立派な雲助もいたわけである。
 もう、雲助という言葉も死語に近付きつつあるのかもしれない。一部の偏見に凝り固まった役人やそれに類する妙にプライドばかりが高い人たちを除けば。

 余談だが、「提灯殺しのガード」があるのをご存知だろか。興味のある方は、覗いてみてもらいたい。
 ちなみに、小生、大田区中央2丁目JRガード下で提灯(行燈)を擦ったことがある。やっちまったと思ったものだ。

 小生、繰り返すが、これでもタクシードライバーの端くれである。端くれというのは、タクシードライバーとしても、目立たない、冴えない奴なので、仕方ないのだ。でも、真面目にはやっているのだ!
 この日記においても、折々は、タクシーやタクシードライバーのこと、更には交通事情のことにも触れたい。おっと、オートバイ(乃至はスクーター)のライダーとして、その関連のことも、触れるだろう。
 念のために付言すると、我がホームページに、「タクシーとオートバイの部屋」を先週、開設したばかりである。まだ、掲載してある文章は少ないが、追々、充実していくものと思っている。

 さて、小生、川柳に凝り始めたのだが、悲しいことに、折々覗いていたサイトが閉鎖になり、その前には、川柳作りの切っ掛けとなった、「川柳で遊ぼう掲示板」が閉じられて、意気消沈している。
 小生は、部屋の中で川柳(や俳句)を苦吟するのではなく、あくまであちこちのサイト(の掲示板)や、画像掲示板の画像を見たり、時には、何かの話の流れの中で即興で挨拶代わりの句作をする。だから、そんな場がないと、句が浮かばないのである。困ったことだ。
 それでも、昨日、何も作らなかったわけではない。
 以下、駄句を羅列しておく。中には顰蹙を買いそうな作品もあるような:

 露天風呂毛深いあなたはクマさんだ
 雪見風呂湯気に透かして極楽へ
 猿さんは風呂三昧で人となる
 温泉に浸かってほしい新潟の人
                 2004/10/25(Mon) 01:28

 すわ地震 飛び出した先 崖崩れ
 すわ地震 隣りの夫婦 また今夜
 激震に球界揺れて枯れ葉落つ
 激震や大統領選に釘付けか
 大地震枯れ葉の落ちる街外れ
 大地震枯葉眩しき秋の空
                 10月25日(月)00時33分28秒

 逃れたい? 見捨てたくない 生地なれば
                 2004/10/25 (月) 18:58

 冒頭に掲げた写真は、昨日の日記にも書いたが、鎌倉宮を訪れた際に撮ったもので、鎌倉宮碑である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/25

「地震」は「なゐふる」という

doro-1.jpg

 23日に新潟は中越地方を中心に大地震が発生した。その余震は、三日目となった今日も続いている。
 被災地では、今日の夕方から雨が降り出していて、弱り目に祟り目の状況である。屋内では余震が怖く路上(学校の校庭など)にテントを張って避難している方たちの移動する姿がテレビで映されていたが、一体、何処へ移動していくのだろう。地域にある会館や体育館などに避難されている方たちも、屋内とはいえ、冷え込みの厳しい中、毛布程度では寒さを凌ぐのは苦しいものと思う。
 地震のことをネットで情報収集していたら、「地震」は「なゐ」と(古語では)読むという記述を見出した。確か、地震は季語として使われるのかを調べていた過程でのことだったが。
 改めて、「地震 なゐ」をキーワードにネット検索したら、その筆頭に「広報紙なゐふる」という、文字通りのサイトが筆頭に登場した。何のサイトなのかと覗いてみたら、「日本地震学会の広報紙『なゐふる』」のサイトだった。
 さすがである。
 その表紙の冒頭に、「「なゐふる(ナイフル)」は「地震」の古語です。「なゐ」は「大地」、「ふる」は「震動する」の意味です。」と丁寧にも説明してある。
 広報誌『なゐふる』は年間講読できるが、過去の分については、そのサイトで読むことが可能だった。
 さらに調べてみると、鴨長明が『方丈記』の中で、「恐れのなかに恐るべかりけるは、ただなゐなりけり」と述べていることも分かった。小生、幾度となく、あの語調に釣られて『方丈記』を読んだものだったが、その中で地震が「なゐ」と記述してあることは、きれいさっぱり忘れている。脳裏を懸命に掻き削っても、何も出て来「ない」。情ない極みである。
 自分への戒めのためにも、たまたま手元に、「新潮日本古典集成 方丈記/発心集」(三木紀人 校注)があるので、当該箇所を引用しておく:

また、同じころかとよ、おびたゝしく大地震(おほなゐ)ふること侍(り)き。そのさま、よのつねならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地((ろくじ))をひたせり。土裂(さ)けて水涌(わ)き出(い)で、巖(いはほ)割(わ)れて谷にまろび入(い)る。なぎさ漕(こ)ぐ船は波にたゞよひ、道行(ゆ)く馬はあしの立(た)ちどをまどはす。都(みやこ)のほとりには、在々所々((ざいざいしよしよ))、堂舍塔廟((だうしやたふめう))、一(ひと)つとして全(また)からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛(さか)りなる煙の如し。地動(うご)き、家のやぶるゝ音(おと)、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽((たちまち))にひしげなんとす。走(はし)り出(い)づれば、地割(わ)れ裂(さ)く。羽(はね)なければ、空(そら)をも飛(と)ぶべからず。龍ならばや、雲にも乘(の)らむ。
(p.25)
 この後に、「恐(おそ)れのなかに恐(おそ)るべかりけるは、只((ただ))地震((なゐ))なりけりとこそ覺え侍(り)しか」という一文が続くわけである。
 さらに、「かく、おびたゝしくふる事は、しばしにて止(や)みにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶(た)えず。よのつね、驚(おどろ)くほどの地震(なゐ)、二三十度ふらぬ日はなし。十日・廿日過(す)ぎにしかば、やう間遠(まどほ)になりて、或は四五度、二三度、若(もし)は一日((ひとひ))まぜ、二三日に一度など、おほかたそ余波(なごり)、三月ばやりや侍りけむ。」とも書いてある。
 中越地震でも、今も余震が続いているし、住民等が実感上、減ってきたかなと思えるには、一ヶ月程度を要する見込みだとか、相当程度の震度の余震も可能性があると専門家は語っている。
 ちなみに、『方丈記』で語られている地震は、マグニチュード7.4だという。
『方丈記』では、この地震の前には、日照り・旱魃・戦乱などによる飢餓の惨憺たる有り様も鴨長明ならでは筆致で書いてあることは、有名だろう。
 参考に、例によって、松岡正剛の「千夜千冊」の、『方丈記』を覗くのもいいだろう。
 恥ずかしながら、小生が、「無精庵」と日記サイトを命名する時、芭蕉の庵をイメージしつつも、座右の書である『方丈記』の庵(いおり)をも念頭に置いていたが、あまりにおこがましいので、我が生活のだらしない実情に鑑み、「無精庵」に留めたという経緯がある。
 文献的には、『日本書紀』の武烈天皇の影姫歌謡説話にも「地震」が出てくるが、「地(なゐ)が震(よ)り来(こ)ば」と、岩波文庫版『日本書紀(三)』(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注)では読み下している。

 なんてことを書くつもりはなかったのだが、ついつい深入りしてしまった。
 冒頭に掲げた写真は、過日、鎌倉へ行った際、鎌倉宮に立ち寄り、護良親王が幽閉されたという土牢を撮ったもの。
 不明ながら、小生の無知で、すぐ近くにあるはずの、護良親王のお墓へは参ることができなかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/10/24

花鳥風月

 花鳥風月という言葉は聞いたことがある。あまり使ったことはない。どことなく面映い気がして、使う気にはなれなし、使うような場面に遭遇することもない。
 では、何故、唐突にこの場に花鳥風月という言葉が現れたのか。一応は、23日の「錦秋の候の気配が」や17日の「釣瓶落しの季節」の中に書いた随想に連なるのだ、と言いたいのだが、さて結び付けられるかどうか分からないままに、この言葉を机の上に放り出している。
 先に進める前に、花鳥風月を事典ではどのように説明しているのか、確認しておきたい。
『NIPPONICA 2001』によると、「自然の美しい風物。「花鳥」は鑑賞の対象となり、詩歌、絵画などの題材とされる自然の代表としての「花」と「鳥」を意味し、「風月」は自然の風景の代表としての「風」と「月」を意味し、狭義には「清風」と「明月」をさす。転じて、そうした自然の風物を鑑賞したり、それらを題材として詩歌、絵画などの創作にあたるなど風雅の遊び、風流韻事をいう。」とある。
 川柳も俳句にもズブの素人であるという特権で、思いっきり大雑把に両者の区分をすると、川柳は、主に時事的な事柄を扱う軽みのある表現であり、俳句はまさに花鳥風月を意識してのやや象徴的表現の試みだろうと思う。
 どちらも、既に長い歴史があり、先人の句作を意識しない訳ではない。俳句は特に先人の(中の感銘を受けた)歌や句を強烈に意識して句を作られているように感じる。
 川柳にしても、軽みを大事にした比較的時事的な事柄を扱うのであり、季語などはあまり気にしない、あるいはほとんど意識しないのだとして、それでも先人の仕事を意識しない訳ではない。同じ句を作る可能性は少ないのだとしても、意識には上っていなくても潜在的に覚えている作品が、つい、口を突いて出てくる可能性もありえないわけではないし、また、意識していて、その上で違う世界を詠み込みたいと願う。
 伝統(つまりは、先人の中の自分にとって感銘を受け勉強にもなった個々の作品や仕事の数々)をそれとことさら事挙げしなくとも、そういった先人の仕事を意識し気付き挙げてきた季語などに集約される言葉への思い入れ、言葉を使った場面場面を脳裏に鏤めつつも、その上で自覚的に自分なりの世界を構築する。その自覚の強いものが俳句なのだろうと思われる。
 かといって、その都度詠んで感銘を受けた作品であっても、その全てを覚えている訳ではない。むしろ、いいなと思った作品であってさえも、忘却の彼方に消え去った、忘失の海に沈みこんでしまった作品のほうが圧倒的なのかもしれない。
 これは、別の角度から言うと、物心付いてから折に触れて感じたこと、美しいと感じた風景、嬉しい・悲しい・辛い・憎い・愛惜すべき個々の場面・光景も、多くは普段は忘れてしまい、無意識の海の深くに沈みこんでしまっていて、よほどの機会・機縁がないと海面上に浮き上がってきたりはしない、が、それでも、遠い日・近い日のいつだったかに心に刻まれたことがあったのは間違いなく、そうした記憶の断片や思い出の化石の堆積した無意識の海を誰しもが胸の中に抱えているのだろうということだ。
 その上で、今日という今日、何かの光景を目にして、多くは花鳥風月なのだろうが、あるいは日常の何気ない風景だったりすることのほうが多いのかもしれないが、たった今、その感銘を受けているその場で句を作る。その際、川柳の方向に走るのか、俳句の方向を選ぶのかはその人次第だろうが、いずれにしろ、胸の底深く浅くに沈んだ情の欠片や化石たちの堆積する土壌の上で、今日ただ今の時点までに培った素養や体験などの積み重ねも含めて、句(や歌)を作る。
 個々の今、作られる句(や歌)は、今の光景などを詠い込んでいるとしても、その言葉の織物を通じて、単に今、眼前にしている現に向き合っている情景を織り込んでいるだけじゃなく、もっと奥深い、使われている言葉は時に象徴的なものに過ぎず、それらの言葉の連なりを通じて描かれ指し示されてる世界というのは、その人だけが直面している光景・情景・場面ということではなく、もっと多くの人の琴線に触れえる、琴線を奏でて止まない一個の存在感に満ち溢れたモノになる。
 作品が作品として成功すると、その作品は、多くの人に、そうだよ、この句(歌)が詠いたかったんだ、この表現を探していたんだ、今の気分にピッタリなんだ、胸の奥底で蟠っていた、なんとか出口を見つけようとしていて見出せずにいた情念・情感の渦巻きが、まるで誂えたかのように、光明を差しかけ、出口を指し示し、岩戸の外の青空のもと、情念が形を得る。ぴたりと決まる。古臭い言葉を使えば、ボーリングした鉄のパイプの先が油源というか鉱床に突き当たったかのように、集合的な無意識の層に突き刺さり、感情・情緒の熱水が地上世界に噴出する。
 小生が口癖のように使ってしまう「海」あるいは「宇宙」に遭遇する瞬間が現実のものとなるのだ。そんな機会が少しでもあれば、素晴らしいと思う。

 花鳥風月という言葉によって、従来はどのような意味を感じ取るのか、そのことに誰にも共通するものがあったのかどうか、分からないが、幾人もの歌人・俳人の仕事(個々の作品の数々)の堆積した山並みを意識しつつ、句(歌)を作るのは、今、この場にいる自分なのだから、自分が今、感じる季節感・現代感を大切にしてのことでないと、どうにもならない。
 季語を学び、大事にしつつ、今の自分が感じる季節感に敏感であること。今の自分が季節を空気を世相を現代の情愛を感じる場面から懸け離れない表現を心掛けること。
 歌は分からないが、前にも書いたが、山本健吉の言葉を借りれば(特に俳句に限定する必要はないと思うのだが、については)「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」の三か条に尽きる。
 ということは、先人の個々の仕事(作品)の数々を意識しつつも、今、この場で、現場で即興で、ある種の軽み(滑稽)を忘れず、また、詠う現場の主人への挨拶なのだということを念頭において句は作られるべきだということであろう。場の主人というのは、宿を提供してくれた主である場合が本来だったのだろうが、広くは、歌を(句を)作りたいという心境に誘ってくれた空間(宿もあるし、吟行の場かもしれないし、友や恋人、親子だったりするかもしれないし、小生などは掲示板を提供してくれる板主である場合が多い、ネットの時代の今は、この場が増えているように思う)から見える風景・写真・情景・場面自体が主である場合も、あるいは多いのかもしれない。
 花鳥風月が場において遭遇しえる句作の機縁である場合が多いが、何より大切なのは、今、自分が感じていることが、或いは感じていることをできるだけ忠実になぞり表現することが、下手であっても、不器用であっても尊重され最優先されるべきだろうということだ。

 長々と書いてきたが、エッセイが思考の試みなのであり、思考のプロセスでもあるのだとしたら、曲がりくねった、時に同じ事を多少は力点を変えながら繰り返すことになるのも、無理からぬことなのだと思う。モンテーニュの『エセー』(随想録)が好きである所以である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/23

錦秋の候の気配が

s-DSC01035.jpg

 錦秋の候などというと、何か畏まった手紙の書き出しのようである。久しく手紙など書いていないし、実際に錦秋の候という表現を使ったこともない。そんな小生が、この言葉を表題に使ったのは、木曜日の営業が終わり、金曜日の朝、帰宅の途上、近所で紅葉している葉が雨をタップリ吸って緑濃い葉々の中にチラホラとあるのに気が付いたからである。
 といっても、未だ、疎らで、ほとんどの葉っぱは緑色である。晴れた朝だし、近所に目新しい花も見つからず、写真を撮り損ねていたので、せっかくなので朝日を浴びる葉桜の並木道を撮ろうと、カメラを枝葉に向けファインダーを覗いた……からこそ、黄色に変色した葉っぱが混じっていることに気が付いたのだった。
 そうでなかったら、見過ごしていたはずである。
 但し、冒頭に掲げた写真では、画質をかなり落としていることもあり、変色した葉っぱの存在がよく分からないかもしれない。
 何処で読んだか、生憎、忘れてしまったが、『歳時記』の季語の種類を分析してみたら、3分の1以上が植物系の季語だったという。
 このことをどう解釈したらいいのだろうか。残念ながら、分析の詳細を知らない。だから残りの季語にどんなものがあるのか、例えば、動物系なのか、山や海・川などの風物なのか、風・雨・雪・露・霧・雲などの自然現象なのか、月や星などの天体(現象)なのか、などが分からない。
 そもそも、植物系の季語、動物系の季語、自然物系の季語を除いて、どんな季語がありえるのか、恐らくはかなり限られるのではないかと思われ、なんとなく植物系の季語が多いのは当然なような気もする。
 いずれにしても、自然の風物・現象に触れ、感じるものがあったりする、そんな感性に日本の多くの人は恵まれているように思われる。
 ところで、秋の季語に、山粧うがある。紅葉、黄葉で色どられた山を表現しているようである。一方、山笑うという季語もある。これは、春の季語であり、寒さに凍えていた山野に若葉が芽吹いてくる感じを笑うという言葉で表現しているようだ。
 秋の季語としては、山粧うが正解なのだろうけど、紅葉した感じが笑んでいる感じ、綻び出している様子に思え、山笑うも秋の季語だと教えられたら、そうなのかなと素直に思ったりする。
 ところで、大急ぎで断っておくが、錦秋は別に秋の季語というわけではない。錦秋の候という表現が10月の侯の挨拶として使われるというだけである。この錦秋、まさに山粧うの結果としての絢爛たる山々の光景を表現する言葉として、まことに相応しい。

 その季語のこと、あるいは、季語の重ねの問題で、いろいろ教えられることがあった。以下は、大雑把だが、今のところの小生の季語に対する見解である。某サイトの掲示板への書き込みを転記する:

 季語、そして季語の重なりの問題について、いろいろ教えていただき、ありがとうございます。
 俳句に限らず、歌には長い歴史と伝統がある。別に季語に拘らずとも、新たに歌を句を作るには、そうした重いものを意識しないわけにはいかないし、無視して作るには天才的な力があるか、ただの楽しみ・座興に篭っていくかで、伝統を踏まえるには、相当な勉強が要るわけですね。万葉集の引力圏からなかなか抜け出せない小生には、気の遠くなるような話。
 ところで、一方、小生は、文芸評論家の山本健吉じゃないけれど、俳句については、「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」という三か条をとても、大切なものと感じます(歌は別途)。
 つまり、折に触れ作るのだとしても、情緒を含めた森羅万象を前にして、その機縁に得た感興を即座に(詠われる世界の深さはともかく)軽く詠うのでないと面白くないとも思うのです。
 それゆえ、少なくとも俳句については、一方では、伝統への深い理解と造詣を背負っていないとつまらない(個々の句や季語へのいろんな人たちの思い入れを知悉しておく必要がある)、でも、他方では、何かの時に即興で作らないと白けてしまう(練りに練って句吟に苦吟しているようだと、少なくとも他人にそのように映るようでは、困るわけです)。
 この両者に跨った上で、句作ができたらいいなと思うのですが、なかなか言うは易く行うは難しですね。
                                  (転記終わり)

 尚、前段の一文がある。それは、「釣瓶落しの季節」(10月17日)に書いてある。

 さて、今日(金曜日)は、日記の執筆と新規の掌編などのアップ作業(ホームページの更新作業)に追われた。
 まずは、「輪廻について」という昨年の冬の終わり頃に書いた一文をエッセイの頁に載せた。面白そうな題材であり、まだまだ探求の余地がありそうなのに、入り口近辺で引き返してしまっている。機会があったっら、続編を書きたいものだ。
 ついで、掌編を2篇、連作掌編の部屋にアップした。「金木犀の頃/縄の記憶」である。例によって、<ボク>もの小説である。
 それから、本日は、メルマガを配信した。目次だけ、示すと以下のようである:

   目次:●1.光害(ひかりがい)のこと
      ◎ 我がリベルダージのパレード情報
      ●2.コクリコのこと中井英夫のこと
      ●[後欄無駄]:HP更新情報、ほか

 念のため、「光害」について注釈しておくと、光害対策ガイドラインが六年前、環境省により策定されている。なんでも、「環境庁は、不適切な照明による天体観測、動植物の生育などへの影響を防止し、良好な照明環境(望ましい光の環境)の実現を図り、地球温暖化防止にも資するような「光害対策ガイドライン」を策定した」のだとか。
 
 ところで、10月22日(金)朝日新聞朝刊の「私の視点」というコラム欄に、山本茂行氏(富山市ファミリーパーク飼育課長)による「◆クマ騒動 里山消え 人との境界失う」という一文が投稿の形で載っていた。
 里山から人がいなくなってしまい、里山が消失するか荒廃することで、クマと人の間にあった境界線が薄れていってしまい、その過程でクマの人に対する恐怖心も薄らいでいったのではないか、というのが山本氏の主張のようだった。
 この一文に絡め、里山について、簡単にでもコラム文を書きたかったが、果たせなかった。
 22日の日付の内にアップするはずが、23日に食い込んでしまった、日記「十日余の月」において、花鳥風月と日本の風土とを絡めて書いた一文があるが、これが里山論の一端になるはずの小文なのである。
 尚、ネットでは、「大揺れ クマ騒動  『共存考える良い機会』」という一文が見つかった。その中でも、山本氏の意見が紹介されている。
 山本課長はこう提案する:
「人里で見かけた場合は駆除した方がよい。しかし駆除し続ければ自然の生態系が崩れ、最終的には人間の身に降りかかってくる。人の手でかつてのような里山を築いていくのがクマ、人双方にとっての最善策だろう」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

十日余の月

s-DSC01017.jpg

 台風も過ぎ去り、木曜日は午後からだが、秋晴れとなった。夕方には、追い求めていたわけではないのだが、澄み渡った空に半月というのか、九日の月がまるで不意を打つかのように、現れてくれた。
 久しぶりに見るわけではないのだが、やはり月影を見ると、嬉しい気分になる。
 22日の月は、十日余の月で、これといって、風情のある呼び名はないようである。これが、あと数日もしたら、十三夜という、何処か床しい名称が与えられているのだけど。
 思えば、不思議である。見慣れているといえば、見飽きるほどに見てきたはずなのに、空が晴れていて、新月などではなかったなら、何時だって夜空に拝めるはずなのに、現れてくれると、とにかく、なんだか、華やぐような、何処か寂しいような、誰か床しい人と眺めていたいような、年甲斐もなく切ない気持ちも湧いてくる。
 月が昇る、月が空を渡っていく。月が沈む。
 そういえば、過日、今の子供たちは、地動説を知らない、月や星が動いているのではなく、太陽を中心に地球が回り、その地球の周りを月が回っていることを知らない、天動説的な観念に囚われている云々という話が話題になっていた。
 教育の基本がなっていないとか。子供たちの将来を憂えるとか。
 無論、それには反論がある。そもそも、我々が地上にあって、空を眺めれば、月が巡っていくのだし、星も星相互の位置関係はともかく、空に見える星たちも刻々と動いていく、太陽だって、昇るのだし、季節によって昇る高さや角度は違っても天頂近辺に至り、やがて沈んでいく。
 そう、そのように見えるのは当然なのであり、自然なのである。
 このように我々が見えることを、即、絶対化して、天動説だとして主張し始めるとしたら、それは、眼前の観察を絶対化したことになり、行き過ぎなのだろう。あるいは、観察が不足していると言うべきか。
 いずれにしても、地上世界にあるなら、夜には星や月が、昼には太陽が動いていくように見えること自体、咎め立てすることなど、何もないのだ。
 あとは、太陽が昇っているように見えるけど、実はね、本当はね、地球だって動いているのよ、などと親子や、先生と生徒の間で語り合えば済むことなのだろう。

 それにしても、今年は台風がやたらと日本を直撃する。その数が異常に(?)に多いようである。
 日本では、上陸する数の多寡はともかく、古来より台風を恐れ戦いてきたのだった(蒙古襲来の際に、神風が吹いたと、感謝することもあったようだけれど)。
 台風以外にも、火山の噴火に怯え、地震にも幾度となく襲われ、惨禍を体験してきた。
 太平洋という巨大な海を前に、背には日本海があり、北にも南にも海がある。海に浮かぶ木の葉のような島。決して磐石な岩塊、地盤の上にある島ではない。昔の人は、大陸をプレートとして意識はしなかったろうけど、地震で揺らぐような、あやふやなものだとは思わなかったろう。
 中国において天の思想が発達しえるのも、あるいは地を自明の事実として大地として受け止めていられるのも、磐石なる大地という意識さえもしない現実があったからなのだろう。
 翻って我が国はというと、前述したように、雨に山が崩壊し崖が崩れ川が決壊し、浜が大波に浚われ、民家が押し流され、地震で住む<大地>自体が揺らぎ、火山の噴火に慄いてきたのだった。
 個々の災害に苦しむ国家や地域があっても、これら全てに年々歳々苦しめられてきた島国は、我が国だけなのだ。
 昔の人もそうだったろうけど、こうした環境を意識しないで、文化も経済も生活もありえない。
 遠い昔、朝鮮を通じて中国の悠久なる思想や制度が導入されたのだろうけど、また、宗教も砂漠の試練に耐えた戒律の厳しいものだったろうけれど、時の流れと共に、日本的な風土に馴致してきた。
 やがては、花鳥風月の世界に至りつくしかなかったということか。
 厳しい戒律、絶対的な論理、岩のように強固な家を論理を宗教を思想を標榜したところで、台風に襲われ、地震で根底から生活が覆され、火山で地元の家々が一気に飲み込まれ、あるいは火山灰に埋められていく様を幾度となく経験したら、論理も思想も宗教も、自然のあり方に対応したような柔軟で、融通無碍で、反面、曖昧模糊として実体の掴み所のない、そんな鵺(ぬえ)のような在り様になるしかないのだろう。
 台風は困る。しかし、その風と雨が全てを押し流し、過去を水に流してくれた。火山は困る。でも、そこそこに活動してくれて、温泉が湧く分には、その恩恵に浴したい。地震は怖い。が、それが権力の絶対性の仮面を引き剥がし、権力には力が必要なのではなく、権威さえ、あればいい。地盤に相当する権力は、適宜、必要に応じて、とっかえひっかえすればいいものに過ぎない。たとえ、今は威張っていても、今だけのことだと嘯いていることができる。
 風土。生煮えで中途半端な土壌。白黒をあっさり付けてしまいたいと思いつつも、結局は灰色決着で曖昧に流してく。そのほうが、自分たちにも都合がいい…。
 変わるものと変わらざるものがある。が、変わるものもその都度入れ替わるし、変わらないものも、何が変わらないのかが、気が付いたら入れ替わっている。さも、自然な風に。
 温泉国家・日本。誰もが、そこそこの気分で居られる(かの)ような幻想にドップリと浸かっている国。
 それだからこそ、憤懣や情念が鬱屈した形で蓄積されている。簡単には情念の噴出を許さない土壌。その土壌にあって、不穏なる空気が限界に至らないわけではない。その時が来たら、手の平を返すように、様相が一変する。豹変するというわけだ。豹変するのは、何も君子の専売特許というわけではないのだろう。
 そうした、憤懣がどのように噴出してしまうのか、予想はまるで付かない。
 政府筋は景気が上向いていると喧伝している。大本営発表的な絵空事でないことを祈る。何処か、一部の人たちは景気がいいのだろう。カネが一部に集中しているように感じる。都会を走り回っていると、巨大なマンション・ビル群があちこちで建っている。いずれも、ターミナル的な箇所のようだ。
 が、その分、地方の商店街は寂しい。寂れていく一方のように感じられたりする。
 それを全国に拡大してみると、大都会(の一部)は賑やかなように見受けられるが、大部分の地方は置き去りにされている。山が見捨てられ、年老いた人々が、声もなく、孤軍奮闘している。若い人が煌びやかな世界に憧れて、都会へ吸い込まれるように地方から、山から消えていく。
 山が森が川が浜が田が畑が里が、寂れていく。台風でお年寄りの被害が多かったとか。逃げ遅れたとか、なんとか。
 しかし、カネが都会でのみ回り、地方を置き去りにし、その地方の山や森を淡々と守っているのがお年よりだったのだとしたら、荒廃した山村で、ちょっとした災害に見舞われたとき、犠牲になるのはお年寄りだというのは、理の当然なのではないか。
 環境が大事だという。環境とは何か。排気ガスなどを減らして空気を綺麗にすること、ゴミを捨てないでちゃんと処理し、リサイクルに回すこと、省エネの車や電化製品を使うこと、環境に優しい物品を使うようにすること、などなど、いろいろあるに違いない。
 でも、一番の環境対策とは、地元を大切にすること、住む地域を守ること、今もって日本の国土の3分の2は山や森なのだという現実を直視すること。お年寄りだけじゃなく、若い人も山や森に関心を持ってもらうよう、経済の仕組みを変えるというより、国土の性格を理解し直すことなのではなかろうか。
 なんだか、話が仰々しくなってしまった。炭焼き小屋が懐かしいなと思ったりするだけなのだが。

 ところで、青梗菜さんが、掲示板にクラゲにちなみ、イメージ豊かな書き込みをしてくれた。ここに、その一部を転記する(全文は、掲示板の9849を参照):

「僕たちの惑星は水浸しです。海洋は地球の表面積の70%を占めています。
 海の平均水深は約3800m。海域にもよりますが、太陽光が届き植物プランクトンが光合成を行うことができるのは、水深200mまでと考えられています。この水深より浅い領域を表層といい、深い領域を中・深層といいます。
 中・深層は全海洋の90%以上を占めています。陸に棲む僕たちは忘れてしまいがちなのですが、深海は、地球上で最大の生態系の存在域といえます。
 中・深層域に棲む生物は、ようやくその実態が知られはじめたばかりですが、大部分がクラゲの類です。身体を極限まで水にしなければ深海の水圧にたえられませんから。ですから、地球はクラゲの惑星といっても言い過ぎではありません。」
 とした上で、次のように続く:

「中・深層域に棲む者は、光を知りません。しかし、光が投げかけられたときに、なぜ美しいイルミネーションを返すのか。
 光の粒を流しているような ―― 自らの姿が、テレビのモニタで映されることを予期しているほどに効果的な ―― 繊毛の動きは、何ゆえか。
 僕のお馬鹿な空想が端緒を切ります。美しく光る彼らは、深海に生まれたために知ることができない光に満ちた世界、そんな世界があることを、暗い海の底から漠然と知っていたのではないでしょうか。闇に包囲されて生きる者たちは、自分たちの世界に欠けているもの、その名状しがたいものを信仰し続けていたのではないでしょうか。
 人にとっての、あえて言うなら、いわゆる神とは、クラゲにとっての太陽ではないか、なんて気もします。僕たちもまた、漠として、名状しがたいなんらかの欠如を感じているならば。」

 素敵な文章だ。下手なコメントは付けたくない。小生は、なずなさんに提供していただいたクラゲの絵を元に、「ディープタイム/ディープブルー」を書いたが、そのうちに、三度の目の正直ということで、もう一度、挑戦したいと、あちこちで書いているが、その際、この文章を参考にしたいものと思っている。

 さて、表題に掲げたのは、過日、仕事で朝帰りの途上、近所で撮ったもの。いつもとは違う道を通ったら、見かけたので、ちょいと撮ってみた。朝日に首を目一杯伸ばすようにしているのが、健気。
「荒川を 芥川と読む 小説好き」なんて、駄句をひねる小生には、眩しすぎる!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/21

落雁のこと

tanu5959.jpg

◎ 表題を「落雁のこと」としたが、別にここで落雁についての薀蓄を語ろうというわけじゃない。なんとなく、落雁について雑文に仕立てたことがあったような気がしたが、どうやら、「最中のこと/和菓子のこと(多分、駄文)」のことを思い起こしていたようだ。
 その中では、最中や饅頭などのお菓子についてあれこれ語っている。和菓子にも触れているけれど、落雁に言及がない。
 我が富山に絡めた形での落雁については、「第5回 饅頭と落雁  ~富山の和菓子職人~ 陶  智子」に当たるのがいいようだ。
 突然、落雁が話題に出て、唐突の感があるかもしれないが、10月19日の「炉火恋し」の中で、お八つに食べたことが書いてある。掲示板に「お菓子が好きなのですか」と聞かれたりしたこと、落雁のことについて、興味を持ったこともあり、何かエッセイを綴ろうかと思ったが、情景のサイトが要を射ており、今回は駄文を綴るのは、断念した。 
 その代わり、落雁を巡る思い出を綴った(かのような)掌編を、たった今まで書いていた。
 人は、落雁を巡って、どんな物語を綴るだろうか。
 これで、今月は六個目。残るは二つを今月中に書けば、ノルマは達成だ。やれやれ。

◎ 掲示板にある人のメッセージを他のサイトで見かけたものを転記したが、ここにも、転記しておく:

 日本熊森協会(URLは下記です)からの呼びかけ。
☆奥山どんぐり運びを大展開します。
    都市のどんぐりを集めて送って下さい。

 兵庫県(熊森協会本部)、福井県(友会の協力)、富山県(会員の協力)、
 京都府(支部にて)、滋賀県(支部にて)で行います。

 ●兵庫県へは当会事務所までお送り下さい。
 〒662-0042 兵庫県西宮市分銅町5-4-A棟-101 

 URL  http://hb6.seikyou.ne.jp/home/kumamori/

◎ 冒頭に飾った絵は、小生、tanuさんサイトで、連続して5900に引き続き、5959というキリ番を得てしまった、そのお礼。これまた、絵が欲しいばかりに、忙しいというのに、おねだりして、貰ってしまったもの。
 キリ番なんて、ただの数字じゃない、という発想法もありえる。そうかもしれない。実利とか実務とか現実とか、実際的な発想法をする人にとっては、キリ番に遊びや冗談にしろ、拘るなんて、ナンセンスということになるのか。
 でも、色即是空じゃないけれど、ただの数字に過ぎないとなったら、この世の全ては、所詮は、夢幻と消えていく儚い幻想に過ぎない。今日の苦しみも喜びも、明日になれば、消えていく。誰も自分と言う人間が居たこと、ここにあって、胸を焦がしていたことを覚えていてはくれない。
 そう、全ては消え去る。空しいもの。
 が、思うに、その空しいもの以外に、この世に何があるのだろう。袖擦り合う縁(えん、えにし)以外に何があるというのか。空即是色。コンピューターが発達して、この世の様の全てが情報へ還元されていく。情報が命の時代。
 その情報は、アナログではなく、デジタルの形式である。微細な単位で表現されるからデジタルなのかアナログなのか、人間には区別が付かない。デジタルでの映像なのに、アナログ風に画面が見えたりする。
 デジタル。数字。オンとオフ。黒と白。
 が、ある意味、この発想法は正しいように見えて、勘違いしているようにも思える。
 二つの点が白い画面上にあるだけで、人は何かしら意味を読み取ろうとする。その意味の切っ掛けはドット状態の点かもしれないが、意味として脳裏に刻まれ心の中で揺らめく何物かは、もう、別個の生き物なのではないか。
 二世代昔、ゲシュタルト(Gestalt=独語で「形態」)なるものが持て囃されたことがある。小生は、仮に形態を構成するものが個々の点(粒子)だったとしても、その点粒子には還元されない、一つ次元の違う世界が形態として創出されることを重視したい。
 話が大袈裟になったが、要は、色即是空、空即是色のその狭間で、人が生きていて、大切なのは、袖擦り合う縁(えにし)以外にないのだという、ただ、その一点にある。その縁さえ、たんに都会の片隅で擦れ違っただけじゃないか、そんなことに何の意味があると考えるのが、キリ番軽視派なのではないか、と、密かに思っている。別に主張する気など、毛頭にない。別に自分の主張が正しいとかどうとかではなく、キリ番も縁の一つなのだと思うだけなのである。

 前日は、小生が午年生まれということで、午(馬)に絡めて描いてくれたようだが、今回は、魚座ということで、魚に絡めて描いてくれたみたい。
 魚の気球に乗って、世界中をのんびり旅して回りたいね。
 以前、「俳人は かなかなかなと 鳴くのかな」という川柳をひねったことがあるが、「かなかなかな」というと、つい、「さかなかな」と続けてみたくなる。
 さて、俳人は、俳句で世界を詠い込むのだとしたら、お魚さんは、本当に川を海を巡っている。水という宇宙世界の旅の達人なのだ、ということで:

 世界漫遊 俳人よりも 魚に似合う
 旅人は 俳人よりも 魚かな
 擦れ違い?擦れ違うって 凄いかも

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/20

秋の雨

tanu5900.jpg

◎ 雨が降り続いている。まだ、風は吹いていない。秋の長雨。
  現代の我々は、秋雨前線の長雨だとか、さらに続いて台風23号が齎す雨だとか、それなりに雨の性格が分かるけれど、昔の人は、雨の様子から、この先、台風がやってくることを察知することができたのだろうか。
  風が吹き始め、次第に強まってきたら、さすがに分かるのだとしても。
 「ながめ」といと、季節は違うけれど、小野小町の歌を思い出す:

  花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

  この場合の花は、桜なのだろうし、春を盛りに華やぎやがて一気に舞い散っていく桜の光景を前に、我が身の容色が衰えていくことを嘆いている、その対比が一層、哀れなのだろう。
  若い頃に美しい人ほど、自由闊達であったり、ちやほやされていた人ほど、一時期でも衆目を集めた人ほど、その後の、夏の賑わいがウソのように、潮の引いた浜辺の光景を寒々しく感じる、のだろうか。
  それとも、そうであってさえも、胸に去来する近いようではるかに遠い熱い日々の余韻をかみ締めていくのだろうか。

  花の色 うつりにけりとも 花は花
 
◎ ある方に日記にメッセージを寄せてもらった。そのレスを転記しておきます:

 Mさん、メッセージ、ありがとう!
 いよいよ台風23号が関東にも近付いているようです。
 被害が少なければいいのですが。

「野路の秋 真っ赤な木の実 寄り添って」が、印象に残ったとのこと、嬉しいです。あの写真、仕事先で、ふと、気になって撮ったもの。
 花でもそうだけど、大きな花は数少ない花たちが誇らしげに咲いているけど、小花だと寄り添うように、集い合い肩を寄せ合うようにして咲くのですね。
 人も、大輪の花のような人もいるけど、大抵の人は、小さな花なのに、事情があって、離れ離れになっている。
 でも、本当は可能なら、寄り添い合いたいものなのでしょうね。
 普段は離れて暮らしている妹さんと一緒に野山へ行って、いろいろする、リースも作る…、そんな時って、一緒に暮らしていた頃の気持ちに戻るのでしょうか。
 花のリース、子供の頃に、田圃の蓮華で花輪を作ったことがあるだけ。童心に帰って、せめて心の中でリースを編みましょうか。
 それにしても、「赤い実」がマルさんには格別なもののよう。何か思い出があるのかな。
 今、思い出したけど、童謡に「赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い、赤い実を食べた」ってのがありましたね。
「「赤い鳥小鳥」北原白秋作詞・成田為三作曲」
 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/akaitorikotori.html

 赤い実や 夜寒の空に なに思う
 赤い実や 夢を燃やして 夜に映え
 木の実たち 寄り集って ぬくもって
 木の実たち 燃え上がるほど 冬思う
 木の実たち 赤く燃えるは 我が夢か
 赤い実や 小鳥啄ばみ 冬近し

◎ 冒頭に掲げた絵は、小生があるサイトでキリ番を踏んだので、連絡したところ、キリ番踏みのプレゼントということで、貰ったもの。半ば、無理強いで貰ったような。
  小生は、午年生まれだからって、午(馬)にされちゃってる。でも、嬉しいな。tanuさんに馬方になってもらって、その方のワールドを存分に旅して回りたいものだ。
  小生は、このサイトの方のファン。ユニークな絵と詩文を作られている。tanuさんという方には、tanuさんワールドが確固としてあるように思う。
  勝手ながらファンになっているけれど、今より人気が出て、人気沸騰ということになると、気軽には掲示板でもレスやコメントでの遣り取りもできなくなるだろう。
  だから、先物買いというか、今のうちに、少しでも応援しておきたいのだ。
  皆さん、是非、覗いてみて、自ら楽しんでください。

  tanuさんよ お馬引き連れ 何処へ行く
  tanuさんよ 荷物さえなけりゃ 何処へでも
  tanuさんよ お馬の親方 犬なのね
  tanuさんよ 犬馬の労を 尽くすからね

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/19

炉火恋し

kurage-nazuna-s.jpg
 今朝は危なかった。出勤日ということで、決まった時間に起き(当然、前夜は、早めにベッドに入った)、しっかり食事を摂り(食べたのは、夕べ注文したピザの残り物の唐揚げ類など)、持物をチェックし、さて、仕事着に着替えようとした瞬間、ハッとした。
 あれっ、今日、月曜日……、今週は、火曜、木曜、土曜が仕事じゃなかったっけ。
 手帳を見て、やはりそうだった。今週の月曜日は休みなのだった。
 途端に体から力が抜け、仕事だという緊張感も何処へやら、秋晴れの一日が急にプレゼントされたようで、しばし、途方に暮れてしまった。
 が、ここが若い人と違うところ、外出しようという思いもあったが、一仕事、やってしまおうと思い立ったのである。若かったら、部屋に燻ってなどいないで、オートバイで何処かへツーリングのはずだ。
 今日が仕事だったのだ、と自分に言い聞かせて、久しくやろうと思いつつ、手が付けられないことに取り掛かったのである。
 それは、エッセイの頁から、タクシーやオートバイなど、交通(道路)関係のエッセイやレポートの類いを独立させ、「タクシーとオートバイの部屋」を作ることだった。
 人様には、なんだ、そんなことか、と思われるかもしれないが、小生にはずっと課題になっていた仕事なのである。
 今まで、「エッセイ祈りの部屋」「富山の部屋」「サンバの部屋」「書評と著作の部屋」「駄文・駄洒落・語源の殿堂!」、そして、勿論、小説の部屋(「掌編作品の部屋」「連作掌編の部屋」)や日記の部屋を独立させてきたが、まだ、独立させたい部屋があったのである。
 その一つが、「タクシーとオートバイの部屋」だったのだ。
 ホームページの転居ほどは大掛かりではないけれど、それでも、独立した部屋を作るため、相当程度の時間を費やすことになった。
 この作業には、ご自身がタクシードライバーだという読者の方から、メルマガでもっとタクシーのことも扱って欲しい、という要望を戴いたことも後押しとなった。
 この部屋を作ったことで、今ある、古い文章群に、追々、タクシーをテーマの、タクシードライバーとしてのエッセイやレポートも追加していきたいと思っている。
 前にも書いたが、タクシー(ドライバー)について、小生が納得できる本も文章にも出会ったことがないので、自分で書くしかないのかと思うしかなかったのだ。タクシーという仕事について語るには、やはり相当な準備が要る以上に、そもそも、語り口、切り口において、自分なりの論理を構築していくしかない…、その意味で遣り甲斐はあるけれど、小生には荷が重過ぎる課題だとも思っている。

 この仕事が終わったら、もう、とっくに正午を回っていた。ようやく、読書を楽しむ時間が持てた。仕事をした褒美に読書を少々、というわけである。今は寺田寅彦の随筆集(岩波書店)と白川静著の『中国の古代文学(一)』(中公文庫)などを読んでいる。両者とも、秋の夜長に相応しい本で、ゆっくり読んでいるので、今月中に読了できるかどうか、といったところ。
 が、読書しながらも、片付けるべき雑用が脳裏をチラチラしている。税金などの支払いが溜まっているだ。口座引き落としができなくて、直接振り込みする羽目になっていた。郵便局へ行くことに。3時ギリギリに局に入ったが、そんなに待たされることなく、用事を済ますことができた。運がいい。
 帰り道、図書館へ行こうかと思ったが、過日、本をたくさん、貰ったことだしと思い直し、真っ直ぐ家路に。途中、素敵な、しかし、小生には珍しい花を見つけたので、写真を撮りたかったが、通行人が多く、気の小さい小生は、立ち止まって撮る勇気もなく、後ろ髪を引かれる思いをしつつ、帰ったのだった。

 時間は3時半頃だったろうか。懸念材料も減り、お腹が空いたので、テレビを見、新聞を見ながら、食事。食べたのは、カップラーメンとお菓子。ミカン。

 このあと、某サイトの方から使用の許可を戴いた、クラゲの絵を昨日、アップした、「ディープタイム/ディープブルー」の頁の冒頭にアップする作業を行った。
 この絵、小生のお気に入り。一目見て、あ、この絵を元に、何か書きたいと思った……のだが、「ディープブルー」を最初に書き、「ディープタイム」を次に書いても、得心が行かない。困ったことである。
 でも、絵を載せられて、小生はご機嫌である。
 この日記の冒頭に掲げる絵が、その噂の絵である。描き手は、なずなさんである。ユーモアとセンチさとひたむきさを感じるヴァラエティに富む作品を描かれている。
 これに相前後して、少々ネット巡り。某サイトで、「閑古鳥」という言葉に行き逢う。久しぶりのような気がした。せっかくなので、ネットサーフィンを気取って、語源探索の旅へ。さまざまなキーワードを駆使して、「閑古鳥」の周辺をいろいろ探り、「閑古鳥が鳴く!」という駄文系エッセイを仕立てた。
 こういう文章を書くのは、小生、大好き!
 その過程で、「胡散臭い」とか「眉唾」とか、他に「こじつけ」という言葉について、調べたくなったり。語源探索の旅に終わりはないのだ。

 時刻は五時前だったろうか。絵のアップ作業も終わり、読書しようかなと本を開いて活字を見た途端、眠気に襲われ、ロッキングチェアーで居眠り。何かの夢で目覚めた。部屋の中は、すっかり宵闇に包まれている。外も薄暗い。向かいの工場の窓にも、明かりが灯っている。秋の日は、呆気ないほど、早く暮れていく。
 一人きりで過ごしていると、なんとなく、世間から置いてきぼりを食らったような気分になる。テレビでも見て、気分を誤魔化したいところだけど、読書。そんなに時を経ずに、夕七時に。
 小生のネット巡りの時間である。この時間、お気に入りに入っているサイトを数十個は巡る。書き込みをするのは、そのうちの数個だけで、あとは新作とか更新を(特に日記だ!)を見て回るのである。
 そのあと、読書するかなと思ったが、「閑古鳥」について、新しい情報が入手できたので、続編(補遺)を書いたりして、気がつくと、八時半になっていた。
 少々だけ読書し、入浴…じゃない、シャワー。小生は事情があって、入浴は止めているのだ。
 九時過ぎから、テレビを見ながら、食事。御飯は電気釜で炊いてあるので、あとは、シチューがオカズ。デザートにミカンとお菓子(落雁)。
 食後、掲示板に戴いたメッセージへの返事を書いたり、人様のサイトに書き込みをしたり、気がつくと、夜半だ。早いものだ。
 夜半が近付くまで、今日も掌編を書こうかなと思ったりもしたが、3連荘で創作するのはきついと感じ、取りやめた。今月は、あと三つがノルマ。タクシーの日程がタイトなこともあり、書いておいたほうがよかったのだけど。ま、慌てることもないだろう。切羽詰ったら、シャカリキになって頑張るだけだ。
 そうして、夜半を回ってから、この日記を書き始めているのである。

 さて、今日は自宅にいたこともあり、あまり駄句をひねっていない。どうも、やはり車中とか、散歩の最中とか、そんな動いている時に句が思い浮かぶもののようだ。
 それでも、出来なかったわけじゃないので、幾つか、メモしておく:

(小生が子供の頃、お餅を作るため、お袋が土間の炉で米を炊いているのを横から見て、顔に焔の光が当たって、小皺が妙に生々しく感じられたのを思い出したという、光景である。皺の数が数えられというのは、未だ、肌に艶も張りもあるからこそ、逆に目立つということなのだろう。句の中の、「炉火恋し」は、秋の季語。「肌寒く、火を恋しく感じる頃」の意。)

 笑い皺濃く深くする炉火恋し

(以下は、「閑古鳥が鳴く!」を書いている中で、惰性で作ったもの)

 閑古鳥 我が家の庭で 鳴き荒ぶ
 閑古鳥 嫌われるから やってくる
 閑古鳥 憎まれっ子 世に憚る
 閑古鳥 声はすれども 姿なく
 閑古鳥 元を辿れば 深山なり
 閑古鳥 世が世ならば 都鳥
 閑古鳥 ホントの鳴き声 聞かれない
 閑古鳥 山里で鳴けば 床しかり
 閑古鳥 由緒正しい… でも来ないで
 閑古鳥 祭りの山車に 君臨す
 閑古鳥 我が胸の枝 止まりしか

(下記は、それぞれ、「憂き我を寂しがらせよ閑古鳥(芭蕉)」「ふるさとの寺の畔の ひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥(啄木)」に応じるかのようにして、ひねったもの)

 憂き我も共に鳴かせよ閑古鳥
 ふるさとの 山に迎いて いうことなし ふるさとで鳴くは 閑古鳥のみ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/18

秋麗

s-DSC01034.jpg
 秋麗と書いて、「あきうらら」と読む。ま、読んで字の如しで、うららかに晴れた秋の日を表現する。俳句では秋の季語の一つ。この日曜日は(東京)、まさにこんな言葉を使いたくなる陽気だった。
 が、小生自身は、情なくも、家に閉じ篭ったまま、週日を過ごしてしまった。例によって、ロッキングチェアーで居眠り、仮眠、惰眠、転寝(これは、椅子での居眠りには合わない言葉かな)の連続だったので、日曜日の昼頃になっても、自分が起きているのか、それとも、夢うつつでボンヤリしているのか、定かでない状態だったのである。
 この土日、小生がやったことを並べると、まず、このブログの日記がある。16日の「荻の声」と17日の「釣瓶落しの季節」で、いずれも、大抵の人の日記よりは長め。コラムというかエッセイに近いものがあると思う。
 小生は、このブログに相当程度、力を入れているのだ。
 ついで、アップはまだだが、「蓮っ葉な奴」と「恋は秋の暮れに」というタイトルの掌編を書いた。これで今月は五つ、書いたことになる。あと三つが今月のノルマ。「恋は秋の暮れに」にしてもそうだが、画面に向ってから、何を書くか、考える。エッセイを書くか、掌編かというジャンルさえ、決まっていないことがあったりして。
 頭の中は、もう、空白。ネタなど、とっくに尽きている。でも、書き上げるんだと自分に言い聞かせて、プレッシャーを掛ける。脳髄が過熱してくる。何か生み出すんだ! で、不意にちょっと頓珍漢な失恋物語が浮かんだ。
 というより、純愛的な話を書くつもりが、途中で妙に話が輻輳してしまい、頓馬な失恋物語になってしまったのである。
 年内にあと十九個、掌編を作れば、年間掌編百篇が達成となるはずだが、胸突き八丁が、さらにきつくなっている。でも、何をしたわけでもない、この一年は、掌編百篇の年として自分には銘記されるはずである。大概の人には、なかなか経験できないことなのではなかろうか。
 来年のことを言うと、鬼が笑うというし、今は言えないが、来年に向って、何か違う目標を打ち立てたいと思っていることは確かである。

 さて、日曜日になって、サンバの部屋で、滞っていた写真のアップ作業を行った。武蔵小金井のパレードの時の写真を十枚以上も一気にアップしたのだ。あるダンサーの方の誕生日がこの14日だったと聞いたので、彼女の写真を載せたい一心で作業したのだった。
 この他に、志村銀座、武蔵境と残っている。ま、年内の作業として、楽しみに取ってある、ということにしよう!

「掌編作品の部屋」に、掌編を二つ、アップした。いずれも、某サイトの絵日記の絵を見て描いたもの。
 その絵とは、「ディープ・ブルー」という映画を見て、サイト主の方が印象を元に描かれたのだが、たまたま描かれていたのが、「クラゲ」だったのが、小生の目を引いたのである。
 小生のエッセイなどを読まれた方は、小生がクラゲ好きなのを御存知かもしれない。
 そのクラゲの浮遊感が実によく描かれていて、なんとかその絵に相応しいような掌編を書きたいと、まず「ディープブルー」を、ついで、それが得心行かなかったので、「ディープタイム」と、書き上げたのである。
 が、いずれも、絵の喚起するイメージにそぐわない。
 そのうちに、三度目の挑戦をするかもしれない。
 それはそれとして、とりあえず、二つの掌編をアップしたのである。

「エッセイ祈り の 部 屋」に、エッセイを掲載した。いずれも、メルマガにて公表済みなのだが、ある事情があり、急遽、ホームページにアップすることにした。エッセイのタイトルは、「葬送のこと、祈りのこと」である。
 その事情とは、以下のとおりである:

「昨年の10月、あるネット上のアイドルが亡くなった。才能も人気もある女性作家だった。「Contact Me」の頁にキリ番のコーナーがあるが、そこに小生も一時は交流の機会に恵まれたその方の名が書いてある。互いにキリ番をゲットし合っては、相手に小説のテーマを提示し、掌編を書き合ったものだった。年齢も、小生とほぼ同じだった。その方が、ますます才能が花咲き、あれこれやりたいという意欲満々の盛りに、惜しくも亡くなられたのである。その追懐の意味もあり、葬送(埋葬)関連の文章を載せる。直接は、彼女に関係ないが、書きながら、その方を脳裏に浮かべなかったわけではないのだった」

 関連するエッセイということで、「葬について、あるいは死の形」を同時にアップさせている。

 さて、例によって、あちこちのサイトで駄句を撒き散らしている、と、書きたいところだが、この週末は、思うところがあって、駄句をひねる気に、あまりなれなかった。
 そうはいっても、幾つかは作っている。

(画像掲示板に、ある公園の画像を提供してもらった。でも、そこがドッグランの場になり、ワンちゃんの落し物が一杯で、深呼吸する気になれない状態になっているということで)
 ドッグラン ここはダメなの 退(ど)くランよ

(こぼれ種で増えてる歩道のコスモスです。種を蒔いて、苗を作るとなかなか育たないのに、直播きだと元気なのは、どうしてかな。というコメントと共に、コスモスの画像を提供してもらったので。他にススキの画像も戴いた)
 コスモスや 我が意を得たりと 咲き誇る
 ススキの野 誰に見られず いのち咲く

(子供の頃、誰かさんと背中合わせになって、糸電話でお喋り。音が背中から体温になって伝わってきたっけ。)
 糸電話携帯よりも近き仲

(ハスの花の満ちる池の水、濁っていて、まるで揺れて止まぬ我が心のよう)
 濁り水 心の迷い そのままに

(以下の二句は、説明するのも、疲れる。ま、トラというのはタイガースを暗示しているけど、実際にはトラの写真を見て作った。トラの眼下には水溜りがあったのだ…)
 トラよトラ 水辺の顔に 満足なの?
 ドラゴンズ 燃えすぎちゃって 燃え尽きた?


 さて、掲げた写真は、我が集合住宅の庭の惨状。本来は、芝生だったのである。が、ある時、芝生に雑草が生え始めている、ということで、有志で草むしりと相成った。
 が、雑草が毟られたと同時に、芝生自体を傷めてしまったようで、気がついたら、芝が完全に消え去り、今では雑草の天下に。
 写真では分かり辛いが、この草、背丈は二メートルを越えている。迫力モノである。雑草たちは、季節が今や秋であるにも関わらず、我が世の春を享受しているというわけだ。
 当然、昆虫などの天下でもある。風情があると言えば言えるけれど、そのうち、弊害も大きくなるんだろう、ね。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004/10/17

釣瓶落しの季節

s-DSC01022.jpg

 まさに表題通りの夕刻を実感する季節となっている。ようやく秋晴れを愛でられるけれど、そんな爽やかな空を見せるのを惜しむかのように、呆気ないほど早く、そう、釣瓶落しのごとくに、宵闇に溶け去っていく。
 
 さて、小生、方々のサイトの掲示板にあれこれ書き散らしている。一部だけ、転記しておく。それというのも、それを後日、エッセイなどに仕立てる可能性が十分にありえるからだ:

○  ここで、蓮と睡蓮の話題が出ていたので、あれこれ調べて、なんとなくイメージが掴めたので、掌編を一つ、書かせてもらいました(例によってアップは、ずっと先。「朝顔の宿」も一ヶ月してから、こっそりアップしたっけ…)。
 その御礼参りに来ましたとさ。
 ちなみに、タイトルは、そのままズバリ、「蓮っ葉な奴」。エヘヘ。

「ハスも睡蓮も親戚か従姉妹か、兄弟か、繋がりがあるのでしょうか」
 なかなか難しいですね。あるサイトに次のような説明がありましたが:
「蓮と睡蓮は根が全く違います。どちらも水生植物ですが、蓮は水面に浮く葉と水面から出た葉があり、 花は水面より高くでて開花、葉に水を落とすと水玉になります。睡蓮は浮き葉のみで水面に葉が張り付いている感じで、花は水面近くで開花します。根は蓮は蓮根の通称で知られる形で、睡蓮とは全くちがいます」だって。
 蓮は根が蓮根(レンコン)なんですね。文字通り、蓮の根と書く。蓮は咲きっぱなしだけど、睡蓮は、夜などは花が閉じる(眠っているかのよう。なので睡蓮)。
 だから、睡蓮をかっぱらって来ても、蓮根は採れないのです。
 皆さん、分かりましたか。小生は、未だ、分かってません。
 だって、昔は、「スイレン科ハス属」の中に、スイレンとハスが入っていたのに、最近は、「ハス科 ハス属」として、「最新の分類ではスイレンの仲間からハスだけを独立させて、ハス科という科を設ける場合がある」って言うんだもの。

 濁り水 心の迷い そのままに

○ 「鮭が豊漁だから、ヒグマが、大人しいのかな」
 本土では、山林が荒れていて(人の手が山から離れているので)木々に害虫が付き放題になっているらしい。
 つまり、人が山に分け入っていることもあるけど、山の世話をする人が少なくなり、当然、木の世話もできないので(間伐林など)、害虫が取り付きやすくなっている。結果、木の実が(木の葉も、もちろん)喰われてしまっていて、クマさんの餌が無くなっているらしいのです。
 やはり、山(木、つまりは地方)を大切にせず、資本(や人手)が都会にばかり集中しているツケが来ているわけですね。

 関係ないけど、小生の以前、住んでいた集合住宅の名前は、ダイヤハイツでした。小生は、その秘蔵っ子(?)だったというわけ。
 今は車の運転をしていますので、タイヤのお世話になってます。
 濁点が取れた分だけ、小生、洗練されている?!
[この話題で、害虫云々に言及している。そういう説が、かなり唱えられるようになった。同時に、今年の台風が、本土直撃を幾度も繰り返したことも大きいとか。「特に今年に入って出没回数が増えているのは、もともと害虫や温暖化でナラやブナが枯死してエサが少なくなっていたうえに、相次ぐ台風の上陸で木の実が不作になっているのではないかと言われている」]

○ みなさん、こんにちは。
 本来は直接、レスすべきなのでしょうが、的を外す怖れも多分にあるので、自己レスの形で、感じたことを書いてみます。

 俳句と川柳との違いは、人それぞれに意見があり、結局は、自分の考え方で押し切るしかないのかな、というのが結論になるのかなと思います。
 ただ、最後まで問題というか、気になるのは季語の存在。俳句の世界では、季語は非常に重要な存在で、仮に使わない場合でも、むしろ使わない方のほうが、季語への造詣や理解が深く、その上で、大胆な一歩を踏み出そうとしているのかな、という印象を持つことがあります。
 季語は伝統的に培われてきたもの。婀娜や疎かにはできない存在。
 でも、江戸時代、明治時代とは季節感が相当に違ってきているのも、事実。それなのに、何故、季語に引き摺られつづけるのか。
 例えば、秋の季語をつらつら眺めていて、ふと思ったのは、季語を使うだけで、紋切り型であることに自嘲の念を覚えつつも、とりあえずは俳句(体裁だけでしょうが)を作れてしまうことの意味でした。
 とりあえず、自作の俳句モドキを例として示します:

 良夜には月なき夜寒身に沁みて

 鰯雲夜寒の露の身に沁みて

 一読して分かるように、季語を使うだけじゃなく、季語を複数重ねています。それぞれ四つ(多分)。
 前者は、季語が二つだけ意識して使ったつもり(「良夜」と「身に沁む」)が、実は四つだと指摘されました。
 後者は自覚的に(確信犯的に、あるいは実験的に)四つ季語を使っています。
 思ったことは、季節が秋なのだとして、秋にちなむ句を(俳句のつもりかどうかは別として)作ろうと思うと、常識的に季語(乃至はその関連語彙)で表現が可能になるということです。
 何故、可能だと感じるかというと、つまりは、小生のような素養のない人間、型通りの想像力しかない人間が使う言葉は、大体が思い浮かぶ言葉は限られている、つまり、季語にリストアップされている言葉の範囲を出ないからだろうと推測されるのです。
 だからこそ、季語を制限し、しかも、季語を重ねてはいけないというルールを制約として設けることで、季語以外の言葉、表現を工夫するしかなくなるという、創造上の縛り、厳しいけれど、新たな表現を目指すしかないという前向きでもある叱咤的な制約が、生きてくるように感じられるのです。
 勿論、その前に季語を使うのかという問題、何故に季語を使うのかという疑問があるのですが、これは、伝統に連なるという意味で、実際に季語を使うかどうかは別にして、尊重すべき考え方なのだと思います。
 また、季語の知識なしに、表現を試みても、実に紋切り型な表現から抜け出せないし、その範囲で自己満足に陥ってしまいそうな気がします。
 
 さて、その上で、小生はどのような表現を目指すのか、あるいはどんな表現をしたいと思っているのか。無論、暗中模索なのは当然として、いろんな刺激を受けながら、これから追々に試みつつ、楽しんでいきたいと思っています。
 それにしても、5・7・5の形式は凄いなと思います。何が凄いのか分からないのだけど。

 以下の句(?)は、やっぱり川柳なのでしょうね:

 好きなのとひといろの文字なぞる指
 月影や雲のベッドでうたた寝かい?
 蜩(ひぐらし)よその日暮しと笑うなよ
 星屑をけんけん跳んで月の裏
 俳人はかなかなかなと鳴くのかな

◎ 掲載した写真は、週末の朝、近所で撮ったもの。これまた、花の名前が分からない。雨上がりじゃないのに、花房が瑞々しい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004/10/16

荻の声

 金曜日の仕事は、不況の最中にあっても、比較的忙しい。さすがの小生も、昨日の営業中には、一つも駄句を捻出できなかった。
 それは忙しさもあったけれど、水俣病の最高裁判決が出たせいもある。
 最高裁の関西訴訟において、最高裁がやっと、水俣病に関して、国や県の責任を認め、行政の責任を認める判決が確定したのである。
 思えば、悲惨な事件であった。チッソなどの加害企業に一義的な責任があるのは勿論だが、民間企業の一部には、良識に欠ける経営をするところもある。が、この事件の場合、行政側の怠慢が悲惨さを倍加させたのだった。
 小生が中学から高校の頃、富山県ではイタイイタイ病が話題になっていたが、同時に、テレビなどでは水俣病が取り沙汰されていた。
 その中で、小生は、企業が碌でもないことをする、だけじゃなく、隠蔽もし、しかも、それを国や県が手助けすることがあることを知ってしまった。判決では、行政側がやるべきことをやらなかった、という責任を追及することに成っているが、実際には、行政は怠慢だっただけではなく、企業の論理、経済の論理、行政側の都合の理屈を積極的に推進していたのだ。通産省(旧)は、その急先鋒だった。患者のことは、(結果として)無視以上に虐待したといって過言ではないだろう。
 虐待は、企業や県・国側だけではなかった。地域住民さえもが加担した。虐待は、差別にさえ至っていた。
 そんな現実を目の当たりにして、小生は、ある意味、人間不信に陥った部分もある。ぼんやりな自分だったけれど、我が中学や富山県における進学競争熱(成績でクラス分けをするなど)、安保(70年)自動延長で安保論争熱が高まったことなどがあって、小生は、単純な算数(幾何学)や数学・物理好き(理系)から、次第に文系(社会問題)に関心を変えていった。
 それが昂じて、ついにはこうした社会問題は、単に具体的に解けるような問題ではなく、もっと人間の根源に関わる問題ではないかと思われてきて、哲学にまで関心が移り、高校三年の夏、八月一日に大学を哲学科に絞ったのだった。
 そんな自分の感懐や思い出はともかく、水俣病の問題の性格は、ハンセン病や薬害エイズの問題にも繋がる。行政側は、都合が悪い問題には、徹底して患者や住民・被害者を無視・圧殺する。マスコミも(一部は宗教界)なども差別する側に立ちつづけていたことは周知のことだろう)。ハンセン病(患者)への偏見は今も続いている。行政側がほとんど動かないという現実は、何ら変わっていない。
 差別の問題に立ち向かうことは勇気が要る。偏見の根強さには、常識も良識も通用しない。
 そんな世界に立ち向かう被害者達の勇気には敬服する以外にない。小生のような根性なしだと、世を拗ねて、変な宗教に走るか、自殺するか、いずれにしても、壁の巨大さに沈黙するのが関の山だったのだろうと思えて、情ない限りなのだ。
 それにしても、患者の認定基準を狭いままに、一切、基準を変える考えがないという小池環境相の発言は、判決の趣旨をまるで無視したものだ。怒り心頭である。これでは、被害者を救う気はないという、官僚側の発想をただ追随しているだけではないか。患者認定におけるダブルスタンダードは、患者サイドに立って、断固、見直すべきだろう。
 そんなことを思っていると、駄句どころではなかったのである。

 閑話休題
 「蓮と睡蓮」の周辺 という日記を数日前、書いた。この関連で、調べる余地が未だ、随分とあると感じている。
 が、今まで調べた分(書いた分)だけでも、エッセイや掌編の題材に事欠かない。
 ということで、本日、夕方、「蓮っ葉なのは」という題の掌編を書いた。例によって、<ボク>もの。この掌編で、今月は四つ目となる。
 掲示板でもある人と遣り取りしたが、言葉や事柄を調べるうちに、いろいろと発想の輪が広まる。で、エッセイに、あるいは場合によっては小説に仕立てるのだ。言葉を調べるのは、単に知識を増やすためではない。それだったら、小生の場合、無意味だ。
 なぜなら、小生は、記憶力に相当に弱点がある。渋々だが、しかし、歴然たる事実なので、高校に入る頃には、自分の能力に落胆していた。だったら、連想力、あるいは想像力で勝負だ、と行きたいところだが、それも、結構、難しい。
 それでも想像力の事柄である小説に挑戦し続けるのは、書くのが楽しいし、その際、エッセイやコラムも楽しいが、リアリティのみが要諦である小説(虚構作品)にこそ、最も挑戦し甲斐のある未踏の領野がある。それは、発見した者の、切り取り次第の、取りあえずは荒地であり、砂漠であり、ただの原野なのである。
 そんな雑草どころか、苔も生えないような世界に分け入って、たとえ、猫の額ほどの土地だろうと、精魂篭めて整地し耕し水を引き、水を撒き、肥料を蒔き、それなりの沃野に変えていく。そういった作業を架空の時空で行っている。誰もいない世界というのが、いい。
 人と一緒にいたい。仲間が欲しい。パートナーが欲しい。そう思いつつも、一人であるしかない自分。不器用なので、結果的に一人を選ぶしかない。寂しさも、何十年の吐き気のするような砂を噛む日々を続けると、もう、感覚が分からなくなる。
 それでも、錆びた頭の中に想像の花を咲かせるには、かなりしんどい、頭をギリギリ絞るような努力も要る。そうして得られた成果というのは、乏しいかぎりだが、ま、それは能力の問題があるのだから、仕方がない。大切なのは、試みを続けることなのだろう。
 
 さて、今夜、過日の我がサイト5万ヒットを祝して、久しぶりにピザを注文して食べた。ピザは今年二回目だが、注文して食べたのは昨年以来だ。
 こんな文章しかない、デザインも含め地味なサイトなのに、よくぞ、ここまで来たと思う。その意味でも、自分は自分に対し、よくやったと労ってやりたかったのである。
 この先、どこまで続くか分からないけれど、とことんやっていくまでなのである。

 小生もメンバーであるサンバチームのダンサーの方が、14日、誕生日を迎えていたということを、知り、本日、午後、怠っていた、八月の武蔵小金井でのパレードレポートへの写真アップ作業を一気に行った。
 小生、文章を書くのは好きだが、アップ作業などは苦手。特に写真のアップはつらい。
 でも、今年の半ば頃、写真の画像サイズ縮小ソフトをある人に教えてもらって、写真のアップ作業が随分、楽になった面もある。
 ということで、武蔵小金井のレポートに、そのダンサーの方の写真も含め、十六枚ほど、アップしたのである。

 そうそう、今朝、我がホームページを開いたら、ブログ日記にコメントがついていた。小生、このブログにコメントがつくのが嬉しい。ブログの文章を読んでいる証明になるし、そもそも、ブログは、コメントと関連する文章が一目で見渡せるのがいいのだ。
 掲示板への書き込みは、ブログ以外の文章を読まれたり、一般的なメッセージを書くのに適している。適宜なコメント・メッセージが嬉しいのだ。

 写真は載せていないが、表題である「荻の声(おぎのこえ)」について、一言。
 これは、「荻の葉が風の吹くごとにたてる寂しい葉ずれの音」だという。タクシーの仕事をやっていて、真夜中過ぎに公園の脇で休憩していると、よく、風を感じることがある。水面がかすかな風に揺らいでいる。木の葉も、さわりという音も立てずに揺らぐ。
 さすがに、吹く風がちょっと冷たい。秋が深まってきたとはいえ、晩秋というには早すぎる。でも、荻の声のような、寂しい葉ずれの音は聞えてくるような気がするのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/15

野路の秋

s-DSC01011.jpg

 今日、用事があって街道の先の大きな郵便局へ歩いて行って来た。いつもならバイクで行くのをわざわざ徒歩で行ったのは、その帰りに図書館に寄るつもりだったからである。
 数日間続いた雨もようやく昨日、上がり、秋晴れとは行かないが、穏やかな陽気、歩いていても気分がいい。
 さて、帰りに図書館で、久しぶりに本を物色し、司書の素敵な人の顔を拝み、お気に入りの本が見つかったら、借りて帰ろう、なんて思っていたら、なんと、第二木曜日は休館だってさ。トホホ。
 今年初めて図書館に行ったのに、もしかしたら二年ぶりの図書館だったのに、休館日に当たるとは、よくよく運が悪いのだ。週日に休みがあるなんて、信じられない気がする。これで、また、図書館とは、また、しばらくは遠ざかるのだろう。
 
 例によって、あちこちの掲示板に駄文を綴っている。その一部を転記しておこう:

○ 小生、前にクマさんの話題で目の下のクマなど持ち出して冗談を書いたけど、案外と無縁ではない可能性もあるらしい。
 そもそも熊(クマ)という名前の語源はハッキリしない。
1.昔は、暗いところを隈(クマ)と呼んだ所から、クマのような黒くて怖い動物もクマと呼ぶようになった…。
2.昔は、恐ろしい動物をカミ(カムイ)と呼んだ所から。このカムイが後にカミ(神)に転訛していったという説があるが、そもそもカムイには(神=熊)の両義があったらしい(アイヌ)。
3.朝鮮語ではクマのことを「コム」と呼ぶことから、朝鮮人の渡来と共にその呼称が日本に伝わった(熊は百済の象徴)。

「隈なく」というと、徹底的にで、透き間(洩れ)なくということで、隈って意味深い言葉だ。
 うーん、断定的なことはいえないけど、目の下の隈……婀娜や疎かにはできないかも。
 みなさん、目の下の隈、もっと大切にして濃くしましょう!

○(以下は、あるサイトの掲示板にロダンの「考える人」が話題に上っていたこと、また、「膝を抱く」が焦点の句が載っていたので、その句の連想もあって、句を寄せたこともあり、転記する)
 ロダンの彫刻は、上野の西洋美術館でしばしば見ました。
「考える人」写実的な彫刻といわれるロダンだけど、格好がちょっと不自然に見えたりする、そんな意見も、まま見受けられる。小生も何となくそう思う。
 以前、彫刻家の佐藤忠良の講演を聴いたことがありますが、ま、ある意味、当たり前だけど、彫刻は手触り(感触)の芸術だという話だったような記憶があります。
 ロダンの作品も、見た印象も大事だけど、実際に触って、その感触を味わってみないと、真価が分からないのかも。

 我が子抱く母の寝息の微かなる
 長き夜膝を塒の猫重し

○ 小生、ガキの頃から時代劇が好き。「月影に兵庫と続くテレビ好き」という句もあるほど。
 幼い頃、時代劇では悪人は本当に斬られていると思っていた。で、どんな人が斬られるのかとない頭を絞って得た結論は……。そうだ! 死刑囚の人たちを斬っちゃってるんだ!!!
 自分って頭いいって思ったものでした。懐かしい。

 死んだふり斬られた武士が息をつく


☆ さて、今日は、「秋霜烈日じゃないけれど」なんて、日記だけど、長文のほとんどコラム風エッセイを書いたこともあり、ほかには纏まった文章は書いていない。
 その代わり、メルマガを配信した。その目次を示しておく:

   目次:●1.人間を定義する(続)
      ●2.三途の川と賽の河原と
      ●[後欄無駄]:HP更新情報、ほか

 今日は、久しぶりに一時間近く歩いたので、小生としては体力の使いすぎ。文章に割く余力が乏しくなってしまった。仕方ないね。それにしても、図書館の中を覗けなかったのは実に残念。チャンスだったのに。
 ところで、わざわざ掲示板の発言を転記するのは、近い将来、場合によっては、さらに調べてエッセイなり掌編なりに仕立てたいという下心があるからなのである。
「隈と熊」も、「彫刻と手触り」も、展開次第では、それなりのエッセイになると思える。
 無論、本日、配信したメルマガの「人間の定義」も「三途の川」の話も、その気になれば、もう少しは展開の余地、調べる余地があるのだ。

 掲げた画像は、水曜日の営業が終わりに近付いている木曜日の未明(未明にもなっていないかな)に、某運河脇の公園で見かけた木の実。何の実なのか、分からないけど、なんとなく秋を感じさせたので、思わず撮ってみた。今日の日記の表題を「野路の秋」にしたのも、この光景が頭にあったからである。

 野路の秋 真っ赤な木の実 寄り添って

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/14

秋霜烈日じゃないけれど

 また身の程知らずにも秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)なんて、難しそうな言葉を表題に選んだ。教養のない奴ほど、つい、権威や難解な言葉に縋ってしまう。
 急いで、秋霜烈日の意味を大雑把にも説明しておく。ま、ほとんど、自分のために、なのだが。
「広辞苑」(電子辞書)が壊れているので、辞書に拠ることができないので、ネットでこの言葉の説明を捜すと、「秋の厳しく冷たい霜と激しく照りつける太陽。転じて権威・志操・刑罰などが非常に厳しく犯しがたい事」とか、「草木を枯らす秋の霜、草木を焦がす夏の烈しい日」といった説明が散見される。
 かの有名な、しかし今となっては知るひとぞ知るになってしまったかもしれないが、故伊藤栄樹検事総長の『
秋霜烈日』を思い出される方もいるかもしれない。
 大概の方は、検事総長の名前など、知るはずもない。新聞にその名が載っていても、素通りするだろう。小生だって、そうだ。が、この方ほどに巨大な犯罪に立ち向かった人はいないし、また、新聞に名が踊った方も少ないのかもしれない。
 上掲の本の目次の一部を抜き書きすると、造船疑獄事件、日活ロマン・ポルノ事件、連続企業爆破事件、ダグラス・グラマン事件、ロッキード事件などなど。特に最後のロッキード事件で、彼の名前が新聞などマスコミで取り沙汰されることが多かったのである。小生のような役人の名前音痴でさえ耳にタコが出来るほど、目に隈ができるほど見聞きしたものだった。
 このタイトルである秋霜烈日は、これまた、知る人ぞ知るなのだろうが、検察官の付けているバッジのデザインから連想される言葉として、ある意味、検察官の志操の厳しさを象徴する言葉として受け止められることも多いようだ。
検察 Q&A」を読むと、「検察官のバッチの形は,紅色の旭日に菊の白い花弁と金色の葉があしらってあり,昭和25年に定められました。その形が霜と日差しの組合せに似ていることから,厳正な検事の職務とその理想像とが相まって「秋霜烈日(しゅうそうれつじつ)のバッチ」と呼ばれているようです。「秋霜烈日」とは,秋におりる霜と夏の厳しい日差しのことで刑罰や志操の厳しさにたとえられています」などと書いてある。

 突然、柄にもなくこんな身分不相応な言葉を出したのは、何も検察のことを話題に出そうというわけではない。秋霜烈日に限らず、多くの言葉(熟語)の語義をやや、あるいは相当に換骨奪胎して意味を嗅ぎ取ってしまう小生のこと、この日記を書こうと思って、さて、表題を何にするかと、秋の季語を物色しているうちに、不意に秋霜烈日という言葉が浮かんできてしまったのである。
 一旦、何かの言葉が浮かぶと、使いたくてたまらなくなる性分の持ち主である小生、脈絡など何のその、とにかくっ表題にでも、あるいは文中にでも使う。文脈だって、その言葉を使うように勝手次第に曲げる。
 秋霜烈日は、本来は、責任ある立場の人が、自らを戒める意味もあっての言葉である。というか、そのような文脈で使われる。上掲の検事もそうだ。
 が、年を取ってくると実感することだが、日々が秋霜烈日なのである。辛いこと、面倒なことを避けようと思っても、どんなに居心地のいい環境を作り出そうと思っても、そこには、体か心か人間関係かは別にして、どこかしら不具合を抱えた自分がいて、もうどうにも逃げようがないわけである。
 今年はとりわけ夏の日々は暑かったし、暑さが長引いた。暑さが年々体に堪えるし、しんどくなる。何をするにも億劫になる。つまりは、平平凡凡たる自分のような者でも、何も自戒しようなどという殊勝な心掛けを持っていなくても、日々の気候も何もかもが身を焦がすようであり、身を凍て付かせるようであり、なんとなく丁度いい頃合いだなと思える瞬間というのは、実に稀になってしまう。
 なんといっても、体(心)が思い通りにならないのだから、どうにもならない。
 逆に言うと、だからこそ、季節の移り変わりに敏感になるし、ほんのちょっとしたことの中に喜びや発見や、驚きの念を覚えてしまうのである。仕事柄、夜中に人気のない公園の脇に車を止め、車を降りて、伸びをしながら、空を眺め上げたり、公園の木々の様子を愛でたり、近くを流れる河の水面を見遣ってみたりすることが多い。
 そんなとき、草葉を伝わる露などが目に飛び込んでくる。真ん丸くなっている雫をまるで初めて見たかのような気分で見つめている自分がいたりする。
 水滴の一粒が、緩やかな風に揺れる木の葉の動きにつられてか、こまかく揺らぐ。プルプルッという微妙な揺らぎ。僅かな街灯の明り故に、水滴の向こう側を見通すことはできないはずなのに、水滴の中に、その先の風景がまるごと封じ込められたかのように、一個の濃紺の宇宙があるように感じられたりする。
 壺中の天という言葉があるように、一滴の水の雫にも、一個の宇宙全体を感じ取ったとしても、決して不思議ではないような気になってしまう。どんな小さな世界であっても、その世界に寄り添うように、息を潜めるようにして、そう、愛惜するようにして、見遣るならば、その小宇宙の中には、想像の限りの宇宙が含まれている……はずなのであって、そうした宇宙を感じ取れるかどうかは、結局は自分次第なのだと、思うのである。
 ナンバーワンとオンリーワン。
 ナンバーワンというと、一夏の夢のように過ぎ去ったオリンピックを思い出す。出場する選手たちは、ナンバーワンを目指す。トップになれずにナンバーツー、スリー、あるいは、入賞に終わった人は、爽やかに貴重な、得難い経験をしたとコメントを発する。
 それはそれで決してウソではないと思うけれど、その人は、ナンバーワンになるために頑張ってきたはずなのである。
 ナンバーワン。その象徴が百メートルなどの短距離走になるのだろうか。コンマ1秒どころか、百分の1秒を争う。そもそも、何故、早く走らなければいけないのか、その意味が分からない。けれど、しかし、いざスタートラインに立つと、誰よりも早く走りたくなる。
 そして、誰かが頂点に立つ。この短距離走は、ある意味、近代あるいは現代の象徴の面を持つような気がする。何が故に一番でなければ、あるいは誰よりも速く走らなければいけないのか、分からないが、しかし、スタートラインに立つと、そうせざるをえない本能のようなものに火がつく。
 とにかく早いことが快感なのであり、誰よりも早いこと、トップであることは、快感なのである。しかも、名誉でさえある。賞賛されたりもする。トップ。
 現代とは、誰もが、どんな場にあっても、家庭という団欒の場であってさえ、スタートラインに立っているかのように、焦っている、尻に火がついたように無闇に駆り立てられている時代とも言えそうな気がする。ゆっくりしたい、のんびりしたい、ゆるやかにかろやかに、風に吹かれて一歩一歩を噛み締めながら歩いていきたい、隣りの誰彼と親しく語り合いたい、損得抜きに付き合いたい……、そんな気持ちを持っている、持っているはずと思う
 けれど、時代の圧力は、そんなことを許さない。効率とスピード、合理性、そして何より独自性を求められる。
 独自性。オリジナリティ。なるほど、素晴らしい。個性があることは素晴らしい。
 でも、どうして人と違っていなければいけないのか、それが分からない。人と同じでいいじゃないかという発想は罪なのか。そもそも、人と同じように、目も耳も二つあり、鼻があり口があり、二本の腕、二本の足、健康な胴体、アレルギーのない体を持っていたら、もう、それだけで、ありがたき奇跡なのではないか。そのような平凡な人間であることは、とんでもなく僥倖なことだと、どうして思えないのか。
 ここにオンリーワンが被さってくる。そう、最近、作詞・作曲した槇原敬之自身が歌っている「世界に一つだけの花」で歌われている世界。
 少なくとも日本など先進国は、一人っ子、せいぜい二人きりの子どもが多い。一時期、オンリーワンという歌が流行ったが、今の子供たちは、親たち(両親、二組の祖父母、小父叔母、隣近所、学校の先生)に、耳にタコができるほど、あなたはオンリーワンなのだと耳打ちされてきている。掛け替えのない子供、大事な子供。
 あなたはオンリーワンなのだから、大切な人間なのだからと、乳母日傘(わー、古い言葉!)で育って、それでいて、社会は、ナンバーワンを求める。競争や評価を学校では避けても、一歩、社会へ出たら、オンリーワンなどという悠長なことは、冗談にも言ってくれない。
 そう、冗談じゃないのだ。鎬(しのぎ)を削る苛酷な日々が待っているのだ。オンリーワンは、昨日のこと、今日からはナンバーワンであらねばならない。
 ぬるま湯から一歩、外に出ると、常在戦場、あらゆる場所がナンバーワンの自分であるかどうかが問われる環境となる。
 現代とは(少なくとも日本においては)、オンリーワンとナンバーワンとの両方が、過度に要求される社会になっていると言えようか。
 オンリーワンとは、何だろう。 
 オンリーワンとは、自分が掛け替えのない人間なのであり、他に代わりのない大切な人間だと自覚すること、人にも、そのように扱ってもらうことなのだろうか。
 ここには想像力が欠けているような気がしてならない(誤解して欲しくないのは、別に槇原敬之の歌の世界を批判しているのではなく、非現実的なまでにオンリーワンが強調される風潮を思っているだけである)。
 オンリーワンなのは、全ての人なのだということ。当たり前のことだけれど、この認識なくして、オンリーワンなど決して存立しえない。すぐに崩壊するか、壁にぶつかる。
 そうではなく、オンリーワンなのは、世の中のすべての人間が、そうなのであり、出会った、出会っている、これから出会うだろう、全ての人間がオンリーワンなのだという想像力こそが大事なような気がする。
 たまたま今は、その人がホームレスであっても、今は病の床に臥している人であっても、服装が、見かけが貧相であっても、それぞれがオンリーワンの生活をしているオンリーワンの人々なのだと理解すること。想像すること、自分が自分を大事と思うなら、人も全く同じように自分を大事に思っているし、日々、楽しく、あるいは懸命に生きているということ、そのことに思い至ることが大切なのだと思う。
 このことをもっと敷衍すると、そう、秋霜烈日なる思いに繋がるのだと思う。人間だけがオンリーワンなのではないのだ。目の前にある壁も、ポスターも、車も、路傍の石も、雨に濡れる木の葉も、吹き飛ばされ道端に吹き溜まる枯葉も、ペットも、野山の熊も、それこそ、ミミズもカラスも鼠も蛙も、さらには、水滴でさえもが、オンリーワンなのでる。
 それぞれが叡智の限りを尽くしているのだ。
 目の前に流れ落ちていく水滴と出会うこと、そのことが、オンリーワンの体験を今、していることなのだ。
 歴史は繰り返すのかどうかは、知らない。が、繰り返さない歴史があるとしたら、この瞬間を生き抜いたか、誰よりも深く感じ取ったか、心に受け止めたかどうかに懸かっているような気がする。
 日々の全てが、秋霜烈日、つまりは、己が深く細やかに広く感じ、考え、思い、想像し、共感し、愛惜しているかを問うているのだと思う。
 
 なんだか、大袈裟な話になってしまった。ま、焦らず、日々を大切にということで、取り留めのない稿を閉めておく。
 ついでに蛇足の駄句を一つだけ:


 水滴の伝い行く先の床しくて

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/10/13

「蓮と睡蓮」の周辺

 あるサイトの掲示板を覗いたら、睡蓮の写真が載っていた。睡蓮と蓮との違いがよく分からないとも。
 蓮は、俳句では夏の季語である。睡蓮と蓮とは同じ、睡蓮科の仲間だけれど、睡蓮というのは、10月になっても、咲くものなのだろうか。
 ちょっと睡蓮の画像を見てみよう:
睡蓮
 撮影されたのは、夏のようである。睡蓮の英名が美しい。「Water lily」だとか。では蓮は、というと、「Lotus」である。ロータスクラブなどで、耳にしたことがある方も多いだろう。
 上掲のサイトによると、「ハスは、葉や花が水面から立ち上がるが、 睡蓮は、葉も花も水面に浮かんだまま」だという。
 が、例えば、下記の写真を見ても、違いがよく分からない:
写真」 
 但し、上掲の写真は、説明にもあるように、蓮は蓮でも、「大賀ハス」であり、「古代ハス」なのである。
 さらに、説明は、「古代ハスの研究者、東京大学農学部教授の大賀一郎さんが、千葉市の東大厚生農場 (現、東大検見川総合運動場)で、1951年に弥生時代の地層からこの蓮の実を発見。なんと2000年も前の実だった。そして発芽、開花に成功、その後全国に広まった」と続く。
 小生、以前、ある方のサイトで、古代ハスの写真を見て、思わず、一句、ひねったことがある。紹介済みだが、関連するので、睡蓮の写真を見て作った句と併せて載せておく:

 古代ハス 二千年の 夢と咲く
 睡蓮や泥水を啜って誇らしく

 泥水(煩悩)に浸かり、そんな水の中でも美しい花を咲かせるということで、蓮は仏教などでは、象徴的な花(植物)として珍重される。仏教の盛んなベトナムの国花は蓮だとか。
 一方、睡蓮は、自ら花や葉を泥水から離そうとするので、講話の例には使われないようだ。
 しかし、思うに、蓮や睡蓮に限らず、大凡の植物は泥水ではなくとも、土に咲くのが普通のはずである。水分は、土中から根っ子というストローで吸い上げるわけだ。つまり、理屈の上では、泥水も土でも、似たり寄ったりの環境で多くの植物は育つのである。
 何も、蓮に拘る必然性など、ないわけだ。が、何故か、蓮、なのである。
 やはり、水辺で咲く花というのは、人間の願望として、澄んだ水においてこそ咲いて欲しいというのだろう。
 が、泥水にあって、健気に蓮は咲いている。しかも、多くの睡蓮のように、汚れた水面から少しでも離れようと、伸び上がろうとする。濁り水を毛嫌いし、自らの美しさは、そんな汚れた世界とは無縁なのよと、出自を誤魔化そうとしているように、映ったりもする、のだろうか。
 その点、蓮は、葉も花も、泥水にどっぷりと浸かりながらも、しかし、緑の葉を雄雄しく広げ、美しい花を咲かせる。これは、講話の種には絶好の花、というわけのようだ。
 そんな蓮に思いを寄せる趣味人は昔から多い。かの小林一茶も、蓮に託した句を幾つも残している:

 蓮の香や昼寝の上を吹巡る
 犬の声ぱったり止て蓮の花
 蓮の花虱を捨るばかり也
 大沼や一つ咲ても蓮の花
 福蟇も這出給へ蓮の花

 ネット検索していたら、とても詩情溢れる写真を見つけた。是非、見て欲しい:
枯蓮  茜色さす湖面のオブジェ
 写真に寄せてだろう、句が載っている。句を作ったのは、誰だろうか。やはり、「文・山崎しげ子(随筆家)」とあるからには、山崎しげ子氏ということになるのか。写真と句を併せて味わうのがいい。

 枯蓮のさらにもつれし影水に

 上掲の一文の中に、「江戸中期の代表的な画家の一人、伊藤若冲(じゃくちゅう)は、晩年、大阪の寺の襖に蓮池の水墨画を描いた。哀感たっぷりの枯蓮。だがその横に、なぜか蓮の花の蕾(つぼみ)が描かれている。」という興味深い記述があった。
 小生、かの伊藤若冲の画となると、見たくなる。キーワードを工夫して、ネット検索し、当該の水墨画(だろうと思われる)を見ることの出来るサイトを見つけた:
「蓮池図」 伊藤若冲筆
「蓮の花の蕾(つぼみ)」も、ちゃんと見ることができる。
 このサイトには、若冲の考えなども紹介してある。一部、転記する:

若冲は眼前の事物を観察しつづけることにより、そのなかに潜む「神気」が見えてくるという。その「神気」を捉えることができれば、筆はおのずと動き出すのだ、と。

 40歳になった若冲は、弟に家督を譲り、名も茂右衛門と改めて、画事に専念することになった。これ以後、85歳で没するまで、嫁もなければ子供もなく、画三昧の生涯を送った。

 このサイトでは、伊藤若冲筆の「付喪神図」という、まことに奇抜な絵を見ることができる。これも、見逃せない。
 
 最後になるが(蓮や睡蓮となると、到底、語り尽くせない)、睡蓮というとモネ。モネに全く、触れないわけにはいかないだろう。
 知る人は知るだが、「彼の後半生で熱心に取り組んだのは、「睡蓮」の連作でした。ジヴェルニーの自宅の庭園に睡蓮の池をつくり、制作に没頭し」たという。
 芸術に限らないが、何事も、他の一切を犠牲にしても、やりたいことに専念しないと、一角の仕事は残せないということか。

 さて、恒例になっているので、蛇足とは思いつつも、我が駄句を。今日の収穫は少ないので、サッと読み進めるはずだ:

 鰯雲夜寒の露の身に沁みて
 臥待ちて恋に恋して焼け尽くし
 肌寒し松がさねなる帯を解く

 これらの句は、季語を重ねるという禁を犯している。こういういけないことをやっていはいけないのだ。
 ああ、今日は、休みだったのに、雑事で潰れてしまった。悲しい。仕事に関連するから、仕方ないのだが。

 雨しとど 咲き揃う夢も 悲しげに

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/12

秋気澄む日々…

s-s-DSC00905.jpg
 表題とは違って、東京は連休中を通して、台風だったり、台風一過の快晴とは程遠かったり、なのだが、まあ、秋気澄む日々を希っている意味も篭めて付けたタイトルなのだ。掲げた写真も、そんなわけで選んだのだった。

 この連休は、エッセイなども含め創作三昧となった。などというと格好いいが、台風一過にも関わらず雨模様の天気と、手元不如意などで身動きが取れなかった、というのが実情なのである。
 前にも書いたが、連休の内に書いたものを列挙しておくと、雑文系が、「前田普羅のこと」「三途の川と賽の河原と」「光害(ひかりがい)のこと」の3篇、虚構系が、「ディープタイム 」「天の川幻想」の2篇である。
「三途の川と賽の河原と」は、「三途の川のこと」の続編で、焦点は賽の河原にあったのだが、三途の川にさえも辿り着かないうちに、長すぎて中断させてしまった。書き始めると、あれこれ連想が働いて、道草の多い文章になる小生の性癖が出てしまうのである。
 特に、三途の川というと、立山曼荼羅を思い起こしてしまい、つい、それに絡む思い出をつづりたくなってしまうのだった。
「光害(ひかりがい)のこと」は、読んで字の如しで、光の害の話である。「光害」と書いて、「ひかりがい」と読ませるらしい。現代の日本は、町中を明るくしようと、工夫を重ねてきたが、過度の光に溢れている。街灯など、必要なものもあるが、過度の光が充満してしまって、それが空にまで洩れ零れている。
 夜空に溢れた光。それは、形を変えたゴミの廃棄に他ならないのだ、エネルギーの無駄遣いなのだという発想が高まりつつあるのだ。
「ディープタイム 」のことは、前日の日記に既に書いてある。
「天の川幻想」は、まさに、「光害(ひかりがい)のこと」と相関する。ある首切りに遭った主人公が、やっと開放された気分になり、それまで忙しくて行けなかった、ある念願の場所へ赴く。
 そこは、町外れにある鎮守の森。森を更に奥深くまで歩くと、もう、町灯りどころか、人工的な明りなど一切届かない世界に至る。
 真っ暗闇のその世界で主人公が体験したものとは……、まさに天の川幻想なのである。
(内緒だが、この「天の川幻想」についても、誰か、挿絵を書いてくれないかと密かに願っている。)
 年間掌編百篇が目標で、今月のノルマは八篇。これで、今月は3篇となったので、まずまずのペースとなった。やれやれである。これで、残すは、年内に21個となった。胸突き八丁の日々が続く。

 どうも、書いたはいいが、アップが追い着かない。というより、アップする時間があったら、読書と執筆に振り向けたいので、結果、アップ作業が疎かになってしまうのである。仮眠と居眠りが牢固たる持疾になっているので、実際に頭を使って何かをする時間は限られている。
 困ったものである。

 先週と週末とに、メルマガを配信した。その目次だけ、示しておく:

[04/10/04 配信分]
   目次:●1.秋の月をめぐって
      ◎ 我がリベルダージのパレード情報
      ●2.藤沢周平の周辺
      ●[後欄無駄]:HP更新情報、ほか
[04/10/11 配信分]
   目次:●1.三途の川のこと
      ◎勝手にサイト紹介:「美しい般若心経」
      ●2.人間を定義する(前編)
      ●[後欄無駄]:HP更新情報、ほか

 さて、例によって、汗駄句川柳を。昨日、あちこちの掲示板に書き散らしたものである。小生は、川柳はほぼ常に掲示板に書いたメッセージに付するためにひねっている。もしかしたらダブっているものがあるかもしれないが、愛敬と見逃して欲しい。
 そういう事情もあっての川柳の数々なので、脈絡から切り離すと、ただのおふざけになってしまうのが辛い:

 あぶく銭 濡れ手に粟と どこ違う
 年寄ると 涙もろいの 空よりも
 古代文字 謎を秘めつつ 解くを待つ
 揺れる葉も 焦らさないでと 空に言う
 筍の 猛々しきは 家の床 
 筍の 家の床下 竹だけだ
 龍田姫 待つ人忘れ 席を立つ
 朝寒し 待てど暮らせど 来ぬ人よ
 待ちぼうけ かさねがさねの 飲み明かし
 秋深し 酔いどれの朝 迎えけり
 露しとど 待ち草臥れて 澄まぬ秋
 肩透かし その気もなしに 振ってみせ
 肩透かし 振られたくせに 振ったふり
 肩透かし 秋の夕焼け 浮かぶ顔
 肩透かし もぬけの殻に 秋暮れる

 掲げた写真は、例によって、徹夜のタクシー仕事が終わりに近付いた頃の朝の写真。実際に撮ったのは、先週なのだが、秋晴れを待ち望んで載せてみる。空も乗って欲しいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/11

台風の過ぎたあとに

 台風一過の快晴を期待したけれど、空しかった。せめて、十日の我が日記に掲載した写真で秋晴れの雰囲気を味わって欲しい。
 日曜日。今日は終日、だらけた状態で過ごした。先週末の仕事が、珍しく忙しかったこともあり、ひたすら体の疲れを抜くことに徹していたのである。今日はサンバパレードが所沢であったのに、行かなかった。いろいろあって、元気が湧かなかったし。
 そうはいっても、せっかくの休日、台風の過ぎ去った穏やかな一日、何もしなかったわけではない。
 まずは、一ヶ月近く滞っていた、「駄文、駄洒落、語源の殿堂!」の部屋に新作をアップ:
「独活と竹の子/夏ばてだ」
「独活と竹の子」から、その一部を引用してみる:

 尤も、竹の生長する力も、時には厄介物だったりする。万が一、家屋の床下などに竹の子が芽吹きでもしようものなら、大変な事態がやってくることになる。気がつかないまま、数日間でも家を開けて、さて、帰宅してみたら、竹が床を破り、天井をも突き抜ける、なんて悲惨な光景を目の当たりにすることになりかねないのだ。

 竹の驚異的な生長を狂言回しに使った掌編がある。タイトルも、「筍 の 家」である。
 小生が好んで扱う<ボク>ものの掌編で、お袋に連れられてお袋の田舎に行く。
 普段、悪戯ばっかりするボクは、山深い中を分け入る田舎の道を歩いているうちに、だんだんと不安になってくる。ボクは、もしかして、お袋に嫌われて、山の中に捨てられてしまうんじゃないか、と。
 さて、ボクの運命や、如何に、というお話である。

「夏ばてだ」」は、今年の夏の異常な暑さにめげて書いた駄文である。夏が来る前に冷蔵庫がダメになり、夏を遣り過すのに苦労したものだった。
 この小文では、夏ばてという症状についての説明も試みているが、それ以上に、小生のこと、語源探索に勤しまないわけがない。
 皆さんは、夏ばての「ばてる」の語源は何処にあるか、ご存知だろうか。答えは、「走り疲れた○△」という動物なのである。尤も、異説もある。
 さらに、小生自身の憶測逞しい珍説も示している。

 掌編作品の部屋に、「アガパンサスの花言葉は」という作品をアップした。
 これは、「アガパンサスの花言葉は……恋の訪れ」を鍵にしている小品である。純愛モノのような、アバンチュールの恋のような。その正体は、皆さんが読んで確かめてほしい。
 尚、この掌編のタイトルとなった、「アガパンサス」という花(の名前)は、keiさんサイトの「FLOWER
Gallery」にある彼女の絵画作品で知ったのである。
 もっと言うと、その絵を挿絵に使いたくて、せっせと書いたのだが、出来上がったものが今一つなので、挿絵に使わせてくださいとは言えずにいる。悲しいことである。
 ま、せめて、作品だけでも、皆さん、読んでみて欲しい。

 日曜日の午前、小生は、せっせと掌編を書いていた。とりあえず、完成はしている。タイトルは、「ディープタイム」である。本作は、あるサイトの絵日記にあるクラゲの絵を見て、一目で気に入り、これまた、その絵を挿絵に使いたい一心で、せっせと書いたのである。
 しかも、これはそのクラゲの絵を見ての、第二弾である。第一弾のタイトルは、「ディープブルー」である。
 このタイトルで、映画好きならピンと来るだろう。そう、あの今夏、評判になっていた映画「ディープ・ブルー」である。そのサイトの方が、その映画を見て、印象に残った一場面を描いてみたというわけのようだった(映画のタイトルに敬意を表して、小生の掌編にはドットを省略している)。
 映画は小生、見ていないのだが、せめて、雰囲気だけでも味わいたいものと、我が虚構世界のスクリーンをビンビンに張って、自分なりの世界を映し出してみたというわけである。
 が、悲しいかな。第一弾は、気に入らず、約二週間ぶりに、第二弾に挑戦したというわけだった。
 アップは、未だである。その際には、二作品ともにアップするつもりでいる。

 さて、居眠りを幾度となく繰り返した挙句、夜になって、小生は、また、別の仕事に取り掛かった。
 書き上げた小文のタイトルは、「前田普羅のこと」である。

 これについては、冒頭の一節を引用することで、事情などを説明したい:

 奥野達夫氏から、『青花堂(しょうげどう)』という小冊子(非売品)を贈呈していただいた。その直前に我がサイトが5万ヒットしたばかりだったので、そのお祝いに戴いたような、勝手な受け止め方をつい、したものだった。
 小生が、前田普羅の存在を認識したのは、実にこの冊子を読んでのことだったのである。
                            (引用終わり)

 前田普羅は、越中風土を詠んだ虚子門下四天王の一人なのだが、戦火に見舞われ、疎開の地として富山(福光町)を選んだのである。
 詳しいことは、後日、メルマガか、あるいは直接ホームページに、この小文を載せるので、その際、覗いていただければと思う。この前田普羅は、一時期は、我が郷里の村にも住んでいたことがあったらしい…。
 実は、ここにかの版画家・棟方志功も絡んでいる。
 せっかくなので、一つだけ、前田普羅の句を掲げおきたい。

 鰤網(ぶりあみ)を越す大波(おおなみ)の見えにけり

 最後のこの「前田普羅のこと」を書き上げるには、四時間ほどを要してしまった。毎度のことだが、書くだけなら早いのだが、ネット検索して資料を掻き集めるのに苦労するのだ。一つのエッセイやレポートなどを書くのに、書く時間の二倍以上の時間をネット検索やサイト巡りに費やすことになる。
 尤も、四時間の間に、小生のこと、居眠りの一時間が含まれていることは、内緒である。

 読書のほうは、寺田寅彦の随筆(随筆集の第五巻)をゆっくり噛み締めるようにして読んでいる。秋の夜長に読むためにと、まだ本が買え蔵書(随筆集は全六巻である)にしておく余裕があった時代に買い込んでおいたものだった。蔵書があって、実に助かる。それこそ、ワインでも嗜むように、ちびりちびりと読み進めているのである。
 しかも、まだ、第六巻が残っているし、それを万が一、予想以上に早く読み終えたなら、中谷宇吉郎の著作集が待っていてくれる。待ち合わせする相手はいないけれど、いつまでも待っていてくれる蔵書が小生にはあるのだ。

 さて、このように、喰っちゃ寝の生活の合間に、チビチビと読書や執筆を楽しんでいる。
 そうはいいながらも、サイト巡りを欠かしているはずがない。
 で、巡るたびに、それこそワンちゃんがオシッコで印を残すのを真似ているわけじゃないが、駄句を書き残していく。
 そんな駄句の数々を恥を忍んで(と、言いながらも、あまり恥ずかしくない。厚顔無恥にでもなってしまったのか…。紅顔の美少年が、変われば変わるものである)、列挙しておこう。

 鍋焼きの 具は内緒なの だってクマだし
 クマさんの 宴会誘われ 餌になり
 河童だもの 雨に濡れても 平気だね
 夏枯れが 秋枯れとなり 木枯らしだ
 花すすき 頬を撫でよと 風の吹く
 紅葉狩り 夢の山野を 我が手にす

 これらの句は、今まで紹介してきたサイトの掲示板に散らしてきたもの。どんなサイトかは、紹介済みなので、興味のある方は、過去の日記を読んでみて欲しい。

 十日の日曜日には引越しをした友人から、遊びに来ないかという誘いをメールで受けた。朋あり遠方より来る、である。その日は、タクシーの営業の日だったが、スケジュールを変更して、お邪魔するつもりである。
 また、日曜日は、我がお袋のン回目の誕生日。何も出来ないので、電話だけ、入れた。
 サンバパレードに行かなかったこと、後悔している。でも、仕方ないんだよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/10

秋も深まって

s-DSC00998.jpg

 いろいろ恥ずかしい句の数々を並べてきたので、ここらで罪滅ぼしというわけでもないが、有名な歌や句から、ちょっと気になるものを挙げておきたい。
 こういう歌などを掲げると、小生の作品と対比されそうで、辛いので避けてきたのだが、いつまでも、そういうわけにもいかないだろうし。
 まずは、後嵯峨皇女悦子内親王の有名な歌。機知溢れる女性らしい作品である。

 ふたつ文字 牛の角文字すぐな文字 ゆがみもじとぞ君は覚ゆる

 後嵯峨皇女悦子内親王(延政門院)は、後嵯峨天皇の皇女で鎌倉時代の方。生没年は不明という。この歌は、悦子内親王が父である後嵯峨院に届けたものだとか。彼女は、父を頼もしく思い、信頼を寄せていたことが分かる。
 この歌の意味は、「ふたつもじ=こ 牛の角もじ=い  直ぐなもじ=し ゆがみもじ=く」と読み解くと、分かる仕組みになっている。
「幼い皇女が父を慕って届けた和歌」と思って、改めてこの歌を詠むと、一層味わいが深まるかも。
 尚、この歌は、吉田兼好の『徒然草(62段)』の中で紹介されていた。学生時代に古典の好きだった人なら、周知の歌なのだろう。
 関連するサイト(「徒然草のなぞなぞの歌」)から、当該箇所を転記すると:

「延政門院いとけなくおはしましける時、院へ参る人に、御言付けとて、申させ給ひける、

ふたつ文字 牛の角(つの)文字 直ぐな文字 歪(ゆが)み文字とぞ 君は覚ゆる

恋(こひ)しく思ひ参らせ給ふとなり。」
 
 上掲の「徒然草のなぞなぞの歌」には、兼好の無心の暗号を織り込んだ歌が紹介されている。興味のある方は、どうぞ。面白いかもよ。

 秋の句には名句が枚挙に遑ないほどにあるのだが、ちょっといかにもこれからの季節の句かなと思わせるものを幾つか:

 水瓶(みづがめ)へ鼠(ねずみ)の落ちし夜寒かな   炭 太祇 

 炭 太祇(たん・たいぎ、1738-1791)のこの句。なんというわけもないが、不思議な句でもある。どうして水瓶に鼠が落ちたのかも分からないが、そんな情景をたまたま目にすることもあろう。その時、ふと、夏には温いか熱かったりしていた水が、冷えてしまっているのだろう、そうか、もう、秋も深まっているのだなと、改めて実感した瞬間を感じさせる句である。
 金曜日の営業が終わりに近付く土曜日の未明、小生は、一服も兼ねて、ある駅にタクシーを止め、客待ちをしていた。晴れていたら夜空に薄明かりも差してこようという頃合いだったが、台風22号が近付いていて、雨がザンザン降りで、まだ、真っ暗。そんな中、駅ビルの前の化粧タイルに蠢く影が。猫? 違う。もっと小さい。じっと見たら鼠だった。鼠にしても小さいので、まだ用心が足りない若いか幼い、子供の鼠だったのだろう。
 久しぶりに鼠を見たような気がする。

 路地裏に何を探すか子鼠よ   弥一


 山深し心に落つる秋の水   心敬

 心敬(1406‐1476)は、室町時代の連歌作者・歌人である。『ささめごと』の著者としても有名。「中世の芭蕉」と呼ばれたりもする。心敬から宗祇、芭蕉という流れを考える人もいるようである。
 秋の水は澄み、かつ冷たい。森の木の梢か葉を伝う雨の雫か露だろうか、ふと落ちるのを目にする。別に自分の体に落ちたわけじゃないけれど、その冴えきった透明感に秋の深まりを覚えてしまう。
 以下の歌に彼の精神が示されていると考えることもできるかも:

 語りなばその淋しさやなからまし芭蕉に過ぐる夜の村雨  

 ひとり寝の紅葉に冷えし夜もあらん   正岡子規

 正岡子規は有名だし、彼を扱うサイトは検索するのも辛くなるほど。ここでは、例によって、松岡正剛が正岡子規の『墨汁一滴』を扱ったサイトだけ、紹介しておこう。ここには、子規の句が数々載せてある。
 それにしても、「ひとり寝の紅葉に冷えし夜もあらん」の末尾の「あらん」というのは、推測の形になっている。子規が誰かの寂しいだろうひとり寝の姿を浮かべて詠った句なのだろうか。
 それとも、やはり、自分のことを他人事のようにして客観視しての句なのか。
 自分をも突き放して観てしまう。野球に熱中した青年時代を送った彼が、今はひとり寝し(仰臥し)、夜露に濡れる紅葉を眺めやっている。首を横にするだけでも辛かろうに。

 ついでというわけではないが、水俣の話題が掲示板などで出たので、石牟礼道子の歌を掲げておく:

 雨洩りのする日の午後に吾子(あこ)が描(か)く蟹(かに)の甲にはポケットがある

 一体、どんな状況での歌なのか、さっぱり分からない。そんなときは、そのままに受け取るのが一番、いいのだろう。それにしても、蟹の甲に何故、ポケットがあるのか…。ああ、やっぱり小生は野暮だ。つまらない疑問ばかり浮かんでしまう。

 野暮天ついでに、我が駄句を並べておこう。恥を忍んで載せる。書くとは恥を掻くこと。恥を晒さないと何事も上達しないのだ(と言い訳しておいて):

 遊ばれて 踊りまくって 尻(けつ)捲る
 遊ばれて 遊びまくって 我忘る
 遊ばれて あなたを追って 濡れ落ち葉
 遊ばれて 仕事忘れて 生活破綻
 遊ばれて 句を考えて 日が暮れて
 遊ばれて 悦っちゃん思って 日が暮れて
 遊ばれて 遊びつかれて 日が暮れて
某サイトの川柳で遊ぼう掲示板で小生はこの七月から川柳に凝り始めた。その掲示板はどういう経緯で作ったのかと尋ねたら、遊び心で、だって。その掲示板も今はない。)

 雲霧の 山道通う 神韻よ
(某サイトの画像掲示板の神韻渺々たる写真を見て)

 花の色は 移りにけりも 塵ならず
(「竹馬やいろはにほへとちりぢりに   久保田万太郎」 に寄せて。年の八月末、浅草サンバカーニバルに我がチームのスタッフとして参加した際、浅草寺でたこ焼き休憩をしていたら、植え込みに句碑が。それが、この句なのだった。)

 世の人が みんな美人で 嬉しいな(近視だと)
 ヨン様の 行く手を阻む ヤー様ぞ(やいっち)
 そこの人 覗いてみてね 我が心(きゃ、覗かれた!)
 サザン聴き 南の空に 浮かぶ顔
(これらも、某サイトの掲示板での即興。汗駄句だ!)

 それぞれの句の出来た経緯など知りたくなったら、当該のサイトの掲示板に飛んでね。


 掲げた写真は、水曜日の営業が終わりに近付いた木曜日の早朝に撮ったもの。その翌日には台風の余波で激しい雨、やがて風がやってくるとは想像も付かない、秋晴れの空。雲一つとて、ないのだ。
 日曜日は、こんな台風一過の空となるだろうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/09

我が部屋の公開!

半ば実験の意味で我が部屋の写真を公開。後悔するかもしれないので、すぐに削除するかも。pic_0000.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/08

朝の道:天高く皆恋ゆる秋

asanomiti.jpg

 今日は体調が悪く、夜はずっとグッタリしていた。夜半前には今月二つ目の掌編を書こうと思っていたけれど、気力が湧かず、やめてしまった。情ない。
 どうも、夕方前に見た夢見が悪いようだ。どこか引き摺っているような気がする。
 
 こんな時は、ここに掲げた爽やかな絵や作者には申し訳ないけれど、駄句のオンパレードで、気分一新だ。

 まずは、水曜日の営業中に作った句や作品の数々を:

「天高く馬肥ゆる秋」をもじって、「天高く皆肥ゆる秋」。健康的に生きましょう。ダイエットなど気にせずに食欲を我慢などしないで。そんな意味、なのでしょうか。自分で作って、訳が分からないでいる。
 それとも、違う方向へもじって、「天高く皆恋ゆる秋」ってのは。いいね、恋する秋だ。小生も好きな人が今、いるけんね。もしかしたら、疲れ気味なのは、恋煩いのせい、まっさか?!

 ジョン・レノンのことが話題になっている。奥さんが残していたテープが一日限りで放送されていた。
 小生、レノンの「イマジン」が好き。でも、小生だと、「暇人」に聞えるのが悲しい時ー、だ。
 今に有名になって、「今人」になってやるー。

 水曜日にブルー・インパルスが横浜だったかの上空を飛び、秋の空に綺麗な飛行機雲を描いていたとか。
 小生のこと、飛行機雲と聞くと、即座に「屁ーこき雲」に聞えるから、情ない。
 天高く屁こき雲の爽やかさ、なんて、詠っても、ちっとも爽やかじゃないね。

 小生、数年前に、次のような標語を作った:

「天災は忘れた頃にやってくる。返済は忘れないでやってくる。」
 生活実感の篭ったしみじみとしたペーソス溢れる往年の傑作である。
 これをもじって…

 変態はいつもあなたを狙っている、なんてのは、どうだろう。
 どうだろうって、聞かれたほうも、困るだろうけど。
 別に、飛行機の編隊から変態を連想した訳ではありません。

 なんでもいいけど、今、外で、猫たちが、ギャーギャー、凄い。頑張っている最中なのか。小生も頑張らねば。でも、何を頑張ればいいのか。

 猫よ猫 少しは分別 弁えて

 さて、以下は、帰宅してからの駄句の数々である。方々のサイトの掲示板に書き散らしてきた。それぞれに、経緯(いきさつ)があるのだけど、句だけを列挙する。

 雪虫の ふわふわ舞って 冬便り
 ナマケモノ 我が世が来たかと 伸びをして
 夜半(やは)の秋 留守電の声 繰り返す
 雨煙(うえん)をも 睥睨するか 光搭
(光搭とは、東京タワーのことです。この句は、月曜日の夜半、雨が降る中、東京は綱の手引坂の頂上から右に降りる神明坂で見た、靄というか雨の煙に浮かび上がる東京タワーを見た印象を思い出して作った。)
 コーヒーを 恋しいと聞く 秋の宵
 金木犀 香りを吸って 咽ちゃった
(咽たのは、人じゃなくて、金木犀。なぜなら、都内の公園では、公衆便所の脇に金木犀が植えられている例が多いのだ。臭い隠しのために植えられているのかと、邪推したくなる)
 花の色は 移りにけりな 悪臭ゆえに
(上記の理由で、金木犀が悪臭を吸ったために、花の色が、本来は白なのに、橙色に変わったのではないか、と詠っただけの、意味のない句)
 かくあれと 幾星霜を 重ねしか
(「君のもと 風にゆらめく 小花あり」とか、「遠くより 君を眺めし 花もあり」などと、誰かさんが掲示板に書き込んでくれた句に応じて作ったもの)
 月影に 兵庫と続く テレビ好き
(月影兵庫! 懐かしいな。近衛十四郎の飄々とした雰囲気が好きだった。品川隆二も味を出していたね)

 掲示板に「明日のNHK「人間ドキュメント」で水俣の作家、石牟礼道子さんの鎮魂の能舞台が放送されるようです」と書き込んでくれた方がいる。この明日というのは、金曜日。小生は仕事だ。
 でも、お蔭で、あれこれ思い出した。
 石牟礼道子さんの『苦海浄土』 は読んだことがあるし、ユージン・スミスの水俣病写真集は手元にある。
 この写真集は、日米の混血である奥さんのアイリーン・スミスも協力したのです。    
 水俣の問題は、小生を社会問題に関心を向けさせた因縁の問題。富山も、イタイイタイ病がテレビなどで報道されていた。それまで漫画しか読まなかった小生、ほんの少しは社会派になったのだった。それが、やがて、哲学に移っていくのだけれど。

 今日(7日)は、「おわら風の盆」で、「花街の風情を残す墨田区向島の見番通りで23日、「おわら風の盆in向島が開かれる。」という、ちょっとした情報を入手したので、せっかくなので、その関連の情報を整理した雑文を書いた。そのうち、富山の部屋にアップしたい。
 尚、7日付けで、新しくリンクを一件、追加させてもらった。般若心経を扱った「美しい般若心経」というサイトで、小生には、やや高度な内容のサイトなのだが、先方様にはかたじけなくも、既にリンクして戴いており、恐縮しつつも、リンクさせてもらったのである。

 さて、掲載した絵は、keiさんが描いてくれたもの。
無精庵徒然草9月23日の日記」に掲げた写真を元に描いてくれたのです。
 こうした風景を眺めるのは、朝。前日からの営業が翌日の未明乃至早朝に終わり、事務手続きを追えてバイクで帰宅。バイクを止めている場所から我が邸宅までは歩いて五分。その間、トボトボと歩きながら、近所の花を愛でたり、いつもいるはずの白猫さんに挨拶したり、こうした風景を眺めたりして帰るのです。
 そういえば、その白猫さん、この数日、姿を見かけない。どうしたんだろう……。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004/10/07

宵闇の悪夢

 そろそろ宵闇の迫る頃、ふと、目覚めた。夢を見ていた。悪夢に近い。
 某所で父と子の二人連れを乗せた。父とは旧知の間柄である。といっても、久しく、会っていない。昔、会社で一緒だったことがあるという程度。とても、優秀な奴で、仕事もできれば、人望もあり、素敵な人と結婚し、間もなく他のもっと大きな誰もが知る外資系の会社へと引っこ抜かれていった。
 小生は、彼の後任の課長になったのだけど、能力・人望の差は、圧倒的で、仕事のプレッシャーに、押し潰されそうな日々が続いたものだった。その後、小生も会社を首切りの形で辞め、タクシーの仕事に就く。奴とは大違いの人生だ。
 小生は、今では、しがない、うらぶれた中年男。妻子も社会的地位などあるはずもない。彼は、功なり名も遂げて、忙しい中、ひさしぶりの休日を親子水入らずで楽しもうとしている…。
 そんな奴と、十数年振りに再会したのだった。
 行き先を告げられた。全く知らない場所ではないが、知り尽くしている場所でもない。
 少し、道に不案内な面もあり、不安を抱えている。
 案の定だった、小生、当地の間近になったところで、道に迷ってしまったのだった。すぐ、そこに目的地があるのに、辿り着けない。
 そのうち、お父さん(奴)が焦れてきた。小生が、回り道をしているとでも、思っているみたい。
 小生にも、プロとしての意地がある。
「代金は、戴きません。必ず、お届けします」
 が、分からないものは分からない。道を近所の人に尋ねようと、車を降り、あちこちをウロウロ。
 歩道橋の上だったか、交差する陸橋の上だったかで遠望して、なんとなく場所を探り当てた。
 で、戻ると、今度は、バイク(スクーター)を止めた場所が分からなくなってしまった(何故か、タクシーのはずがバイクに変わっている。が、当人=小生は、全然、不思議に思っていない)。
 小生、必死になって、バイクを探し回る。公園を探し、学校の脇を駈け、あったはずの場所を探すのだが、まるで分からないのだった。小生は、バイクの場所が分からず、当然、彼等のところへ、戻れない。
 彼等は、何かチケットのようなものを持っていた。今日だけの特別な入場券らしい。入場の時間には間がある。でも、早く行かないと、退場時間までに楽しむ時間が減っていく…。
 ここでまた、飛躍する。いつの間にか、小生、タクシーの中、後ろには二人。小生は、道が分からず、途方に暮れている。やがて、焦れた二人は、タクシーを降りていってしまった。
 ああ、目的地は何処にあるんだ!!

 その焦りで脂汗を流すところで、小生、目が覚めた。例によって、ロッキングチェアーである。睡眠障害のある小生、寝起きは体がクタクタ。起きるためには、一休みしないと起きる気力が湧かない。
 まして、悪夢に魘されて、尚更、疲労困憊していたのだから、起きれるはずがないのだった。
 タクシー業務を始めた頃のことを思い出す。都内の道など、まるで分からず、日々、分からない地理に苦しんだものだった。
 オートバイに乗っていたし、仕事で車の運転も経験していたけど、そんな知識など、まるで役に立たない。
 行き先を告げられるたびに、戦々恐々なのだ。神経を擦り減らす日々。夕方に見た悪夢も、現実の悲惨さ厳しさに比べたら、万あるエピソードの中の、小さな小さな瑣事に過ぎないほどの日々。

 悪夢より 日々の逸話の 凄まじき

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/06

秋の長雨よ

s-DSC00991.jpg

 秋の雨は、夏の雨と違って、風情がある。何故なのだろう。梅雨の雨の鬱陶しさや、夏の雨の蒸し暑さがなく、どこか、うそ寒さを感じるからなのか。
 ところで、この「うそ寒し」は、秋の季語なのだとか。
 なので、小生、早速、ここ言葉を使って一句:

 うそ寒し 帰宅の部屋に 浮かぶ影
(一人暮らしをする人なら、経験があるだろうけど、帰宅して明りを灯すと、ひんやりした部屋にポツンと影一つ。孤影悄然たる気分を自分の部屋の中で感じるのは、乙なものとは言い難い)

 以下は、あるサイトの掲示板で、蟻の句が話題になっていたので、夏の日に作って、記録し損ねていたのを思い出したのだった:

 炎天下 蟻の列の 延々と
 炎天下 蟻の道に 過る影
(後者は、小生が以前、書いた蟻が重要な役割を果たす掌編「黒 の 河」を思い出しての句。)

 以下は、先月末に作り、これまた載せ忘れていた句。ホントに意味のない、生活上の一齣を綴っただけの句:
 
 粉雪を 払ったつもりが フケだった

 下記は、あるサイトの掲示板で、パウダースノーの雪原でスキーをするとか、天花粉を使って化粧をする、なんてことが話題になっていたので、それじゃとひねった句:

 パウダースノー 今じゃ天花粉で 天下無敵
(小生、「天花粉」と題した掌編を書いたことがある。何でも小説に仕立てるんだ。)

 これは、月曜日の営業中、暇の徒然に浮かんできた句:

 交差点 渡り行く女(ひと) 何処へ行く
 小糠雨 差しつ差さされつ 相合傘
 (羨ましいなー。)
 衣替え 薄着の頃を 懐かしむ
 (夏の暑さには辟易だけど、薄着で町をうろうろする女性達を愛でられるのだけは、素直に嬉しかった。ああ、来年が待ち遠しい)

 下記は、ある俳句のサイトの掲示板でひねった句。正月の御神籤で大吉がどうしたとか、話に出ていた。昔、小生には床しい人が、大吉という焼き鳥屋さんで働いていたことがあったのだ…:

 大吉を 過ぎ行きかねて 臭い嗅ぐ
 
 4日に、「金木犀雨に散りしは夢の香か」という句を同サイトの掲示板で綴った。小生、その日、「金木犀の頃」という掌編を作ったとも日記に書いている(未アップ。アップの前に、エッセイの「金木犀あれこれ」を読むのもいいかも。)。噂をすれば、じゃないけれど、4日の夜半過ぎ、都内の某公園で金木犀を見たのだった。雨に打たれて。公園の薄明かりでも、金木犀の花の色は鮮やかだった。その金木犀の花びらも、あの雨では呆気なく散り果ててしまったのだろうか:

 金木犀 健気に咲くも 儚かり

 それにしても、小生、あちこちの掲示板で駄文を綴ってばかり。例えば、こんなの↓:

 ところで、山のクマさんも寒さを感じ、冬眠を間近にしているようで、餌漁りのため、里へ降りてくるクマさんが多いとか。里へ降りる原因の一つに、クマの領分に人が踏み込んでしまったこともあるけど、ネズミに餌を喰われてしまうこともあるとか。今年は昨年の40%以上多い死傷者が出ているとか。
 クマさんが出て、みんなクマっている。いつクマさんが出るかと里の人はビクビクして、目の下にクマが出来ているとか。
 それにしても、もしも、餌を探し損ねて目の下にクマが出来たクマが現れたどうしよう。笑うべきか、逃げるべきか、それが問題だ。
 関係ないけど、昔から疑問に思っていることがある。白クマさんと普通の黒いクマさんが結婚したら、どんな子クマが生れるんだろうって。もしかしたら、パンダが生れるとか。試してみたいなー。

 そんな駄文の質問を書いたら、いろいろ返事がもらえた。以下は、その返事をもらっての、我が返事:

「白クマさんと黒クマさんが結婚したら・・・きっと縞模様のシマクマさんが生まれる。そのシマクマさん同士が結婚したら、格子柄のチェックグマさんが…」
「ターさんは2代目がシマクマさん、3代目がチェックグマさんねえ。背骨を中心にクルクルの円模様……右半分がクロ、左半分がシロのオセロ熊ってのはどうかな?」
 むむむ。とりあえず、答えはもらったものの、納得していいものか。悩ましい。反論はできないし。斑模様ってのも、ありそうだし。試してみるって、そうは簡単にできそうにないし。
 そうか! 分かった! 答えは簡単だ。灰色だ!!
 こんな簡単な答えが出せなかったとは。今晩は、反省を兼ねて、グッスリ寝ることにしよう!

 秋の夜長だね。ろくなこと、小生は考えないし、書かない。ここらで、切り上げよう!

 
 掲げた写真は、4日の営業が終わり、5日の朝、帰宅の途上で見掛けた花。でっかい花だね。我が手の平より、否、我が小顔より大きい! 雨に濡れるのが嫌なのか、それとも、小生に見られるのが恥ずかしいのか、葉っぱで隠したりして。今時、珍しい、奥床しさだ。
 でも、なんていう花なんだろう?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/10/05

有情の雨か

 我がサイトが、恐らくは昨日の朝、未明の頃にか、5万ヒットしたらしい。文章しかないサイトで、訪れても必ずしも楽しいとは思えないサイト、表紙を含め、デザインの面でも趣向を凝らすというわけでもない。開設したのは、三年前の2月5日である。恥ずかしながら、勉強嫌いの小生のこと、このサイトの開設に当たっては、業者任せだった。一応は、ホームページ作成ソフトも購入し、つらつら眺めてはいたのだが、頓馬な小生、ホームページをアップする、「FTP」ソフトなる存在を知らず(あるということ自体を知らず)、あれこれホームページのデザインを弄るばかりで、一向にアップできないで途方に暮れていたのだった。
 で、とうとう、専門業者にアップを任せる仕儀に相成ってしまった。思えば恥ずかしい。でも、今から思えば懐かしい。小生、走りながら考えるタイプなので、これでいいだろうと納得してから行動しようと思っていたら、そもそも、HPの作成・アップなど行わなかったに違いない。
 その後、開設して約一ヵ月後くらいに、友人に「FTP」ソフトなる存在を教えてもらったものだった。
 アップの仕方が分かってからは、文章の類いだけは、ドンドン、自分でアップしていった。で、とうとう、文章だらけのサイトになったというわけである。HPのデザインなどは、勉強嫌い・工夫もできない性分が現れて、試みようとさえしないままに今日に至ってしまった。そのうち、なんとかしようとは思ったし、思っても居るのだけど。
 
 地味で、ちょっと窮屈なサイト。でも、要するに、エッセイやコラム、日記、掌編などを収め、あるいは、このHPをベースにメールマガジンを出せればいいのだから、これでいいのかな、とも思ったりする。
 さて、では、一番肝腎な中身はどうなのだろう。
 当初はエッセイやコラム、書評感想文などを収めていたが、一昨年からは、掌編をメインに収めるようになった。そう、小生が一番、力を入れているのは、そしてやりたいのは、表現したいのは、掌編というか虚構作品なのである。物語と言えるかどうか、小生の場合、やや微妙だが、虚構世界に徹したいという思いは紛れもない。
 書いてある掌編が、思い出の形を取っていても、それが実話だと思ってくれたら、それこそ、作者冥利に尽きる。
 5万ヒット、おめでとうというメッセージを寄せてくれた方への返事に、小生は、このようなことを綴った。ここに転載する:
 
思うに、彼はヒーローだけど、世の中には、人に見えない形で頑張っている人が数知れずいるのだと思います。誰にも祝福も感謝もされない。それどころか、下手すると、踏みつけにされているかもしれない。誤解されて。それでも、頑張る人。そんな人こそが、ホントのヒーローだと思う。小生の小説の中では、決して人には注目を浴びないような、情ない人物ばかりが登場する。意志も薄弱だったり、知性も鋭い訳じゃない、人に好かれるわけでもない、見栄えがするわけでもない、でも、そんな奴にだって、広く深い世界がある。時にジメジメジトジトしているかもしれないけれど、それでも、一個の宇宙があるのです。小生は、そんな世界を描きたい。人にはそんな世界は好かれないだろうけど。でも、そんなものしか書けないんだから、仕方ないよね。

 ちょっと野暮ったい書き方をしているけれど、ぶっちゃけたところ、小生が描きたいのは、まさに、野暮でドジで不器用で、時に愚かでもあるような奴(ら)の世界なのである。
 それさえ、描ければいいのだろうとも最近は思っている。もっと、素晴らしいような、輝かしいような世界もあると思うのだけれど、そういう晴れ晴れとした世界を描きたいという欲求は強く感じてはいるのだけれど、いざ、虚構作品を創ろうとして、一行・二行と綴り始め、その文面にリアリティを追い求めると、そこに登場する人間、立ち現れる世界というのは、情ないようなものばかりなのだ……。これは、もう、病膏肓、これが我が掌編(虚構)作品ワールドなのだと割り切るしかないのかもしれない。
 
 ところで、さて、小生のサイト、デザインなどの面では、一向に更新されないし、そういう意味で訪れる方に楽しみを提供することは、望みも当分、なさそうだ、が、しかし、八月末、あるいは九月の半ば近くから、新しい試みは始めている。
 第一段階が、HPの開設なら(尤も、その前にインターネットへの参入があるが)、第二段階は、メールマガジンの配信開始であり、まさにこのブロッグ形式の日記という、この部屋の開設は、第三段階ということになると思う。
 思いつつ、小生、ブロッグを使いこなしていない。まだ、使い方が分かっていない。恐らく、訪れる方も、ブロッグの性格が把握できていないものと思う。
 が、直感的には、ブロッグの世界に参入したことで、新しいステージへの挑戦が、闇雲に始まっていることをひしひしと感じているのである。
 その証拠に、ブロッグ形式の日記を内容は全く同じだが、二つのサーバーで行っている。一つは、ニフティであり、もう一つはメルマ!である。そのメルマでのカウンターが、我がHPのカウンターの数を上回っているのだ。まだ、コメントやトラックバック(これが未だ、小生、やり方も含め分かっていない)も少ないのだが、恐らく、相当な発展・展開もありえるような気がする。
 さて、駄文を綴った。外は雨。冷たい雨。秋の雨。秋の長雨。長雨を古(いにしえ)の人は、時に「眺め」と洒落て、粋な歌など詠んだものである。そんなことは、小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」を例示するまでもなく、常識のことなのだろう。小生も、今夜は雨の音を聞きながら、何かしら、小粋な文を綴ってみたい……、無理かな、似合わないかな。

 秋の雨 ながめせしつつ 小町待つ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/10/04

金木犀に降る雨は

s-DSC00986.jpg

 掲示板への書き込みで、金木犀のことが妙に気になってしまった。小生、仕事柄、都内随所の公園脇に車を止め、しばしの休憩を取る。ある旧宮邸跡の公園の片隅に金木犀が植えられている。小生の如き、花や木に疎い者にもそれと分かるようにと、金木犀と表示してある。
 が、今年は、何故か、その公園の前で車を止めることがない…。と、思ったら、公園の前で工事していて、車を止め辛いのだった。なので、金木犀の花の咲き具合がまるで分からないのだった。
 我がサイトの掲示板で一昨年、金木犀のことが話題になったことがある。小生のこと、せっかくだからと、「金木犀あれこれ」などというエッセイをその時に仕立てた。
 今年は、またまた金木犀の話題が出たことだし、「金木犀の頃」という掌編を雨の降る音など耳にしながら、夕方に一気に書き上げた。内容は、前日には咲き誇った花が香が、翌日には風雨に一気に散り消え果ていたという光景を軸にした短篇で、失恋の物語である。金木犀の雨風に呆気なく散るという特性をイメージして小説にしたのだった(そのうちに、アップしたい)。
 いろいろ遣り取りがあったのだが、その辺りは掲示板で確かめてもらいたい。

 金木犀雨に散りしは夢の香か

 三日の未明、ちょっと驚くことがあった。我が部屋に蜘蛛を見たのである。昨年、天井や壁などによく見かけたものだったが、今年になって、とんと姿を見かけない。きっと、死んでしまったか、我が家を捨て去ったものと思っていた。
 が、その頃に見た蜘蛛より一回り大きな蜘蛛の姿を見た。間違いなく(直感だけれど)去年の蜘蛛だ。
 なんとなく、嬉しい。旧友に会ったような気持ち。一人住まいの小生には唯一の友であり、共棲動物なのである。
 一昨年に蜘蛛との再会を果たした時、「我が友は蜘蛛!」などという戯言(ざれごと)を書いたものだった。
 今回、またまた再会(多分)を果たしたことでもあり、「「我が友は蜘蛛!」後日談 」を三日のお昼頃、せっせと書き綴ったものだった。これまた、できるだけ近いうちに、アップしたいものである。

 蜘蛛よ蜘蛛 オレを慰めに 現れたの?

 土日に懸けて、徹底して休憩し、タクシー業務での疲れを体から抜くことに専念した。日曜日の未明頃になって、ようやく完璧には程遠いとしても、まずます体が疲労困憊から、ちょっと疲れ気味かな、という程度までに回復した。その証拠に、エッセイを立て続けに書くだけの気力が漲ってきたのだ(ちょっと大袈裟。誇張表現。ま、大目に見てね)。
 この週末、寺田寅彦の随筆集を読んでいる。小生の大ファンとなっている書き手だ。垂涎の書であり、滋味ある随筆を堪能させてくれる。その寅彦の「喫煙四十年」というエッセイで、興味深い一節を見出した。
 それは、「しかし人間は煙草以外にもいろいろの煙を作る動物であって、これが他のあらゆる動物と人間とを区別する目標になる。そうして人間の生活程度が高ければ高いほどよけいに煙を製造する」という下りである。
 この、「煙を作る動物」というのが、甚く気に入った。そこで、小生、古来よりの、人間の定義を思いつく限り拾い集めてみることにした。その上で、この寅彦の定義について、考えてみようと思った。
 小生、寅彦は、この定義を随筆の気侭というか座興で、ちょっとした思い付きを書き連ねただけなのかと思っていたが、どうやら、そうでもないようである。
 が、ま、先を急いでも仕方ない。今日は、「人間を定義する」という雑文を綴っておくに留めた。これもまた、そのうち、多分、メルマガにて公表するつもりでいる。

 さて、そのメルマガ、このところ、滞り勝ちであるが、今夜半、なんとか配信した。通巻で354号である。イチローの偉業に匹敵するというわけにはいかないが、小生なりに、一つ一つ、何がしかのモノを積み上げていきたいのである。
 
 汗駄句川柳のことを忘れているわけではない。が、段々、あちこちに書き散らした川柳を拾い集めるのが面倒になってきた。目に付いた幾つかを拾うだけにさせてもらう:

 野路菊や 賽の河原で 咲くのかな
(これは、三途の川が話題になっていたことでもあり、また、あるサイトで、野菊の句を見掛けたという偶然が重なったので、じゃ、賽の河原では、菜の花ばかりじゃなく、野菊(野路菊)も咲くのかなと、ふと、疑問に思ったのであった)
 ステーキの 末期の喘ぎ 屁一発
(要するに、ステーキを食べて、最後には屁を放ったという、なんということのない句なのである)
 ナナカマド 決して竈(かまど)じゃ ありません
(これは、ナナカマドがあるサイトの掲示板で話題に上っていて、あれ、これって、花なの、それとも、特殊な竈なの? と、ふと、疑問に思い、ネットで調べ、ナナカマドは決して竈の一種などではなく、立派な花の一種なのだと分かり、自分に言い聞かせる意味もあり、ひねってみた句なのである)

 小生、ほかにも戯言を綴っている。そのうちの一つだけ、例として掲げておく。これも、某サイトの掲示板で、口裂け女の話題が出ていたので、せっかくだからと、詩文(?)を綴ってみたのだった:

 口裂け女も怖いが、口だけ女も怖い。
 口だけ女も怖いが、愚痴だけ女も怖い。
 愚痴だけ女も怖いが、ブスっとした女も怖い。
 ブスッとした女も怖いが、無知な女も怖い。
 無知な女も怖いが、顔がブチ模様の女も怖い。
 顔がブチ模様の女も怖いが、グッチだけ(買わせる)女も怖い。
 グッチだけ女も怖いが、女の居ない世界は辛い。
 困ったものです。

 愚痴だらけ 不満ばかりでも 仲良くね

 掲載した写真は、木曜日の営業が終わりに近付いた金曜日の未明、ある住宅街で見掛けた、有明の月の光景である。写真では、ポツンと小さく満月を数日過ぎた月影が見えるだけだが、肉眼では、結構、ポッカリと大きな月が浮かんでいたのだった。
 それにしても、三日に予定されていたサンバパレードが中止になったのは、残念だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/03

イチローおめでとう!

 やったね、イチロー、新記録だ!
 小生なりに、祝福したいと思い、「イチロー尽くし」というか、「イチ尽くし」の駄文を綴ってみた:

 -----------------------------------------

 真実一路のイチロウー、そのイチは一番のイチ、ローは労のローならぬ朗らかのロウ、一宿一飯の仰木元監督のオリックスの恩義を捨て、一路真輝ならぬ福島弓子夫人と一蓮托生・一心同体・夜は合体、一望千里、一路ニッサンへ、ならぬ、イチロー、ニッサンへ、ならぬ、はるかな一視同仁を旨とし、敗者は一網打尽となるアメリカを一攫千金を夢見、一瀉千里と目指し、一所不住の覚悟の下、一刻千金とばかりに一病息災且つ一所懸命・一心不乱と鍛錬し、一子相伝乃至は一家相伝の技を磨き、万民に一部始終・一挙一動を眺められ、一目瞭然マリナーズの一枚看板と一口同音に見なされつつ、一糸一毫の狂いもなきバッティングに徹し、一喜一憂する観客の中、時に死球を受け一触即発の危機を乗り越え、一騎当千の勢いで一気呵成に新記録を達成すると共に、今や、弓子夫人との一家団欒の時を迎えるという一挙両得・一石二鳥のイチロウなのであった。
 イチ尽くしの一文で、天才イチローは越えられずとも、鬼才T氏に一矢を報いられたかと、一瞬ほどは思ったけれど、一指を染めたる一芸の道は遥かに厳しく、一粲を博したる一文は一笑に付され、一将功とてならぬままに万骨枯るやに思われ、一種一瓶、一死一生すなわち交情を知るのであった。
 ということで一巻の終わり。

 -----------------------------------------
 
 まさか、この一文を通しで読まれた方はおられないと思いますが、まあ、このたび限りの座興と御理解願います。


| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/10/02

まったりの一日をまた

 仕事の疲れが昨夜だけでは抜けきらず、今日も週日、寝たきり。夕方になって、やっと元気が出てきて、エッセイの一つも綴ってみようという意欲も湧いてきた。
 ここには、主に掲示板に書き込んだものの一部を拾っておく。

 以下は、あるサイトの掲示板への書き込み:

(小生は山の手の住人ではなく、車で仕事することが多いだけ。坂道が多くて、道も入り組んでいる。道を覚えるのが大変なほど。麻布二の橋を降り下る途中、仙台坂の上に巨大なマンションがポッカリ浮かんで見える。なんだか、バベルの塔がニョキッと現れ出たような印象が。そんな都心の一角を彩る緑も秋の風に気持ちよさそうだ。)
 
 秋の日や麻布二の橋緑濃し

(以下の句は、ある句から連想して作ったもの。さて、もとの句とは…)

 刈り入れの秋の田渡る風清か

(これも、あるサイトの掲示板に書き込んだもの。月に願いをかけるという話題になっていたので)
 満月や 大団円を たのんまっせ

 そうそう、月の話題が出たので、せっかくだろうし、「秋の月をめぐって 」と題した雑文を綴ってみた。月は、小生の感興を引く。雨や風、水(川や海)、緑(山や原っぱ、公園、園芸)など、自然に触れるだけでさまざまな思いを掻き立ててくれるのだ。

 これまた別のサイトの掲示板で、日本には三途の川という名の川があることを知った。調べると、三箇所も。せっかくなので、「三途の川」と題した雑文を綴った。アップは未だ。一応、関連する雑文を掲げおこう:
善知鳥と立山と」(付:篁牛人のこと)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/01

東京異境

s-DSC00974.jpg

 昨日の仕事は、月末ということもあってか、珍しく忙しく、帰宅した時間は、それほど遅いわけではなかったが、少しく疲れがひどい。午前に三時間ほど眠ったあと、様々な支払いを済ませるため駅前まで外出。駅ビルには書店があるが、書店には足を運ばない。今年の年間の書籍購入費は、五千円。四月で超えてしまった。なので、本は当分、買えないのである。
 コンビニで総菜や弁当を購入し、真っ直ぐ帰宅。好きな再放送のテレビ番組「相棒」を見る。小生、水谷豊と寺脇康文のコンビでの演技が好き。高樹沙耶や鈴木砂羽もいいね。
 弁当を食べたら、すぐに眠気が。徹夜明けなので、三時間の睡眠で済むはずが無いのだ。ロッキングチェアーでの居眠りは、涼しさもあって、気がつくと、どっぷり暮れた頃合いになっていた。窓や玄関のドアを開けておくと、気持ちいい風が流れ込み、吹き抜けていく。今が、そしてこれからが、居眠り大好きの小生には、最高の時期だ。
 今日は、執筆よりも、タクシー業務の疲れを抜くことに徹している。夜になって、少し、元気が出てきたので、掌編「真夏の夜の出来事」を掌編作品の部屋にアップ。
 さらに、連作の黒猫ネロものの続き、「イチジクのネロ」を連作掌編の部屋にアップした。
 まだ、幾つか、アップすべき作品があるのだが、時間が無い。
 
 ところで、掲示板で月の話題があった。
 小生、月を巡っての掌編、随筆は数知れず書いている。そのうちの幾つかだけ、リストアップしておこう。それなりに味わいのある文章も見つかるかも:
有明の月に寄せて
十三夜の月と寒露の雫と
真冬の月と物質的恍惚と
メロンの月

 さて、小生のこと、新作の駄句がないわけじゃない:

> 夕焼けに 染まる気持は もう遠く  さくらえび

   夕焼けよ 心の熾き火と 冴え渡れ   弥一

(この句の遣り取りについては、「雨の十六夜」(30日付けの日記)のコメントを参照してください。)

 月よ月心行くまで輝けよ

 透明人間 屁してバレテ 真っ赤っか?!
 透明人間 裸で歩いて 風邪引いて
 透明人間 鼻水までも 透明なの?
 透明人間 心までもが 透明か
 透明人間 感じるこころ あるのかな
 透明人間 その存在も 透明かも
(透明人間は、服を着るわけにはいかない。着たら、姿格好の形が露わとなるし。常に裸でいるしかない。夏場はいいけど、これからの季節、夜は冷えるよー)
 透明人間 夏場はいいが 冬は辛い
 透明人間 来春までは 冬眠か
 透明人間 やせ我慢しての 肺炎だ
(これらは、掲示板での遣り取りから生まれたもの。ま、座興という奴である。)

 良夜には月なき夜寒身に沁みて
( 雨の良夜(十五夜)。夏の暑さが嘘のような夜寒でした。寂しい夜には、せめて月影だけでも愛でたかったのに。尚、「良夜」も「身に沁む」も、共に秋の季語である。)

 掲げた写真は、過日、朝の6時頃に撮ったもの。あるトンネルの光景。走行中の撮影なので、画像がブレている。不思議な雰囲気を醸し出しているね。
 真ん中付近の真ん丸の明かり…。満月のようにも見えたりする…けど、実は正体不明。
 それにしても、バックミラーがチャーミングだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年9月 | トップページ | 2004年11月 »