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2004/09/17

文章と絵のコラボレーション

kitune-yomeiri
 このところ、エッセイや小説に挿画を使わせてもらう機会が増えている。前から、少しずつは試みていたのだが、絵と文章との相乗効果を期待しての試みは、ますます増えていきそうである。
 エッセイもそうだが、特に小説を書く場合には、自分の脳裏に虚構の空間を描いている。それは、小説のドラマの場面でもあるけれど、もっと抽象的には、物語のイメージを象徴するような、ある意味、現実にはありえない(非日常的な)光景だったりもする。
 自分に絵を描く才能や情熱があれば、時間を掛けてでも可能性を探ってみたいのだが、それより、実際に日々、絵に携わっている方に、なんらかの世界を描いてもらうほうが、的確に表現してもらえる。
 九月に入ってからだけでも、エッセイ「猫と扇風機の思い出」になずなさん、掌編「狐の嫁入り」などにkeiさんの手になる絵を載せることができた。

 さて、小生は、虚構作品を創作する場合には、色や匂いだけではなく、音もイメージすることがある。まさに、それは音であって、音楽とは呼べないのが、音楽センスのない自分だけに、情ないのだが。
 音楽空間や虚の風景、あるいは、もっと、脳髄の奥を震撼させるような不可思議な光景と呼ぶにはあまりに非現実の世界などを脳裏に無理にも描き示し、それをなんとか的確なる言葉に置き換えようと、徒労とも思えるような試みをしている。小説を描くのは、あくまで虚構の世界を切り拓き描くためである。実際にあったことなら、エッセイにする。思い出などをわざわざ小説に描く趣味は小生には、ない。
 思い出話を描いているけれど、実際の思い出話を描いた作品は、恐らく一つもない。遠い過去のことであろうと、つい、最近のことであろうと、それは虚構の座標空間の、ある誰もが思い浮かべたことが無いような座標点を見出し、その虚の点を、何が何でもリアルに描き尽くしたいという、切なる思いがあるからだ。
 現実にはないはずの思い出。あるはずがなかった世界。そんな世界を何ゆえに身を削っても描きたいと思うのか、自分でも分からない。
 とにかく、そんな欲求がある限りは、やっていくまでのことである。

 さて、気分を新たに、駄句で締め括りたい:

 四字熟語 並べてみても 焼肉定食には敵わず
 白猫と 黒猫合わせ 斑(まだら)猫?
「虫の声 シャンシャンシャンと 誘い音(ね)か 秋の夜長に 思いころころ   さくらえび」に寄せて

  コオロギや いのちのかぎりと 鳴く夜かな
 (コオロギや 虫の息まで 聴く夜かな)
  行く夜を 今生の別れと 惜しみ啼く
  松虫は 愛し愛しと 叫んでる

 添付した絵は、掌編「狐の嫁入り」にkeiさんが寄せてくれたもの。掌編には都合上、画像サイズを縮小して使っている。なので、ここには、縮小していない絵を掲げておく。

 狐火や この世を夢と 知らすごと

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