« 夜明かし | トップページ | 夏が去っていく »

2004/09/12

まったりの一日

s-DSC00700
 仕事のほうがスケジュールが厳しい。その合間を縫って、サンバパレードにギャラリーしに行くので、このところ、体への負荷が過剰気味。そこで、今日は、完全休養に当てた。とにかく、ひたすら何もしない。
 秋の日を感じさせる散歩日和の今日を、ホコリ塗れの部屋の中で過ごすのは、勿体無い。一昔前の自分なら、バイクに跨り、秋風を一杯吸うために、多摩川の土手か、今のように整備される前のお台場などへ向かったものだ。
 部屋の中では、ひたすらロッキングチェアーで居眠り。合間には、池波正太郎の『雲霧仁左衛門』を読んでいる。未明に上巻を読了し、下巻に突入。藤沢周平の時代小説とは違う世界を堪能している。
 さて、小生の本分というと、書くことだけ。
 というわけで、このところ遅れ気味だった掌編作成に勤しんだ。先月までで68個。今月は、月初めに、「案山子とボクと」を書いただけだった。そこで、この休みを使って、一つは朝方に「真夏の夜の出来事」(仮題)という得体の知れない掌編、もう一つは、書きかけだった黒猫ネロモノ第六作となる、「イチジクのネロ」(仮題)を書いた。
 これで、今年に入っての掌編は、通算で71個となる。年掌編百篇という目標に向って、道はまだまだ遥か。いよいよ、胸突き八丁という感じもある。読まれるかどうか分からない、というより、ほとんどが見過ごされていく掌編の数々の山を築いてどうするという気も起きたりする。
 でも、「創作の意味?」での反省で思ったように、書きたいから書く、表現の可能性を自分なりに尽くす、真冬の雪の朝の雪原を一人歩くように、誰ひとりいない薄明の領野を何処までも歩いていく。書くことは楽しみである以上に、ただただ生きる証しであり、さらには、ただ歩くその一歩一歩、大地を踏むその感触を確かめるため、ただそれだけのために書いている。
 小生は絵を描きたいという欲求はあるが、当面はその機会を持てそうにない。その分、数知れない絵画作品を見てきた。これからも見ていくだろう。油絵、水彩画、墨絵、ペン画、と手法だけでも絵画の世界は多彩だ。その中で、一番、静謐さと魂の透明なる緊張を覚えさせるのは、銅版画のようだ。
 今、自分は、虚構の空間という画面に向って、虚構の銅版画を、虚構のペンを使って刻み付けている。その筆舌を尽くしがたい快感。我が魂の輪郭に刻み込まれていく線描の示すものは、一体、何なのだろう。自分でも分からない。分からないけど、歩けるところまで歩いていく。ただ、それだけ。

 掲載した写真は、この七月の帰省の時に撮った我が家の庭の一部。緑豊かのように見えるかもしれないが、実は、雑草が生い茂っていて、近くで見ると、見るも無慙なのである。その有り様を見て、草むしりに励んだのも、無理はないのである。

|

« 夜明かし | トップページ | 夏が去っていく »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/1420485

この記事へのトラックバック一覧です: まったりの一日:

« 夜明かし | トップページ | 夏が去っていく »