小夜時雨
小夜時雨という言葉に出会ったのは、めるがっぱさんサイト「美術館のある町で」の掲示板でのことだった。岩波文庫の「蕉門名家句選」の上巻を時間を掛けてじっくり読まれていた。その読解の一環で、次の句を紹介されていた:
小夜しぐれとなりの臼(うす)は挽(ひき)やみぬ 野坡
名前だけは知っていても、ことさら時間を掛けて志太野坡の作品に接することはなかっただけに、この句に出会ったことを契機に、彼の他の作品も味わってみた。
改めて、「小夜時雨」という言葉を紹介するに当たって、正確な語義を示しておこうと、「小夜時雨」をキーワードにネット検索してみたら、冒頭近くで興味深いサイトを発見した。そこには、子規の句が示された上で、「小夜時雨」という言葉などについて説明してある:
小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん 正岡 子規
「季題は<小夜時雨>で冬。「小夜」は夜の美称。冬のはじめの頃、さっと降りだしては止む雨を時雨という。」以下、上掲の句の読解が示されている。
この句に応じる形で、虚子の句も紹介されている:
すぐ来いといふ子規の夢明易き 虚子
「これは昭和29年の作。子規が逝って既に半世紀の歳月が経っているとは思えぬほど、精神の呼応が感じられる句ではないか。『子規句集』所収。」は、まさに同感だ。
どうぞ、紹介したサイトを覗いて欲しい。簡潔的確な文なので、一気に読める。
この「小夜時雨」という言葉を紹介しようと思ったのは、昨夜半過ぎ、まさに「小夜時雨」を経験したからである。もっとも、正確には、「冬のはじめの頃、さっと降りだしては止む雨を時雨」というのだが、暑過ぎた夏が終わって、秋の到来を真夜中過ぎにそぼ降る雨に実感していたので、公園の脇に車を止めて、雨に濡れる木の葉などを眺めていると、つい、この言葉を思い出してしまったのである。
一昨日、ちょっと嬉しいことがあった。久しく閉じられていた掲示板が再開されたサイトがあったのだ。「mariのページ」という名のサイトへは、なんとなく居心地がいいので、足を運んでしまう。「絵は好きなのに、なかなか見に行く時間がなくて...という方にご覧いただければ」という趣旨のサイトのようだが、小生、サイト訪問先は中身は勿論だが、人柄や雰囲気で選んでしまう傾向がある。
その掲示板が約二ヶ月ぶりで再開したことを、めるがっぱさんサイトの掲示板で知り、嬉しくて飛んでいったのだった。
しばしば訪れているサイトが閉鎖されたり休止したりすると、寂しいもの。が、それほど頻繁にはお邪魔していないのに、何かの折に閉鎖、あるいは転居を知ることがある。
それは、毎日のように通り過ぎている町の一角にある小さな店のようなもの。気にはなるけど、めったには中に入らない。そのうち、機会があったらお邪魔しようかな、と思っているうちに、ふと気が付くと、その辺りが更地になったり、真新しいビルなどが建っていたりする。
「あれ、ここにあった店、なんだっけ。」そう、そこにどんな佇まいの家や店があったかさえ、俄かには思い出せない。でも、気にはなっていた…。ああ、閉店や転居されるんだったら、お邪魔しておけばよかったと、後になって悔いてしまう。
閉鎖されたサイトは、当然ながら新規の更新はありえないのだろうが、サーバーとの契約などがあると放置された状態で残っていたりすることがある。特にネット検索で過去のデータを呼び出したりすると、今も生きているかのように錯覚するが、実は空家。でも、棚揃えは、閉鎖されるまでのものは残っている。不思議な空間だ。
さてさて、またまた駄句の洪水。昨日の祭日の営業も夜に入ってからは閑散の極みだから、仕方ないのだが。あまりに数が多いので、遣り取りしていた相手や、何処のサイトの掲示板に書き込んだか、などは省略させてもらう。
ホントは、句は、大抵が前ぶりがあっての一文に付するために捻ったもの。そうした事情を知りたい方は、下記サイトの掲示板などへ足を運んでもらいたい:
「珈琲館Good Day Web SITE」
「悦ちゃんのひとりごと部屋」
但し、一部、我がサイトの掲示板(画像掲示板)に戴いたメッセージへのレスとして、ひねった句もある。
雄猫は 猫撫で声で 言い寄るか
恋の予感 ずっと続いて マンネリに
コーヒーを 恋しいと聞く 秋の夜
ホット? アイス? ううん愛してる
コーヒーで 君の瞳に 乾杯だ
コーヒーにミルクと愛をブレンドさ
手の平で愛す恋しい温めて
秋の雨 室外機をも 癒すごと
浦島橋 月と星とを 架けるかな
猫目ほど 移り変わるが 浮き世かな
かくれんぼ 見つけて欲しくて 隠れるの
エヘラヘラ~♪ ケセラセラ~♪に 続くかな
煩悩を 持て余しての 余生かな
ざんしょはね 小粒でも 暑いのよ
着膨れに 体型を隠す 我が身かな
雪だるま… 着膨れだよと 言い張って(誰のこっちゃ)
氷はね アイスなんだよ 愛してね
ダリア咲き 馥郁として 胸に満つ
半月を 半尻(はんけつ)と聞く 弥一かな
東尋坊 見渡す先は 大陸か
北海道 日々の暮らしが 愛しくて
ところで、我が掲示板にも書いたのだが、「俳句を作る人は俳人、それでは、川柳を作る人は、なんて言うんだろう。川人? まさか、仙人じゃないだろうし。誰か、教えて。」
掲載した写真は、今朝、仕事で朝帰りした際、近所で撮ったもの。花の名前は、例によって分からない。写真では窺えるかどうか分からないが、花や葉っぱの表面に水滴が。これは、霜ではなく、未明まで降っていた雨の雫が消え残っているもの。
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コメント
写真のニチニチソウ(日々草)可愛いですね。
秋雨に 濡れて可愛いや 日々草
投稿: さくらえび | 2004/09/25 00:52
さくらえびさん、いつもコメントをありがとう!
あれって、原産は熱帯のニチニチソウ(日々草)なんですね。
一つ一つの花の寿命は短いのだとか。
せっかくなので、もっと鮮明な画像を探してみた:
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Nitinitisou.html">http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Nitinitisou.html
秋雨に 濡れて可愛いや 日々草 さくらえび
日々草 日々に命を 咲かせてる 弥一
投稿: 弥一 | 2004/09/25 02:51