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2004/09/26

燈火親し

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 あるサイトで、「燈火親し」が季語として使われている俳句を読んだ。
 そこで、川柳病の小生、早速、訳も分からず、とにかくこの言葉を使って句を捻ってみた:

 燈火親し 読書の前に 眼鏡探す
(一昨年から老眼鏡のお世話になっている。読書しようと、本を手にし、手元の明かりを灯し、さあ、読書、と思って本を手にしたはいいけれど、頁を捲ろうとして思い知らされる、そうだ、老眼鏡が無いと読めないんだった! 悲しい現実がそこにはある)

 燈火親し 夜の渋滞 投灯塗れ
(俗人たる小生、仕事は路上。そう、車の運転が仕事。親しむ燈火というと、小粋なそれではなく、街中のヘッドライトなのだ。街は、無情な照射の投灯で溢れている。ヘッドライトの青褪めた白、テールランプの赤、ウインカーの黄色、信号機、ネオンサイン、ビルの窓の灯り、街灯、走りすぎていく自転車の反射板…)

 燈火親し 立入る庭で 浴びちゃった
(最近、そばを通るだけでセンサーが働き、警告灯の灯る家が多い。別に庭に忍び込んだわけじゃなく、家の軒先を掠めるだけで、パッと照らし出される。なんだか、こちらが悪いことをしているみたいで、不愉快)

 燈火親し 浮かび上がるは 魚の目か
(そのサイト主の方が魚の目で悩まれていた)

 ここから先は、思いつき。

 燈火親し コオロギの鳴く 秋の暮れ
 燈火親し 熱いお茶の 湯気愛し
 燈火親し 捲る頁の 紙の音
 燈火親し 頁を捲っての 夢心地
 燈火親し 秋の夜長を 寿いで

 ここから先は、例によって、ほうぼうの掲示板への書き込みに付した句の群れ…:

 雨音は 心を叩く 天の声
(ある人に、小生は雨になると創作意欲が湧くんですね、今度は、どんな作品を書くのですか、なんて、書かれた。確かに、小生、そうだった……けれども、今は、ちょっと違う。今年は、掌編百篇というノルマがあるので、雨の音を聞いた時になって悠長に執筆するというわけにはいかないのだ。ちょっと苦しい状況にある。それでも、雨の音は、そう、小生の胸のうちを、心の奥を直接叩くように、感じられてならないのである)

 かくれんぼ 幾つになっても 隠れてる
(一昨日だったか、「かくれんぼ 見つけて欲しくて 隠れるの」という句を捻った。小生、それこそ中学生になっても、やっていた。それも、登校の途中で。中学一年の時、近所の一年上の兄ちゃんと中学校に通っていたのだが、一緒に歩きながらも、つい、隠れてみたいという衝動が生じる、で、我慢できずに、すぐそこの門の陰などに隠れて、すぐに見つけてもらって、安堵したりするのだった)

(寝る子は育つと昔から申します。何故でしょうか? それは、食べたものを余計な運動で消費したりせず、全て体に還元し蓄積しているから。その意味で、省エネの時代、みんなで寝る子は育つを年を取っても実行していきたいものですね)として、一昨日、以下の句を捻った:

 牛になり 寝る子は育つ 明るい明日

 それに続いて、下記の句を捻ったのだった:
 
 省エネは 喰っちゃ寝に 尽きるのさ

 雪山を 愛で溶かして 禿山に
(百年の恋も冷めちゃうね。尤も、ある句に付した句なのだが…)

 懐の 寒さを隠す 熱燗か
(額が冷えると風邪を引くってのは、小生の持病なんだろうか。懐が寒いと、肺炎になるってのは分かるけど)

 掲載した写真は、土曜日の営業が終わって、日曜日の朝、帰宅途上で撮ったもの。花だけが出迎えてくれる。

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コメント

○雨音は 心を叩く 天の声 (弥一)
 (付け句)  芽吹き伸びゆく言葉を綴る

  本当は心のトビラをノックなんでしょうね。
  ちょっと外して雨に焦点をあてました。
   
これは返句(?)
○かくれんぼ 幾つになっても 隠れてる(弥一)
   かくれんぼ自分探しは歳問わず (なずな)
   

投稿: なずな | 2004/09/27 10:19

皆さんこんにちは

かくれんぼ 探し続けて ヘトヘトよ

投稿: さくらえび | 2004/09/27 10:47

 わっ、嬉しい。コメントが付いている。このブロッグ形式の日記、未だ慣れてない方が多く(ちなみに、慣れていない筆頭の一人に小生がいる)、コメントを書くのでも、わざわざ従前の掲示板に書いてくださる方のほうが多い。
 それはそれで嬉しい。けれど、このブロッグ形式でのいいところは、付したコメントが、どの文章に対してのものかが、すぐに分かるところ。
 別にどちらへ書けと強制する性格のものではないが、適所にコメントなりメッセージなりを寄せてくれると、嬉しいな、ということなのである。
 前置きが長くなった。

 なずなさん:
 実は、「雨音は 心を叩く 天の声 (弥一)」を書きながら、遠くのほうで、石川啄木の、「やわらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに」を想っていた。『一握の砂』の一首である。何故か、この頃、年甲斐もなく感じることが多く、雨音がなくとも、ちょっとした風景を見るだけでも、「泣けとごとくに」我が胸を叩いてしまうのだ。天の声は、どこからでも聞えてくる、というわけである。

 さくらえびさん:
 「かくれんぼ 探し続けて ヘトヘトよ (さくらえび)」だけじゃなく、「かくれんぼ自分探しは歳問わず (なずな)」への返しになるかどうか。尤も、含意するものは、さくらえびさんとなずなさんとでは違うから、ちょっと無理があると思いつつも…

 かくれんぼ 見つけて欲しいの どっちなの

 そう、人間って、我が侭なのである。実に、相済まない変句であることよ。

 

投稿: 弥一 | 2004/09/27 11:34

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