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2004/09/19

ひたすらに

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 土曜日は徹夜明けを押して、三時間ほどの睡眠をとっただけでサンバパレードを観に行った。感激もしたけど、トラブルもあって、体は疲労困憊。夜の十一時近くに帰宅し、シャワーを浴び、仮眠を取ってから、未明になって、パレードなどについてのエッセイ文を交えたレポートを書き上げた。
 いろいろ悲しい、辛い、憤懣に耐えない事件などが報道されるけれど、パレードで若い人の元気な姿を見ると、感じるものも少なくない。ひたすらに楽しさの実現に向って頑張っている。眩しいほど。以前、ひまわりの画像を貰った際に、付した句を多少手を加えて、再度、掲げておきたい:

 まっすぐに 眩しいほどに ひたむきに

 小生は、これでも、書き手であり、特に虚構作品、物語を書くことが好きである。というか、そのために生活を特化させている。創作に行き詰まったりしたら、結構、苦しくなる。そんな時、つい、「創作の意味?」など書いてしまう。何のために書くの、文章を書いて一円でも儲かるわけじゃないのに、ほとんど読まれることもないのに…。
 でも、それは迷いの為せるわざだ。
 小生の書く掌編で、実話はどれか、とか、思い出話なのか、と問われることがある。小生は、創作することに生き甲斐を感じている。物語を綴ることにこそ、一番の楽しみを感じているのである。
 実話は、あるいは、実体験に絡む思い出話は、エッセイ(や当然ながらレポート)に書くようにしている。虚構作品においては、徹底して創作に徹している。ありうべき世界、なかったかもしれないけれど、あってもいい世界を描く。あるいは、なかったほうがよかったに違いない世界さえも描いたりする。
 そうやってそれなりの量と数を書いて感じるのは、自分の資質が見えてくることだ。現実の世界さえも越えるリアリティへの欲求だ。現実の世界というけれど、その一番深い現実とは、人間にとって、その世界に惑溺させる物語にこそ、実現されるのだし、だからこそ、物語へ篭める思いも軽くはない。
 もしかしたら、人間とは物語に生きる存在とさえ、言えるのかも。

 夢の時 目覚めの時より 豊かかも
 人間は 物語しか 見えないのさ
 
 物語。これは虚構なのだろうか。そうかもしれない。けれど、それは夢のようなもので、どうしても食べないと生きられない夢の食事のようなものだと思う。人は、夢と物語無くして生きられない。そんな風に人間はどこかで進化してしまったのだ。そういう進化の方向を選び取ってしまったのだと夢想する。
 人間には、犬の嗅覚の世界は想像を絶する。人間には見えない曲がり角の先の何かさえ、匂いで察知できる。数日前の人や犬や何かの植物や食べ物の痕跡さえ、数分子の痕跡さえ残っていたら、分かってしまう。そうした世界に犬は進化の過程で選び取ったのだ。その世界に何があるかは、犬にしか分からない。匂いの世界に限定してさえも、そこには豊穣なる世界が広がっている。人間には絶対、想像不可能なる世界が。
 あるいは、視覚において、聴覚において、超絶的な感覚能力を持った動物たちがいる。どんなに人間が想像を逞しくしようと、そのほんの一端をさえ触れることの叶わない世界。人間には紫外線の世界も見えたりしたら、世界は全く違うのだろう。
 植物にしても、その生きる世界のどれほどを人は感じていることやら。地に縛り付けられて生きるしかない植物の生きることへの知恵は、動くことを選んでしまった動物には、恐らくは絶対に理解不能な世界になってしまっている。我々は、せいぜい、見かけを愛でるしかないのだ。

 観ることも 感じることも 果てしなく
 路傍の花 風に揺れて 和むかな
 踏まれても 毟り取られても いのちあり

 そして、人間の超絶的感覚能力とは何だろうか。何が人間をして人間たらしめるのか。それは言葉であり、言葉を駆使した世界への切望であり、世界を解釈することであり、その世界を物語の読み替え、物語の創出によって全く新しい相貌で観ることへの焦燥にも似た本能的欲望なのではないか。
 言葉は空しい。目の前の、風に揺れる花の可憐さの何ほどをも言葉によっては表現できない。<体験>は、言葉など圧倒する…。
 そんなことは分かり切っている。誰でも、実体験を重ねると、言葉の空しさを痛感し、時に沈黙する。が、その実、その人の頭の中を覗くなら、形にならないとしても、無数の言葉が舞い踊っている。その人を苦しめたりする。形にならない、表現の形にならない混沌の海。
 物語とは、混沌の海から、たとえ一欠けらでもいいから、その得体の知れない何物かに形を与えることなのだと思う。
 きっと、モノ書きとは、言葉を信頼する人というより、誰よりも混沌を切実に、ひしひしと感じている人間のことなのではないか。たかが言葉、されど言葉なんて、陳腐な言い草。でも、臆面もなく、そんな科白が吐けたら、凄いことかもしれない。

 添付した画像は、道端で見つけた花。老婦人が丹精を篭めて世話されている。名前も分からない。その可憐な花をまるごとに受け止めたい。

 まるごとに いのちそのまま 手の平に

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